雪緩む荒沢尾根

1996/5/3~5
メンバー:桜井・松野・坂口  坂口 記


暑いね-。昨日我が郷土熊谷では38.4度を記録したとか。会社もお盆で誰もいないし、目下緊急の仕事もひと段落。テレビの高校野球も飽きたし・‥・。腹も減った。なにか社内でヒマつぶしにもってこいのものはなにかな。そういえば木元さん、今週末、沢に行くと言ってたっけ。冷たくて気持ちいいだろうな-。あっ、荒沢の原稿まだ書いてなかったな。ちょうどいいから脳味噌ぐらい涼しい思い出を浮かべてみるとするか。

前菜
春合宿、意気揚々と丸山組は信濃大町駅を後にして出発して行った。荒沢組の3人桜井さん、松野さんそれに私はのんびりセブンイレブン買い出し後、駅前でタラタラして、重い腰を上げ、ようやく一路タクシーにて大谷原まではいる。今日は東尾根を上り荒沢尾根終了点下部までの単調な尾根歩きに終始する。林道から尾根に取りつくまでが荷もあってかなりきついが、天気は上々、踏み跡もしっかりあり2時項到者、整地・テント設営後お昼寝。

スープ
翌朝5時に出発する前日に下降地点から20メートル程度桜井さんがステップを切っておいたので、そこから急峻な南股沢を一気に下る。たまに上部より小粒の落石がカラカラと滑り落ちてくる。天気はどうやら良さそうだ。一時間で荒沢尾根基部へ到者。先行パーティーが取りついているのが確認できる。

魚料理
いよいよ荒沢尾根の始まりだ。まずは尾根の右側、北股側に回り込みグサグサの斜面を尾根に出るべく直上。Ⅰ峰から「希望のコル」までは岩壁の右側面をブッシュに入りながら上って行く。「希望のコル」に上がると先行パーティに追いついた。おじさん2人にお姉ちゃん1人。
ややあって我々もここよりザイルをだす。 桜井さんがリ-ドということでまず5メートルほどのブッシュ混じりの露岩を上って行く。私はアイゼンのため思うように動けない。すでに泣きたい気分だ。いやらしいブッシュ帯を抜けると広い斜面にでた。そこから2ピッチでやっと尾根の直下に達した。ザイルは目一杯伸びるがランニングは取れない。スノーバーなぞもってないし・・。直下はクレパスが気持ち悪く開いており、この下に転がったら脱出できないだろうななどふと不安が脳裏によぎる。
3人で煙草をふかし、さて出発という時、なんたることだ!私はバイルをクレバスに落としてしまった。ほんのちょっとしたことでバイルは静かにゆっくりと滑りながら消えていった。その間4.5秒はあっただろうか。まだ1度しか使ってない新品である。完全に意気消沈状態に入る。次の尾根に出るピッチでは動揺し、ルートを聞違えて4メートルほど滑り落ちた。下が安定していたから良かったものの、もしノーザイルで止まらなかったらとゾッとする。

肉料理
あいかわらず桜井さんはサクサクとザイルを伸ばす。もちろんほとんどランニングは取れない。いや、彼は取らないのだ。ザイルの流れ上、まあ下までは落ちないだろうと判断しているのだそうだ。スバラシイの一言に尽きる。雪面トラバースでは上からバイルを降ろしてくれるなどいろいろ不慣れな新人にお助けがでる。感謝の極みである。しまいには一部分を除いてほとんど私がバイル使っていた。
時たま雪崩のすさまじい断末魔の悲鳴にも似た轟音が谷を覆う。あいかわらず先行パーティは遅く、待ち時間が長くなってくる。イライラする桜井、松野氏を私は尊敬の念をもって見つめる。
この辺り両側はすっぱりと切れておりかなり高度感があるが、リッジの露岩でランニングが取れるのはうれしい。あれはたぶんB峰だとおもうが先行パーティのリードがリッジの斜面をトラバースし始めた時、反対側つまり北股側の4トントラック大の雪庇がボコッと、あくまでも静かに垂直に落ちていった。やや間はあった。最大級の爆音が谷全体に響く。我々は声もです一瞬呆然としながら、もしあの上に乗っていたら・・と恐怖心が駆けめぐる。とはいっても、もうこの場所から敗退することはできない。

サラダ
それでも桜井さんは勇猛果敢に、いや、実にあっさりと難所を突破する。やっとA峰に到達した。これで荒沢尾根自体は終了した。あとは20メートルの懸垂をして2ピッチで東尾根にもどることができる。といってもやはり先行は遅く懸垂点で1時間ぐらい待つ。  すでに5時を回っており、「残業」を覚悟する。先行が雪に埋めたスノーバーを支点に松野さんから懸垂を開始する。続いて私が下りる。途中、尾根右側の露岩に懸垂用のハーケンが確認できる。スノーバーがもったいないなとも思うが、もうこの時間だ。コルでは先行のお姉ちゃんがひとり寂しくビレイをしていた。どうもブッシュの中にラインをとった彼らは苦戦しているようだ。
すでにあたりは暗くへ電をだす。我々はブッシュから右側に抜けて上部の雪面を直上するルートをとることにした。どうも私のへ電が電池切れか調子悪い。足下真っ暗の中、ブッシュをこわごわこぐ。途中松野さんが何度か私の足下を照らしてくれる。
桜井さんは太い潅木でビレイしていた。雪が降ってきた。急がねばならない。もう休んでいる余裕はない。私は朝、無線のためにと背中に入れた新品の電池をへ電にセットする。一面自分の視界がひろくなった。これで精神的にかなりの余裕ができた。
坂口、松野でそのまま雪面を直上するが、まだ稜線には到達しない。とにかく真っ直ぐ進むしかない。コルから3ピッチ目、松野さんがクレバスに下半身を落とす。
「助けてくれ!」と隣で叫ぶが、あの独特な悲壮感ない言い方なので、私は「ちょっと待ってて下さいよ」と悠長にバイルで自分を確保した後、ピッケルを松野さんに差し出しゴボウで引き抜く。そうとは知らない桜井さんからは下から「何やってんの?!」と激が飛んでくる。

デザート
やっとのこと稜線にでた。固く三人で握手を交わす。すでに時計は9時だ。風雪も強くなり一刻も早くテントに入りたい。先行パーティのおやじと2・3言葉を交わし、東尾根を下降する。今度は桜井さんのへ電がつかない。接触不良だと思われる。
桜井さんをセカンドにして下るが暗くてテントの位置がわからず焦る。朝テントをとりあえずたたんでデポ状態にしたのが裏目にでてしまった。
それでもなんとか発見。テントを設営し、お茶を飲む。時計は10時だった。早速食事、それと疲れていても酒宴はかかせない。いままでの緊張感がうそみたいにほぐれてゆく。「ぐずぐず理屈こねるガキは荒沢に連れてけ!」が合言葉となった。

コーヒー
翌日は惰眠をむさぽる。天気も雪がちらつきあまり良くない。鹿島槍本峰もやめてひたすらゴロゴロする。無線で天気を下界の人に教えてもらうなど暇をつぶしていたが、午後下山を開始する。登ってきた時と比べかなり足場が悪く怖く感じた。方向感覚も私はにぶっており、トップで歩いてなくて良かったと思う。大谷原の釣堀からタクシーを呼び、一路大町へ。駅前の旅館で風呂に入り、うさん臭い焼き肉食い放題で時間をつぶし、その夜、そそくさとアルプスで帰京した。
この合宿は私にとって久しぶりに強烈な思い出となった。雪山ではほとんど縦走路からはずれたことのない私にとってあまりにいろいろな経験が飛び込んだ。
最後にこの無知な新人を快く、いやな顔ひとつせず受け入れてくれた桜井さん、松野さんに礼をいいたい。

おっと、そろそろ西日が当たり始めた。誰か誘ってど-ルでも飲んで帰るとするか。夏合宿の洗濯もある。う~ん、び~る、び~る!

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