谷川一ノ倉沢衝立岩雲稜第一ルート

1997/6/20~23
メンバー:杉浦・飯田  飯田 記


6月21日〈金)23時に出合いに着く。
翌日は3時半起床、4時出発という事で、早く寝る。

6月22日(土)3時半起床、雨が降っているので、もうあと3。分寝ることにする。
4時、まだ雨が降っているので、再度寝る。
8時小雨の中を散歩している間に、中央稜でも登ろうという事になり、荷物を持って出発する。中央稜の基部に全荷物をデポし(ティッシュも)雨の中ガチヤのみを持って1ピッチ登るも杉浦さんが突発の陣痛に見舞われ、1ピッチ目のビレイ点より下降。おかしくも悲壮感溢れる状況。これでその日はもう何もせず。
4時田島さんと和智さんがくる。翌日も、3時半起床、4時出発という事で早々と8時に寝る。
6月23月(日)3時半起床、4時出発。天気良好。
中央稜の基部でガチヤを付け.アンザイレンテラスに向かう。1ピッチ目ヌレヌレの岩、2ピッチ目ボロボロの岩。3ピッチ目、小林・宮城の例があるので、心を引き締めて出発する。テラスの支点はしっかりしているのでホッとする。
少し直上し、右手に回り込んで草付き帯に突入するもそれ以後ザイルが動かず。上からはハーケンを打つ音と、草が落ちてくる。右手のルートを登っているベテランらしい他のパーティより“ルートが右すぎる”と、確信に満ちたアドバイスを受ける。それならと、左に廻るが、ルート不明。結局ルートが判らず、ビレイポイント迄降りてくる。飯田など、それならと行って見るも、少し登って回りを見回し“ランニングがない・ルートが判らん”、と言って降りてくる始末。
それやこれやで、同ルート下降。飯田は空中懸垂中に、他のパーティより、山渓の写真に応募するから、こちらを向いてくれと言われる始末。題は“屈辱の敗退”か?
12時中央稜基部、13時出合い、そして帰る。敗因はルートファインディングの未熟
嵓は、雲稜第一3連敗中。

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