八ヶ岳 阿弥陀岳北稜

2013/1/12-13
山本武冶、川村、杉岡(北稜パーティ)  記 山本武冶


今季、新人の入会が相次いだので1月の成人の日連休は久しぶりの会山行、それも10人に上る盛況。松元さんも参加されることになりベースは行者から赤岳鉱泉に変更。

普通は金曜日夜発で、仮眠後土曜日に1本遣るのが通例だがこれも土曜日の朝出発となった。まあ日・月曜と2本やれるのでよしとなったようだ。博道さん調整苦労したなぁ。

当然、名誉会長は小屋泊り、お付き合いで私も同宿したが、あいにくこの日は三連休初日なので空前の混雑、談話室から何から布団が敷き詰められている。我々にあてがわれたのは一応個室という名の布団部屋、というか押し入れに近い。2畳に満たない狭い部屋だが余った布団4枚重ねでなかなか快適、おかげで温かく眠れた。

というわけで当日、身軽な小屋泊り組が早く鉱泉小屋に到着したらやることがない、テント組の設営を待っている間が持たないので松元さんと先に一杯やっていた。

夕食後、テントの宴会に合流し翌日曜日のパーティ編成。桜井さん、博道さんはともに新人を連れての石尊稜、私はこれまた新人の、杉岡、川村の両嬢を連れての阿弥陀・北稜となった。松元さんは腰の状態があまりよくないので我々のパーティに行けるところまでお付き合いいただく。

さて日曜日は前夜の旧知の人々からの情報により北稜のラッシュ状態が予想されたので遅めの8時出発にした。

2週間前の元旦、阿部君を連れての赤岳登頂時とはうって変わっての上天気、もう何度も登っている北稜だが無風・快晴のこれ以上ない天気に気も弾む。

文三郎から中岳沢に入り北稜の尾根へ登って行き、ここで松元さんと別れた。

初心者を連れている為、別れ際にくれぐれも無理するなと念を押される。

杉岡さんは岳連の山行も含めて何回かご一緒していたが、川村さんは今回が初めてなので樹林帯を抜けて取りつきまでの急斜面はアンザイレンを考えていたが、思ったよりしっかり登っているのでノーロープで行った。

取りつきの岩峰左のクラックで順番待ちをしていたら、遠藤晴行さんが追い付いてきて、右側を直登してさっさと追い抜いて行ってしまった。追い抜きざまに遠藤さんが口だけ動かして私にこっちから登りなよと言っていた。

前のパーティが4人組で変則的な登り方をして時間がかかっていたのでちょっとその気になったが、川村さんが「私はこちらのほうがいいですぅ」の声に当初の予定通りに。
1ピッチ目
私のトップでクラックから雪の付いたフェースに出るが、出だし2,3メートルの処にハンガーボルト2本に残置スリングを通した支点でランナーを取れたがその後が無い、あるのだろうが見つからない。易しくてもこれだけ無いとちょっと不安、途中岩にスリングを巻きつけて何とか2個目のランナーを取り40メートル伸ばしてビレイ。セカンド杉岡、川村の順で到着、特に問題はなさそうだ。
2ピッチ目
ほとんど雪のないフェースからだんだん雪がついて、ナイフリッジを越えると雪面になり、雪面から顔をのぞかしているハイマツの根っこ二本にスリングを巻きつけてあるのがビレイ点。ここも40メートル伸ばしてランナー1本だけだった。杉岡、川村の順で登り終了。
途中このルート一番のビューポイント、ナイフリッジでお約束の登攀写真を撮影。
これで登攀は終了だが、我々の横を岩峰全部左から巻いて登ってきた中国からの人たちが合流してきた。あとは頂上まで行って記念撮影と休憩、石尊稜パーティとのトランシーバー交信をする。
天気も良く風もないのでゆっくり眺望を楽しんでいたら、先ほどの方々から写真のカメラマン役を何人もから頼まれた。挙句は一緒に写真に納まってくれとの注文。ちょっと面映ゆかったが、彼らにとっては日本の登山者との記念撮影も旅行の思い出つくりなのだろう。
下降は中岳沢を下っていったが、コルからすぐに尻セードで時間短縮し文三郎と阿弥陀への分岐で松元さんが待っていてくれた。なんと別れてからずーっと待っていてくれたらしい。よっぽど心配だったのかしら・・・?
鉱泉には3時前に到着、この日に帰京する私は慌ただしく三方に別れを告げ3時には下山開始。アイゼンはつけたままガシガシ下る、急いだので4時20分には美濃戸の駐車場に着いてしまった。赤岳鉱泉から所要1時間20分。
逃げ足が速いというか、下りは早いのよね、おいら・・。
途中、もみの湯で汗を流し帰京の途に就いたが、もう一泊して翌日に下山した他のメンバーは記録的な大雪のため大変な苦行を強いられたようだ。
今回は天候に恵まれ快適な登山が出来た。杉岡さん、川村さんお疲れ様でした。

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