八ヶ岳 西面 中山尾根

2003/1/3~4
メンバー:玉田・横澤  横澤 記


本来ならば、年末年始は硫黄尾根でボロボロになっている予定であったが、なぜかピンピンしながら、のんびりと紅白の中島みゆきを眺めている自分がいた。そう、「敗退」である。しかも年内に帰ってきてしまった。「このままでは今年の正月は終われない。。。」コタツに入りながら弛緩していくカラダとアタマにムチを打って、早速玉田さんに電話。
「中島みゆきはダムの上で歌うべきだ!」と、テンションを上げ、長すぎる休みを持てあましていた玉田さんと共に、硫黄の消化試合にも似た決意を胸に、八ヶ岳を目指した。
気合いバッチリで挑んでいるハズの二人であったが、最初から時計を忘れたやら、朝飯を忘れたやら、どうもネジがゆるんでいる様子。その上、予定よりも1時間ほど寝坊して起き出す始末。いかん。
8時15分  美濃戸バス停出発
11時30分 行者小屋到着
行きの車の中では、初日の中山尾根をサクサク終わらせて、2日目は阿弥陀北西稜を登った後に北稜を登ろうとか、2日で3ルート以上は登りたいよね、などと、今思うと恥ずかしくなるような妄想を抱いていた。どうやら硫黄敗退のダメージで、本気でネジが緩んでいたらしい。テント設営後なぜか、レーションを食べたり、コーヒーを飲んだりして、のんびり1時間ほどつぶす。この行動も不可解である。
13時15分 取付に到着
粉雪き混じりのガスのなか、下部岩壁登攀開始。
1P 玉田さんがビレイしながらビデオを撮影してくれるという。「でも落ちないでね」と、プレッシャーを受けて進む。オーバーグローブだとなかなか厳しい登攀。きれいなペツルを見つけてビレイ解除。
2P すぐ上の凹角を行く。これが3級?と、疑いたくなるようないやらしいピッチ。ここが核心ではないだろうか?アイゼンをキリキリきしませてのバランスクライミング。
下部岩壁を抜けたところで、コンティニュアスで進む。
徐々に風と雪が強くなる。天気も下り坂との予報であった。ここで「敗退」の選択肢も当然あったが、新年早々敗退するわけにはいかないという思いが強かった。
15時頃 上部岩壁の取付到着。風が強い。
ランナウト気味で下部をこなし、核心のかぶった凹角へ。豊富にあるピンを頼りにA0交じりで突破。上部の草付きをバイルの打ちこみで処理して立木でビレイするころには、八ヶ岳名物の強風が容赦なく吹きつけていた。声がまったく届かないような状況で、ザイルの動きだけを頼りに相手の動きを把握する。こんな状況に備えて、本ちゃんを共にするパートナーとは、やはり普段のゲレンデでも練習を共にしておくべきと反省。少しずつ上がってくるザイルを手繰り終わった頃には、もう夜の帳がそこまでやってきていた。いかん。
「明るいうちに抜けましょう」と、気合をいれて岩混じりの雪稜を上がっていくうちに、あたりはすっかり真っ暗になっていた。風雪で周囲がほとんど見えない状況。適当なピナクルから支点をとりビレイ。玉田さんがへ電を付けて登ってくるのが見えた。
さて、この先のルートがわからない。右に回り込むと縦走路に当たって終わりと思っていたが、右に回り込むと「底なしの闇夜」があるだけである。僕もへ電をつけてルート図を再度確認する。まだ終了点手前の小ハング下と気付く。へ電の明かりを頼りにホールド・スタンスを探り当て、ハングをノっ越す。しばらく進むと、ハーケンの打ちこまれたピナクルを見つけた。それを支点としてビレイ。玉田さんにやはり声が届かず、ただ力いっぱいザイルを引き上げるのみ。
「この先、どのようにルートをとればいいのか?」
トポを読んでも全くわからない。まさに一寸先は闇。覚悟を決めて岩壁の基部をトラバース。自分がどこを歩いているのかわかならい恐怖感がおそう。ザイル半分で玉田さんを呼び、ヒーヒーいいながら合流。せめて雪がやんでくれればなぁと思うが、自然の摂理は自分たちの都合がいいように働いてくれない。ザイルにつながったまま縦走路を探す。やっとのおもいで鎖を見つけた。
「鎖がありましたー」と叫び玉田さんを誘導。と、玉田さんの様子がおかしい。
闇夜の八ヶ岳の稜線で風雪に吹かれながら、玉田さんはボソッといった。「へ電の電池が切れた。。。」「予備電池持ってますか?」と聞くと、二つ返事で「ない」。。。(僕も「ない」)吹雪が強くなった気がした。
内心、こりゃビバークもありえるなぁと思い、「玉田さんツェルト持ってますか?」と聞くと、二つ返事で「ない」。。。(僕も「ない」)呼吸が少しだけ苦しくなった気がした。とりあえず地蔵尾根を目指す。
所々雪から出ている鎖を頼りに進む。10歩進んでは、玉田さんを照らすために降り返る。終了点おぼしきところから雪面を登りきると、道標が立っていた。へ電で照らしてみる。「!」。進行方向→に書かれていた文字は「横岳」。。。うーん。どうやら反対方向に進んでいたことが判明。時刻はすでに18時30分。悲壮感が増した。
方角を確認すべく、「玉田さんコンパス持ってますか?」と聞くと、二つ返事で「ない」。。。(僕も「ない」)心臓が少しだけ止まったような気がした。苦労して登った雪面を苦労して降り返す。
これで遭難したら、「無謀登山」で散々たたかれるだろうなぁ、と、意地でも降りることを決意。さっき苦労して登った急な斜面を降りながら、行者小屋に張ったテントと、そこに置いてきた装備の数々を思い出す。あれがいまここにあれば。。。と、妄想するが、時すでに遅し。
10歩、歩いては後ろを照らすということを何度も繰り返し、真っ黒で真っ白な稜線を進む。途中で、どこでもいいから下ってちゃおうか?という誘惑を感じるが、弱まることのない風雪の中、黙々と地蔵尾根を目指す。
19時30分。1時間かけてようやく地蔵尾根分岐に到着。遠くに展望荘の明かりが見える、これでようやく帰れる。安堵感でメガネが曇る。
だが、いざ下り始めてみると、地蔵の下降路が全くわからない。そういえば僕は、地蔵尾根を下ったことがなかった。玉田さんも数年前に下ったことがあるっきりだそうだ。1時間ほど必死に探してみたが、まったくわからない。どこでも下れそうで、どこもルートに見えてしまうのだが、確証が持てない。もし間違ったところを下ったら、、、といやな予感を振り払えない。そんなことをしている間にも、僕のへ電もじょじょに弱まってきているではないか! 今、僕のへ電が消えたら。。。と、良からぬことを想像し、メガネが凍る。
気が付いたときには、「玉田さん、展望荘泊まりましょう!」と、必死で泣きをいれていた。
20時45分 展望荘着
小屋番をたたき起こし、鍵をあけてもらう。2,3度のノックの後、ようやくドアが開いた。鍵を開けてもらうのがあと3分遅かったら、バイルで窓ガラスを叩き割っていたかもしれない。暖かい山荘に入り、安堵の喜びと自力下山できなかった敗北感に浸る。展望荘はちょうど正月営業最終日で、我々を快く迎えてくれた。ビバーク料金は朝飯付きで6000円也。
ようやく長い一日が終わった。すごーく幸せな気持ちで冷えた布団に入り込む。と当然、後悔の念も同時に襲ってきた。そんな中で今回の山行を冷静に分析しているうちにいつしか眠っていた。

今回はアルパイン1年生の僕にとって、学ぶことの多い山行であった。反省材料としては枚挙にいとまがないが、取り付くのが遅くなってしまったことや、装備の不足はもちろんだが、悪天候の夜中に行動することは決して珍しいことではなく、むしろそれを楽しむ余裕がなかったことが問題である。余裕がなかった理由として、いつでもビバークできるという装備・心構えがなかった、予備電池がなかった、自分たちの状況を把握できていなかったなど、反省は多岐に及ぶ。
経験豊かな皆さんが、「本ちゃんをなめるな」という真意がちょっと理解できた。それだけでもこの山行の意味は大きい。
「もし、展望荘がやってなかったらどうしていただろう?」などと、コタツに入りながら暖かい部屋でいくらシュミレーションをしてみても、すべて自分に都合が良いように解釈してしまう。現実は、稜線に吹きつけるあの風雪がすべてだ。やはりこの世界、自分で得た 経験が何より大きいと思った。改めてアルパインの奥深さを悟った。
そして、その経験を積むためには山へ行くしかないのだ!

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