2018/5/4-6 秩父山域 四阿屋山~両神山東方辺見尾根(仮)の縦走踏査

秩父山域 四阿屋山~両神山東方辺見尾根(仮)の縦走踏査

2018/5/4~5/6
メンバー:長谷川(L、記) 藤森

 地図の中に、ルートが幻のように浮き上がって見える瞬間がある。
最近になって、ようやく山地図の見方がわかるようになった気がするのだ。赤く引かれた線ばかり、目先で追うのではない事。等高線の張り巡らされた「面」の中に尾根という「線」が生じ、そこから浮かび上がって来るものがある。まだ赤く塗られてはいない、他人には見えないルートが。今年になり、そうやって見つけた奥多摩や秩父の幾つかのルートを歩いている。

春の連休で、数年ぶりに両神山に行こうかと地図を開いたのだが、数年前に見えなかったものが同じ地図に書かれているのがわかった。両神山の東面には、長い明確な尾根が3本ある。つまり3本の登路があるということではないか。
上から一つ目は前東岳に繋がる尾根で、上半分だけは天武将尾根という破線ルートとされている。次に本峰からほぼダイレクトに東に伸び、四阿屋山に繋がる尾根だが、途中固有名のピークが幾つかあるのに尾根としての名がなぜかない。三つ目が秩父御岳山に繋がる梵天尾根だが、白井差峠から上だけが現状実線ルートとして歩かれている。
この中で最も気になったのが、本峰へ伸びる無名尾根なのだ。ネットで検索するとやはり、歩いた記録が少ないが出てきた。尾根の正式名はわからないが、「辺見尾根」と便宜的によんでいるらしい。とにかく歩けるのだ。ここに他人の目に見えぬルートが確かにある。それさえわかればいい。

5月の連休は4日間。初日は悪天の為1日待ち、残り三日で行く事にした。藤森さんの同行は直前に決定した。会の他の皆も荒天で山行予定が狂い、取りやめたり他に変えたり調整に難航したらしい。が、こちらは基本曲げずに決行。
5月4日朝。秩父三峰口8時55分のバスに乗る。日向大谷口行きだから、全員両神山に普通に行くのだろう。我々は途中の小森で降り、彼らの倍くらいの荷を背負って低山へ。
樹林帯の中。高い湿度と重荷でけっこう苦しい。不思議なのは、里に温泉もある低山ハイキングルートなのに、さっぱり人がいないのだ。結果、すれ違ったのは3人だけ。人気ない山なのかねえ。一時間強歩くと神社が建っていた。「両神神社奥社」とある。本社は両神本峰手前で、こちらは分社という事で、という事はここはもう既に両神山の一部だと言っている意味ではないのか。やはりこの末端の山から御神体の山へ歩くルートが、古来からあったのだと思う。
神社を後にし、ピークへは露岩の急登になる。低山ながら意外に険しい道を15分ほど登ると、岩峰の狭いピークに出た。疎林に囲まれ、展望はいま一つ。が西と北は開け、黒い両神の異体が見える。
ところが、頂上から先には尾根が伸びていないのだ。藤森さんと二人であたりの藪の中を嗅ぎ回ると、少し後ろに戻った位置から伸びる、尾根らしきものが見えた。あれか?
道をやや引き返すと、登りの時に気付かなかった尾根が西へ突き出ているのを見つけた。が、うす暗い林の中へ下って行き、その先は見えない。多分これだ。他に道はない。二人顔を見合わせ、頷く。
突入する。有難い事に藪はさしてなく、踏み跡の微かな痕跡のような道とは言えない道。やや下り、狭い岩尾根を登り返すと背後に四阿屋山が見え、先へは尾根が長く続くのがわかって確信した。安定した鞍部まで進み、腰を下ろす。11時半。
「第一核心を突破したよ!」

ルートに乗ったのは間違いなかった。自分のコンパスと藤森さんのGPSでも確かめた。後はひたすら歩くのみだ。尾根に入ってからは不思議に暑苦しさも消えていた。
道はうねるようにアップダウンを繰り返し、都度現れる小ピークに視界を阻まれ、ルートの先行きを見通す事がいっかな出来ない。コンパスを見、ひたすら西へ。道に指標は何もなく、方向は合っていると信じて進むしかない。やがて小さな石の祠が出てきた。両神山へ続く道である証拠の道祖神だ。この先々で時折祠は現れ、またたまに出くわす三角点の存在が心の助けになる。
昭文社の山地図には、途中に幾つかの固有名を示している。「相撲場」というのを探したが、わからなかった。鞍部だと思う。それらしい平坦地もあったが確証はないまま過ぎた。後日の調べでは地図の表記位置に違いがあり、また語源として「住まう場」という説もあるらしい。尾根の脇にあった平坦地がやはりそうではなかったろうか。小屋があってもおかしくない所だったのだ。
樹林帯の中、起伏は多いが比較的快適な歩きが続いた。大きな登りがあって、たどり着いたピークには潅木が茂っていた。そこに青い小さな板が。「三合落」とある。地図上では「両見山」となる1115.1メートル地点に違いないのだが。
(後日の調べで「三合落(サンゴーツ)」が正しく、「両見山」はここから北北東に派生する支尾根上のまったく別な山と判明。この山域には他にも地図表記の誤りや混乱があるもよう。要するに地図とは雑多な情報の寄せ集めであり、あくまで「図」つまり「絵空事」意外の何物でもないと思うべきだ)
名称はどうあれ、現在地を確認できたのが嬉しい。と言っても尾根全体のまだ三分の一しか進んでいない。これはかなりタフな山登りになりそうな気がしている。そもそも情報が少なく、全体の所要時間も見通しが立たないのだ。今日中に半分行けるかと思っていたのだが、難しいかも知れない。
あまり休む間もない。先へ。だがこのあたりから山の様相が変わり始めていた。樹林の枯れ藪尾根から急峻な露岩の痩せ尾根へ。地質の変化なのか尾根の形成の仕方も変わり、ピークごとに微妙に屈曲したり支尾根が派生したり、進路の判断にいちいち迷う。地図が描く単なる西ではないのだ。
辺りの様相は岩尾根と言うより、岩場と言うべき気配になりつつあった。尾根の進路が突然切れ落ち、途絶えてしまった。左右を探すと右にクライムダウンできそうなステップがある。が、途中の一歩が悪いと思った。
どうする? 藤森さんも大分変態ルートに慣れたとは言え、重荷でバランスをコントロール仕切れるか。登りでなく、下りでだ。
「ロープ出そう」と決めた。「安定した場所に行って、ハーネス付けて」
これは実はかなりやっかいな山登りではないのか、と思い始めている。がまず落ち着こう。ロープを立木に直がけして垂らす。下降は5メートルほどで、すぐに尾根につながっていた。
二人下りてロープを回収して岩尾根を歩き出す。3時を回っていた。
「4時になっていいところが出てきたら、もう即泊まろうよ」と言う。後一時間頑張って。はい、と藤森さん。
だが尾根の縦走ではなく、岩場の登下降というべき状態になっていた。落ち着ける平らな地面などろくにない状態が続く。地形図を見てもわからない険しい登りと短い懸垂下降がまたあった。更に小ピークを越した先に、小さな草原のような鞍部があった。
なだらかで穏やかな地面。二人共途端に癒されてしまい、そこで泊まろうと決めた。一日目終了4時。

二日目、5日4時過ぎ起床。ワインのフルボトル一本飲みきったおかげで、熟睡できた。良く晴れた空の下、6時に出発する。
ハーネスは最初から着けていた。「沢登りだね」と俺。尾根と谷では陰陽が逆のはずなのに、なぜかこの山登りは沢のようだと感じている。
沢筋のようにひかれた一本の尾根道を、では登って行こう。痩せ尾根の緩めの登り下りがしばらく続いた後、大登りに差し掛かった。
岩が立ち塞がった。正面から直登すべきか迷う。なるべく歩いて登るに近いラインを探し、右の藪に回った。ロープを出す、と決める。藪を突っ切って左のリッジラインに乗り、登ろう。
ロープを付けバイルを持ち、地にぶち込みながら進む。やはり沢になったな。リッジに乗り立木に支点を取って、ビレイ体勢。「登ります」と藤森さん。ロープをたぐっていると、突然叫び声と大きな落下音が響き、谷底へ消えて行く。何が起きた?
「ヘルメット落としました!」下を探していたが諦めて登ってきた。「息子のなんだけど」
いや、お母さんが落ちなくて良かった。そこからは険しいがほぼ歩きになった。ピークに出て、やや北よりに進路を変えた尾根筋と、その先の黒い異形の両神山がようやくはっきり姿をさらすようになった。
藪っぽい痩せ尾根をかなり大きく下り、登り返して「瞽女ヶ岳」との札があるピーク。ここらでようやくルートの半分だろう。更に登り下りを繰り返して、林の中の小広い場所に出た。平らな地に枯葉が敷き詰まり、石祠と更に酒瓶がごろごろ!
多分ここが「大谷」なのだろう。見るからにお泊りポイント。あるいは、ここまで楽に来るルートがあるのかも知れない。(後日の調べだが、浦島の里から三合落に登り、大谷へ結んで白井差方面へ下るルートがあったらしい)

しばし休止し、再開。この後尾根右手に防獣ネットが続く急登をこなし、ピークに出てネット沿いに下る。やや下り、ふと右手に両神山が見えるのに気付く。ん?
両神に向かっていないのだ。慌ててピークへ戻り、右に下る藪に隠れた尾根が、ネットと一緒に続くのを見つけた。ルートに戻ったはいいが、足がネットにからんで邪魔くさいことおびただしい。苛立ちながら登り続け、岩場に出た。直登は立っていて無理。ネットを越えられれば、右の藪から巻くのが簡単なのだが。
岩の左からトラバース出来そうだ。ロープを付けてトライし、結果、突破した。上に抜ければ、もう防獣ネットはなくなっていた。しかしそれはそうだろう。この先岩尾根が延々と続く事になるのだ。
嫌な予感がして、藤森さんに聞いた。「水はあとどの位持ってる?」「1リットルちょっと」
自分も同様だった。先はまだ長い。もう1ビバークあるかも知れない、と思い始めていた。
ルートの様相は大谷までとあきらかに変わり、険悪になっている。ロープでの下降を何度かし、じりじり進むと、岩のはだかる辺見岳の足元に来た。直登すべきだろうか。
「巻きたいです」と藤森さん。そらそう思うわな。俺が見ても壁、けっこう悪いもん。右の岩にトラバースできるバンドがあった。進んでみることにした。リッジを越えた向こうは藪になっていた、がこれなら登れる。
ロープを付けてバンドの切れ目から藪に突入。ブッシュを掴んで這い上り、岩の尾根上へ力づくで抜けた。
辺見岳の南峰に出ていた。北峰へは簡単な歩きですぐだった。尾根はまだ先へ幾つものコブを突き出しながら続くのを見る。これが本当に標高1300メートル程度の山並みなのか。いつも思うが、秩父の山は北アルプス以上に深い。実際、以前独りで登った前穂高北尾根のほうが、よほど楽に感じている。
見晴らしの良いピークを下ると、岩尾根の狭い鞍部だった。
5時になっていた。地図を出し、相談する。この小ピークを越えて下った少し先に、安定地がある様子なのだ。そこまで行くか。しかしもしこの先でまた変にはまり込むと、もう日没になる。
泊まろう、と決めた。どうせ今日中にはゴールできないなら、危険は避けよう。狭い鞍部だがほぼ平らな地面が2畳弱ある。前後を岩に挟まれ風もない。
実際テントを張って潜り込んでしまうと、昨晩よりも地面が平らで快適なのには、二人とも笑ってしまった。ビバーク地としては最上級だろう。が水もなければ酒も飲めないし、寝る。

三日目。6日の朝4時。ぐずぐず起床はしたが熟睡はできちゃいない。土曜の夜に酒も飲まずに寝られるものか。カロリーメイト他と水5口で簡単に朝飯終了。
テントを撤収し、5時過ぎに動き出す。二人共水は残500cc程度。それだけあれば半日頑張り、ゴールできる。行くぞ。
「終わったら、絶対ビール飲みましょう!」と藤森さん。おう、もちろん!
小ピークを登り、下降路探しにやや手こずったが、下りてみたら道がはっきりしてきたのに気付く。これまでと違い完全に「道」と言えるレベルだ。道はキワダ平へ。やはりなだらかな安定地で、心地の良い園地のようだ。癒された後、しばしの登り。「エビヅルの頭」には3体の石の天狗様がいた。
やはり修験道の人達が行き来していたのだろう。人の痕跡が明らかなのは心強い。
下り、次のピークは三笠山。が、岩がはだかり道がない。右から一度下りて巻けないかと試すが、今度は懸垂ロープがなぜかまったく引けず回収不能となり、登り返した。
結局、岩を登るしかなさそうだ。藤森さんが尻込むが、よく見ればホールドはあり難しくない。直登するよ、と言い切って登る。立木でビレイするが、怖いのは出だしの2メートルだけで、クライムダウンもできるだろう。時間をかなり食ったが、後は難なく三笠山ピークへ。こちらにも石像。この辺りはピークごとに道祖神として天狗像が置かれているようだ。道の険悪さも消えた気がしている。また一つ顕著なピークを越え、鞍部に出た。古いトラロープが前後に貼られ、なぜか道を封じている。左右は谷。
不審には思うものの、ここを越えて尾根を登り詰めれば、両神神社への道に合流する、まさに最後の詰めに入るのだから、進まないわけに行かない。ロープをまたぎ先へ。道はまだ続く。岩混じりの急登に差し掛かる手前の鞍部で、道は左を巻いている。もういちど鞍部に出て赤テープの貼られた立木まで来て、道は突然消失してしまった!

進路が不明になっている。ピーク方向へ適当に登れそうでもあるが、踏んだ跡もない。いや、そんなはずはあるまい、と右往左往して探すのだがないのだ、忽然と。
「さっき、トラロープのところから右の方に、道があるように見えたんですけど」と藤森さん。とりあえず一つ前の鞍部にもどって、ルートを見直した。左から巻かず、直上もできなくはなさそうなのだが。
他の記録だと鞍部から簡単に小屋に下りている、と藤森さんの主張。トラロープの所にも道らしきものが見えたらしい。彼女は正解を求めているのだ。
水がもう二人共、ほぼない。結論は伸ばせない。
地形図を見る。現在地は多分「一位ガタワ」付近。そこから清滝小屋へは2万5千図上でほぼ1センチ。目と鼻の先。右を見る。行ける気がして来た。ならば突っ切ろう。今更他人の記録をなぞっても意味がない。
今回もまた最後に来て、いつものジャングル戦になったか。思いつつ「トラバースするよ。少し下りに進めば、自然に小屋に出るから」
告げて、先導した。藪を縫いステップを拾い前進するが、やがて岩に阻まれた。ロープを出して、立木でつないで下降2回。安定したバンドに一旦降りた。
下を覗くと、藪の間から青い人工物らしきものが。屋根だ。小屋が見え始めたのだ。
トラバースとクライムダウンをし、更に懸垂下降を2回で、枯れルンゼに届くと、そこはもう地面になっていた。ロープを畳んでしまうと、小屋へはほんの50歩で着いた。
水場へ。二人共どろどろのひどい格好だったが、体裁もくそも水が欲しかったのだ。ようやく昨日以来の渇きを癒す。戦闘終了10時20分。

小屋の裏手に回れば、本峰剣ヶ峰への道が通じている。経過はどうあれ、本線に繋げたのだから歩き切ったと言っていいだろう。
これも後日わかった事だが、トラロープの場所が一位ガタワであり、かつて清滝小屋と白井差を繋ぐ旧道があり、更に両神神社へも道がやはりあるという要の場所であったのだが、行政と地権者の間にトラブルが起き、要するに地権者がぶち切れて、だったら通るなとトラロープで封じて道標も撤去し、廃道にしたらしい。でも昔の話は俺知らんかったもんね。知っている人は三笠山方面へのルートとして、今でも密かに利用されているのだろう。一方両神神社から本峰への道は、小屋から別に通じているのだから、一位ガタワからの道は利用価値を失い完全消滅したのだろう。
我々は一位ガタワよりも更に先のどん詰まりまで行ったわけだ。だがそもそも「正解」などこの山登りにはあるのか。予定調和で完結した登山道のハイキングに来たわけではない。自分が見つけた道を、自分の身で押し通りに来たのだから、敬愛する昭和後期の不世出の偉大な哲人の言葉どおり「これでいいのだ」

水があれば飯も作れる。藤森さんがカレーを食べさせてくれた。腹を満たして、日向大谷口へ2時間。バスを待ちながら、近くの山荘から缶ビールを仕入れ、めでたく乾杯。悶絶!
ちなみに、このルートの踏破で女性がいた記録が見当たらないのだよ、藤森さん。初登とまでは確証がないから言わないが、相当希少価値は高いと思う。自慢しようにも誰にもわからん話だろうけど。
これも本当に余談だけれど、「両神山」の名の由来。イザナギ、イザナミの2神を祀った山、との説。他に日本武尊の東征の際、八日間この山の姿を見ながら通過した「八日見の山」との説がある。
言い換えるなら、日本武尊が通過に八日もかかる逸話を残すほどに難儀した険しい道だ、としたら・・・さて、一体どの尾根にその幻の道があると思うね?

 

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