衝立岩右フェースルート

1993/5/16
メンバー:松野・遠藤・本邦・桜井  桜井 記


5月の連休明け、谷川の解禁直後は天気も安定して、本谷の雪渓使えるとあって絶好のクライミングコンディションである。
今回のメンバーは立木、佐藤(寿)がミヤマ、下野、佐藤(弘)が南稜、そして我々4人が右フェースの計画で、松野、佐藤(寿)、桜井が先に東京を出発している4人と一ノ倉の出合いで合流することにした。
この時期唯一の欠点は、指導センター手前のゲートが降りて車で出合いまで行かれないことである。ロープウェイ駅の前に車を止めて、先行パーティーが宴会をやっているだろう出合いへの歩を進めるが、何の気なしに指導センターをのぞくと大勢の人に混じって立木、本郷、遠藤が一緒に酒を飲んでいるのが目に止まった。
話を聞くと都岳連の救助隊と立川山岳会が一ノ倉尾根で遭難したパーティの捜索に来ており、救助隊員である本郷と顔の知れている立木さんがつかまり、7時から飲んでいるという。私も岳連の森田さんに呼び止められ、あまり不義理も出来ないのでとりあえず一杯だけ酒を飲み、寝ている下野と佐藤(弘)を起こして明日早いので失礼しますと座を辞した。
一ノ倉の出合いへ行く道すがら、例によってエッチな話やらバカ話などしながら歩くが、相当酒を飲んでいる本郷チャンはベロベロに酔っていて「明日右フェース頑張りましょう」とでかい声でさけび私の手を握ってくる。
やっと着いた出合いの駐車場でテントを張っていると出合いまで行ったメンバーが「すげー雪の量だよ、まるで黒部・立山アルペンルートだ」と言う。この時、私は意味が分からなかったが、後で出合い迄行って見ると謎が解けた。出合い手前の道からブルドーザーで除雪して両側が3m位の雪壁となっている。本谷へ上がるのに雪壁を登るトレースになっている。この時期一ノ倉に入るのは7年目くらいだが、こんな風景は始めて見た。
5/16 時間のかかるミヤマを目指す二人が出ていったのも気付かず、我々は6時に起きて7時に出発した。天気は予想通り快晴である。テールリッジを辿り衝立岩の基部に着くと先に出て行った立木パーティか登っているのが見える。ミヤマには別のパーティが取り付いており、先行がいたのでA字ハングに変更した様だ。
我々は支度をして衝立の基部をトラパースしアンザイレンテラスより懸垂で下りてロープを結ぷ。私が一番先にいたので本郷にビレイを頼み登りだす。
右上からトラバース。ダイカンと別れてさらに右へ行くとボルト3本の安定したテラスに着く。右フェースの取付である。桜井、本郷と松野、遠藤というオーダーで私から登り出す。
1ピッチ目、ピナクルレッヂまで8mフリーで登り潅木に乗りアブミをかけてAA2のグレードが付いたピッチが始まる。残置は適度に有るが、ほとんどが古く、浅打ちでおまけに下を向いているハーケンもあり、細いシェリンゲでのタイオフの連続となる。ピンの打ち足しこそ無いもののどれも信用のおけるものではないので、利きのチェックはあなどれない。ピンが悪いと言われる岳人ルートよりも悪く感じた。墜落を想定して少しでも衝撃をやわらげるべく全てのピンからランナーを取っていく。それでも落ちたらほとんどがぶっ飛んでしまうだろうと思いながらロープを伸ばす。
途中で2本程ナイフプレードを打ち足してやっと1P目を終了した。このビレイポイントも貧弱で古いスリングに抜けたボルトも何本かぶら下がっている。ここから下降したのか懸垂用のピナが一枚付いている。ロープをフィックスしてフォローの本郷はユマーリングとする。
ところが登り出してすぐ、潅木をはさんでダブルロープが左右に別れていて、その通過にカを使ってしまった様で、続く左上のハングは完全に宙に浮いた体勢になるので、かなりしんどそうだ。
後続トップの松野が追いついて回収を手伝ったりして結局ピレイポイントには3人揃ってしまった。隣のダイカンにもこの時間から男女のパーティが取り付き出した。結局これが後で大変なことになる始まりだった。
2ピッチ目、本郷リード。左上していき5~6mの所で動きが止まる。ピンが悪いのだろうか、ギヤを取り出しプロテクションを設置している様だ。しばらくねばっていた様だが前進用のトリプルが不安定で決まらないとのことで降りてきた。松野を交じえて相談し、下降しようかとも思ったがもう一度私がトライして見ることにする。
本郷の到達点迄行き、さてと考える。トリプルをクラックに決めたいがフレアしていて仲々決まらない。おまけに今乗っているハーケンも動く。左上に延び上がりフレーク状の岩の向う側にロストアロー#6をたたき込み、さらに念を入れてナイフブレードを重ね打ちする。これにアブミをかけ乗り移り、さらに左のボルトにクリップしてトラバースをする。ここから直上し、もう一回アブミに乗ると5級のフリーが3mぐらいあり、ボルトが2本打ってあり一安心。さらに左ヘトラバースして桔れた潅木にシュリンゲを巻きアブミに乗るが、これが太い木なのだが大きく動きごっそりと抜けそうである。
さらに左へ延び上がりアングルピトンを打って乗り移る。ビレーポイントも見えてきたがここからはフリーの範囲だが外傾していてホールドも乏しい。何とかピンを打ってアブミを掛けたが、リスもなく中々決まらない。やっと浅打ちでナイフブレードを入れタイオフにしてアブミに乗る。さらに2m程でビレイポイントであるが、チップの見えるボルト3本に古いシェリンゲが掛かっている。次のピッチのラダーを2ポイント登りアブミを残置して連結して補強する。後続はラインが左上で曲がっている為、ユマーリングはせず、フォローとする。
本郷が登って来てビレイポイントの近く迄来た時、浅打ちのタイオフに乗ってピンを抜いてしまった。大きく振られビレイポイントのすぐ下の宙に放り出されたが幸い事無きを得た。
3ピッチ目はカンテを右へ越えてフェースを左上していくボルトラダーであるが、身長1m位の人が打ったと思われる程の近さでボルトが続いている。フォローではあるが登りながら何か可笑しくなってしまった。ダイカンの三ピッチ目終了点のビレイポイントに合流し、後はダイカンの最終ピッチ、右上から北稜へのトラバースで終了である。
次は私のリードする番だが、下の2ピッチで疲れたので本郷に行ってもらいたかったのだが、ダイカンのトップも合流して来てテラス上が狭いので体勢を入れ変えるのも難しいので、そのまま私がリードする。右フェースに取り付く前からダイカンと合流したら終ったも同様だと話していたので、まあいいかと思いながら行くが、思ったより易しくはなかった。おまけに下のパーティに渡っているギアが多くランナウトになりがちである。
このピッチはすべてアブミに乗って行けると言った人もいたが、フリーのトラバースが多く仲々いやらしい。北稜に出て終了。だいぷ時間も遅くなり我々が終了した時点で4時を回っていた。
ここで待っていても後続が追い付いて、懸垂で渋滞してしまうので先に下り、コップスラブの下で待つことにする。降り馴れている北稜だが、(私自身今回で9回目)最終ピッチの下降点が崩壊していて新しいシェリンゲが岩角に回かれて残置されていてちょっと戸惑った。
さて、日も暮れて待つこと3時間、ダイカンのパーティも先に下ってしまい松野たちを待つが伸々現われない。北稜に抜ける前に夕闇に掴まってしまったかと心配になる。ダイカンパーティと合流した時に我々後続パーティと協力して登りますからと言っていたので、フィックスなどして一緒に下りて来ると思っていたのだが、そのパーティはずいぷん前に先に下りてしまっているし、時折見えだし
たヘッドランプの明かりに一応ほっとする。
合流してビバーグも考えたが出合いで待つパーティのことや、明日の仕事のことを考え、決して下りられないルートではないので下降を決する。明るければ何でもないが、念を入れてロープを使い掠奪点までロープを使う。皆、元気な様だが、暗闇での行動は視界が効くときと比ベ2倍から3倍位の時間がかかる。
一番心配していた衝立前沢上部の雪渓が残るトラパースで一人づつロープを使ったりして時間をとられ、前沢の下降に入ったのは日付も変わり1時を回っていた。あとは時間こそかかるものの安全地帯に入ったので気は楽だ。結局出合いの駐車場にもどっきたのは3時近くになっていた。
テントの中で心配して寝ずに待っていてくれた立木さん達の仲間に申し訳ない気持と感謝の気持で一杯であった。毎度のことではあるが、幸い事故もなく無事に帰ってこれたが今後の教訓にしなければならない山行であった。
水上インターの手前のセブンイレブンで空腹を満たすと、東の空が明るくなってきた。

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