谷川岳一ノ倉沢中央稜

1997/3/8
メンバー:木元・宮城  木元 記


暗いうちに指導センターを出たが、出合に着く頃にはかなり明るくなっていた。
天気は快晴、そのせいもあるだろうが、信じられない程クライマーが多い。所々岩の露出したテールリッジを慎重に登り、中央稜基部へ。我々は2番手で、1ピッチ目は宮城君のリードで右の雪壁から取り付く。ビレイ点直下の傾斜の強い部分が厳しく、私はそこでテンションをかけてしまった。
2ピッチ目は私のリードでバンドを左へ進み、ルンゼ状を直上。3ピッチ目はそのルンゼを離れて右のカンテをAOで回り込み、右上するのだが、結構嫌らしいところだ。
続いて4ピッチ目、フェイスを直上するのだが、先行パーティがつかえているため、途中のレッジでピッチを切り、宮城君に上がってきてもらう。しかし随分待たされた挙げ句に先行のトップが墜落し、まだまだ時間がかかりそうなので、安定した下のテラスヘー旦下降し、休むことにした。この下降中に宮城君がバイルを落してしまい、嘆いていた。ハンマーホルスターがはずれてしまったらしい。
さらに待ってやっと再スタート。宮域君がトップロープ状態で登り、そのまま続けて4ピッチ目の残りをリード。彼はフリーで登ったが、私はこのピッチの途中からアブミを使う。
そして5ピッチ目、核心部である。リードを交替し、なりふり構わずいきなり人工で登り始める。ビレイ点より4m程右上し、そこから直上するのだが、途中のピンが1本グラグラでアブミを掛けられない。下のピンに掛けたアブミの最上段に立って、上のピンに手をのばすがあとわずか、どうしても届かない。自分でピンを打とうかとも考えたが、その先も厳しそうだし、後続の2パーティを待たせるのも申し訳ないと思い、宮城君にリードを代わってもらった。彼は私が戸惑った箇所はフリーで一気に越えて行った。そのまま大きな遅滞もなくビレイ点へ。フォローしてみるとやはり厳しさはずっと続き、泥のルンゼに入るところで私はまたしてもテンションをかけてしまった。気温が高いせいもあって、水しぶきをかぶる、非常に嫌なピッチであった。
ここでちょうど13時半、他のパーティーと無線で交信する。一二の中間稜パーティは順調だが、石楠花尾根パーティは順番待ちがひどいため、進退を迷っているとのこと。我々も先行パーティの様子からすると、順調な登攀は期待できないため、上部は割愛してここから下降することにする。
ところがロープを降ろしたところで後続パーティからストップがかかる。登攀に差し支えるので下降は待ってくれとのこと。ここでの待ち時間は2時間以上に及び、天候も悪化してきたので今日中の下山は無理かもしれないと考えたくらいだった。
16時過ぎに下降を始める。3回の懸垂で烏帽子スラブ側の雪面へ降りる。宮域君のバイルは後続パーティが拾ってくれていた。中央稜基部までわずかにトラバースし、あとはテールリッジをどんどん下って行くだけだ。途中2回の懸垂下降のところでは、南稜を登ったYCCパーティのロープを使わせていただき、とても助かった。出合に戻ったときは、もう真っ暗であった。
さて今回は、私のいい所はまったくなかった。完全にトレーニング不足である。この山行の直前に、2回ばかりアイゼントレーニングをしたが、その程度ではほとんど足しにならない。やはり冬の一ノ倉を目指す者は、もっと登り込んでおかなければならない。
それに比べると宮城君はなかなか強かった。今回中央稜に取り付いていた4パーティ(山学同志会、我々、東京朝霧山岳会、労山千葉山の会)の中でも登りっぷりの良さは1番だったのではないかと思う。この冬は氷ばかりで、岩にはあまり自信がないとかいうようなことを言っていたが、不安はまったくなかった。
まあいろいろと反省点はあったが、冬の一ノ倉沢を登ることができてとても充実した山行であった。中央稜は私にとっては少々手強かったが、難しすぎて手も足もでないという程ではない。比較的取り付きやすく、ルート上からの下降もしやすいので、今回雪稜ルートを登って経験を積んだ人には、ぜひ来シーズンの目標の一つに加えてほしいと思う。

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