北鎌から屏風

2000/9/1~4
メンバー:飯田、星山  飯田 記


この手記の屏風の部分はパートナーの星山さんと同じものです。同じ所を一緒に攀ってどれだけ異なる記億と感想を持つか、それが面白いと思い強引に星山さんを説得して2人で書いてみる事にしました。飯田は全て記億に頼って書いており、星山さんはメモを取っていたので、もしデータに関して異なる記述が存在するならばそれは星山さんの方が正しい記述です。
飯田は8月8日より11日迄北鎌尾根、そして横尾でパートナーを星山さんに交代して 12日より 15日迄屏風という計画で山行に臨んだ。もし北鎌で予定外の事が起これば星山さんに多大な迷惑を掛ける所であった。

槍ヶ岳北鎌尾根 飯田・他1

大学時代の恩師Tさん(男性です)が是非北鎌に行きたい、と言うので|司行する事にした。その恩師とは数年前に大学祭のとき学校で会い、ひょんな事からお互いに山に行っている婆がわかりそれ以来年に1回位広沢寺に行く関係となっている。
基本計画は、8日夜中房温泉泊り。9日夜大天丼小屋泊り、10日槍を越えてどこかの小屋、11日に上高地。そこで分かれ先生は東京に帰り、僕は横尾に戻り星山さんを待つと言うのが基本計画であった。
そこで金の無い飯田の案として、できるだけ先に宿泊場所を伸ばして時間を貯金して、核心部で時間に余裕を持たせる。その為にテントと寝袋及び炊事道具を一緒に侍っていく事にした。水は取れる所で4 L持つ。それを担ぐのは飯田である。 Tさんは水1Lと行動食及び雨具位を持っていく。またこの為に屏風でのガチャと食料を星山さんに託して、上高地迄持ってきて貰う事にする。
8日(火)曇り・雨  : 12時30分に中房温泉に到着する。コンビニで買ってきた弁当を食べて、1時に合戦小屋に向けて出発する。雨がバラバラ来始める。4時に合戦小屋に到着する。燕のテン場は一杯だとの事で合戦小屋でテントを張る。3.4人用のテントで2人は快適である。3時間の登りは翌日に備えての丁度好い準備連動となる。5時には雨も止み青空が見えてくる。夕飯はコンビニで買ってきた弁当を食べる。ここで食料を半分家に忘れてきた事に気が付く。これ以後11日迄飯田は1日1食しか食べないで全てTさんに食べさせる。何しろ全責任は食料を忘れた飯田に有るのだから。食量を忘れた事は槍に着くまでTさんには黙っている。

9日(水)曇り・雨  : 3時起床4時30分出発。燕を通り。余計なエネルギーを使わない為に、大天井岳は巻いてひたすら貧乏沢の出会いを目指す。大天井ヒュッテ辺りより雨が’パラパラ来始める。この後北鎌のコルに到着するまで、雨は降ったり止んだりで鬱陶しい1日となる。貧乏沢を下り北鎌沢を目指すが天井沢の徒渉点が見つからない。10分も上流に向かって偵察に行ってみれば天井沢は伏流となっている。北鎌沢の出会いで少し休憩してからケルンに小便をかけて出発する。4時に北鎌沢のコルに到着する。これで6時間の貯金ができた。

10日(木)晴れ.曇り : 3時起床4時30分出発。全行程にわたってTさんに先行してもらう。その方が充実感が有るのと、疲労が少ないから。何カ所かルートファインディングの難しい所も有るがおおむね問題も無く進む。但しトラバースが難しいというよりは、脆くて危険なところが有り、もし足場が崩れ落ちたらどうなるかと考えると冷や汗が出る。実際今にも崩れそうな脆い足場がある。昼頃槍の頂上に立つ。頂上で拍手の出迎えを受ける。ここで始めて2ショットの写真を撮る。それまでは全てカメラをぶら下げてTさんを撮りまくる。槍の小屋に降り、 1つのラーメンを2つに分けて食べる。ゆっくり休憩してから行ける所迄行く事にする。結局;槍沢小屋跡にテントを張る。この日は一応1日中晴れていて気分の良い山行ができた。

11日(金)晴れ : ゆっくりと起き、8時頃出発する。横尾で一休みし、飯田は荷物を置いてTさんを徳沢園迄送っていく。フィルムを渡し横尾に戻ってテントを張り翌日星山さんが上高地に来るのを待つ。この日は朝飯のみで昼飯夕飯共に無し。

穂高屏風岩  星山・飯田

12日(土)晴れ :  星山さんが上高地に着くのは朝の6時の予定だが、バスの到着が早くなる事があると聞き、2時に起き11時30分に横尾を出発して上高地に向かう。5時上高地に着き、寒い中を震えながら星山さんを待つ。結局バスはほぼ6時定刻に到着する。食料を持って来て呉れた星山さんが女神に見える。上高地で先ずバーナーを出して飯を食べる、その日は横尾に戻り T4尾根を偵察に行くのみにする。1ルンゼの上部には未だ雪渓が残っている。
夕方より天気がおかしくなり翌日が思いやられる。ここ迄来て何も攀じれないのでは余りにも惨めである。初日にあたる翌日は東稜を計画する。

13日(日)曇り・雨  : 3時起床雨がパラついていて鋭気を削がれる。しかし意を決して4時30分出発。天気が天気だからカメラを持たないで行く。余りにも冷たい横尾谷を徒渉したら陣痛を催す。
T4尾根末端で準備をしていたら後続が来たのでT4の攀じり方を教わる。解れば何という事のない攀じりである。ここは時間節約の為に9mmシングルロープで誤魔化す。T1を攀じりきって8時である。
飯田は東稜の場所を知らないと云うより資料を良く調べていないので、全て星山さんに任せる東稜の大部分を星山さんにリードして貰い飯田はフォローで楽をする。解説の通り快適な人工である。
下降は同ルート近辺を下降する。しかし少し努力しても完全に同ルート下降の方が、下降支点が解っているだけ安全であると思われる。何しろロープの降りている方にロープに任せて降りてしまったので下降支点が存在するか否か一抹の不安があった。それは雲稜で特に感じた(ロープの終了点間近に必ず支点が有ったのは僥倖というべきであろう)今日は1日中はっきりしない天気である。雨の中T4を泥だらけのロープで懸垂下降を行ったら環ビナにクッキリとロープの跡が付いた。これで人に自慢できる。しかし恐ろしい環ビナができた。
夜も雨が降り翌日が思いやられる。翌日は雲稜を計画する。

14日(月)晴れ : 3時30分起床。何の事はない満天の星空である。411寺30分出発。今日は天気が良いので愛用のカメラOM-1l(22mm広角です)を侍っていき星山さんの勇姿を撮る。
余りにも冷たい横尾谷を徒渉したら今日も陣痛を催す。星山さんを出産に誘ったが断られる。昨日と同じく8時にT4を攀じりきる。今日は快晴に依る余りの暑さに立っているだけで目眩がして鋭気を削かれる。
雲稜はつるべでいく事にし最初は星山さんが行く。星山さんのビレイポイントは殆ど安定しており座ってビレイができる。特に扇岩テラスは最高のビレイポイントである。飯田は不安定な立ちビレイが多い。星山さんの作戦勝ちである。雲稜も快適なルートである。特に東稜と違いフリーが多いだけに気分が良い。しかし最後の1ピッチは気持の悪い陰湿な泥ルンゼである。パスしたいが、画竜点晴を欠く事にならない為に攀じることにする。ここも時間節約の為にシングルロープで飛ばす。その前のピッチは、日本の岩場、に依ると1ピッチとなっているが実際には2ピッチ必要である?終了点で星山さんのパンを2人で食べて暫しの休憩をする。
2日共屏風全体で4.5パーティーしか入っていなかったので、我々は両日共ルートを独占出来、その点に関しては安全で快適な登攀ができた。

15日(火)晴れ  : 今日は帰}るだけである8日朝家を出て以来一度も服を着替えていないので(下着も含めて)気持ちが悪くて仕方がない。多分異臭を発していたのではないかと思われる。
テントの中で星山さんが何時も背中を見せて寝ていたのは臭いを嗅がない為だったと推測される。早く汗をかかない地点迄行き服を着替えたい。上高地では右岩稜を狙っている山口夫妻に偶然出会う。
これで飯田は生まれてから今迄に北アルプスの頂上を2つ踏んだ事になる。やはり北アルプスは他よりも眺めが素晴らしいし綺麗である。それも北鎌・屏風等より余程人の多い一般縦走路の方が綺麗である。北鎌ではパンツも含めて綺麗な服が一揃い落ちていた(拾ってきました)北鎌沢のコルにはハーネスが落ちていた(古いタイプで使えないの放ときましたが、本当は掃除の意味で拾って来るべきなのでしょう)。

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