一ノ倉沢中央カンテ

1994/6/4
メンバー:松元・鈴木博・山本  松元 記


烏帽子は一昨年博逆さんと変形チムニーを登った。それ以来奏さんと「凹状に行こうよ、中火カンテ行こうよ」と云いながら中々実現せず、今回はと思ったら中丸さんと行くところが決まっていたようだ。それではと博道さんを、脅しおだてて下手にお願いし、同行をしてもらうことになった。私も博道さんも岩登りのポリシーなんかぜんぜん無く、誰と、どこに、トップであろうとラストであろうと登れれば、一向に構わない口である。同じロの裕二郎がパートナーがなく、あぶれていたのを例のセブンイレブンで見つけ引き込んだ。
4時起きの5時出発と云う予定で、ビール1本程度でやめる。
眠い目をこすりながら起きる。ボーとした頭痢と違って、天気は快晴岩はカラカラ、最高の登攀日和だ。雪渓もテールリッジまで続き、いとも簡単に岩場に取り付けそうだ。ただ眠く休も本調子がでないが、直ぐに戻るだろう。
中央綾の取り付きに着くと、すでに取り付いている我々のパーティーがいる、まじめなものだ。このまじめさを会社に持って行けば直ぐに、課長、部長とエリートコースに乗れるのだが。山だけだから駄目なのだ。
中央カンテも南稜、中央綾と並んで人気ルートの一つの為か、既に2パーティ取り付いている。
裕二郎トップで7時スタート。2ピッチ凹状をトラバース、早速凹状のパーティより落石を受ける。ルート自体それ程むずかしく無いが、落石で神経を消耗する。最初の核心チムニーにぶつかる。変チと違ってチムニーは狭く短いが結構てこずる。このあたりになると混雑し、テラスが団子状態になり待ち時間が多くなる。変チとぶつかった例の核心部手前では、4パーティ11人が時間待ちで狭いテラスにあふれ、核心部を越えていく一人一人を、22の目でジーとみている。その目を見ると、ほとんどの目が「へたくそ」と批判しているようだ。
裕二郎のアブミが、カラカラと岩にぷつかる音が、何故か耳ざわりで神経をいらだたせる。本当はこの部分をトップでやりたかったのだが、こう混雑常態では下手っぴが時間をとってしまうと、へたくその目が、「馬鹿野郎帰れ」の批判の目に変わりそうなので止めとくことにした。博道さんと同時に強引にAOで突破する。前回は当然ながら、ラストでもアブミの世界であったが、今回は少しだけ進歩したせいか、AOで突破出来た。でも次の核心部はどうしてもAOのピンまで手がとどかず、博道さんに先に行ってもらいピンに長いスリングを掛けてもらって、どうにか突破出来た。
四畳半テラスでも休まず、ただ裕二郎を急かせて終了点まで、ルートもそれ程難しくなく、最後の脆い場所だけは気を使い、無事終了1時。
今回は稜線回りを止め、6ルソゼ~南稜を下降する。6ルンゼの下降は、暗い井戸の底に下って行くようであまり気持が良く無い。30数年も前、ビブラム底の登山靴で、ぬれた6ルソゼを登ったのだから信じられない。今回は岩がカラカラに乾いており、その分だけ快適に降りられた。最後の南稜のフェースに山口、本郷、佐藤がおり合流して下る。
裕二郎には最初から最後まで、博道と2人で負担を掛けてしまった。裕二郎も例の事故以来初めての、一ノ倉沢だそうだ。終了まで一言も言わず。我々2人はぜんぜん知らず、始終トップをやらせ、さぞかしプレッシャーがかかっただろう。
博道はちっとも進歩していないが、その点裕二郎はたいしたものだ。精神的にも技術的にもずいぷん進歩した。もうちょいテクニックを覚えれば、いっぱしのクライマーになれる。博道のように□でいっばしのクライマーにならないように祈る。

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