双六岳周辺の山スキー

1993/5/1~4
メンバー:江本・他1名  江本 記


5/1
6時40分新穂高発。左股の林道を1時間10分歩くと雪の世界となる。スキーにシールをつけて進む。ガスッているが、なんとなく明るい。ワサビ平の小屋は広々としたブナ林の中にあり、気持ちのよいところだ。
ブナ林を抜けるといよいよ沢筋に入る。左側からのデブリを超えると、広大な雪面が上の方にせり上がっている。ガスとの境目あたりの雪渓を10人ぐらいが登っている。
昨夜ワサビ平の小屋に泊まった人たちだろう。あそこまで行くのに、尚2時間ぐらいかかるような気がする。ガスは次第にはれて視野が開けてくる。下の方から続々と登山者が上がってくる。6:4ぐらいの割合でスキーヤーが多い。
例によって余分な荷物を持ちすぎたためか、私のピッチは次第に遅くなる。(アルコールにしたって、ウイスキーに酒とビールだものな)照り返しが強くなり、したたる汗でゴーグルがすぐにくもる。喉がやたらに渇くが、水筒の中身は酒だ。しかたなしに雪を食っている。30分ごとに休み、休憩も長くなる。いくつものパーティーが追い越して行く。
弓折岳から抜戸岳に連なる白銀の稜線が、青空にくっきりと浮き出ている。急峻な支沢からの大きなデブリが沢の中央まで張りだしている。
大ノマ乗越しからの大斜面を3、4人のスキーヤーが、思い思いの弧を描いて滑ってくる。実に気持ちよさそうだ。
登っている途中から気になっていることがある。コンロのヘッドを車に置き忘れてしまったのだ。食料を一杯持ってきており、カートリッジも2個持ってきているのに、肝腎のヘッドがなくては調理が出来ないではないか。何たるドジだ、そのくせアルコール類はしっかり持っているのだ。これじや山行の資格がないも同然だ。
俺ももうろくしたものだ。明日の天気がよくないという予報なので、今日のうちに小屋入りしなければという気持ちと共に、もうひとつ気乗りがしない大きな理由がそれだった。
鏡平と大ノマ乗超しへの分岐に着いた時は1時40分を回っていた。荷は重いしバテ気味だ。このペースだと明るいうちに小屋に入れないだろう。おまけに火はつくれない。決断するには十分すぎる理由となった。戻ることにする。
食料やアルコールなど今日必要でないものをザックから出し、ツェルトにくるむ。重しがわりにアイゼンをいれておき、雪上にデポする。上を見れば、鏡平への急斜面をスキーヤーや登山者が辛そうに登っている。晴れている分バテるのだ。
スキーで下るということは、なんと楽なのだろう。苦しみから快感に変わる。登りに4時間以上かかったところを30分ぐらいで下りてしまう。2時30分ワサビ平の小屋着。今夜はここに泊まることにする。小屋に荷物を置いて、新穂高に置いてある車にヘッドを取りに行く。新穂高は観光客が沢山入っていた。
この夜、缶ビールを2本と水筒の酒を飲み干した。少しでも荷を軽くしたいからだ。宿泊者は30人ぐらいで、自炊の人は少ない。(2食付きで6800円、金さえ持てば荷を少なくして楽に登れるのだ)外に出てみると月に傘がかかっていた。

5/2
明け方、小屋の軒先から流れ落ちる雨垂れの音で日が覚める。予報通り気圧の谷に入ったのだ。明るくなっても、雨が弱まる気配はない。小屋の若い管理人が、無線で双六小屋と連絡をとる。上は雪だという。2、3パーティが出発する。私も7時ちょっと前に出る。
荷を減らした分、また雨天のためもあり、昨日よりは快調なピッチで大雪淡を上がって行く。休みもほとんどとらない。デポしてあったところにツェルトが見つからず、心配したが雪に埋まっていた。ニのあたりは雪になっていたのだ。そこでパッキングをして、鏡平への急斜面を上がって行く。この登りで、年配の登山者が一人追い付いてきた。(この人は私よリ2才上で、わさび平の小屋で親しくなった)また、二人の若いスキー登山者も一緒になる。鏡平の小屋は雪に埋まっていて形も見えない。晴れていれば槍がよ<見えるところだという。
いよいよ弓折岳への2時間の急登となる。スキーをザックにくくりつけ、アイゼンをつけて登る。時折、猛烈な風がみぞれまじりに叩きつけてくる。吹き飛ばされそうになるのを、ストックにつかまり、前かがみになつて耐える。
風が少し小止みになると、ひたすらピッチを早める。再びごおーっという音とともに強風の襲来...。通りすぎるのを待って、また登りはじめる...。
視界はほとんどなく、ただ直登あるのみだ。そろそろ頂上かと思って上を見上げるとゆれ動くガスの中を、熟年の竹内さんが必死になって登っている。
12時20分 弓折岳。頂上を少し越えたところで、竹内さんが待っていた。4人が一緒になって進む。(私以外の3人はこのコースを経験しており意を強くした)
ゆるい登り下りとなり、晴れていれば稜線漫歩といったところだ。体は濡れて冷え切っている。手袋もびしょびしょだ。みぞれというやつは雪よりも始末が悪い。しかし確実に双六小屋が待っているのだ。歌の文句じやないが黄金の御殿というやつだ。風に振られよろめきながらも、期待と安堵感が私の胸の内にあった。
最後のピークをなんとなく超えてしまうと、ルートは左に出て斜面をトラバース気味に下ってゆく。先行する3人のピッチが上がり、右に回り込んで見えなくなる。這松と岩のミックスした歩きにくい斜面に出ると、目のしたに雪原がひろがっていた。
そして...や、見えた、あれは双六小屋ではないか!意外と近くに、山に挟まれた小雪原の果てに小屋はあった。雪原に出ると、そこは強風の通り道になっていた。
猛烈な風雨が顔に突きささり、体を押し戻す。まともに顔をあげていられない。この最後の平坦な400mがなんと長く感じられたことか。
2時10分、双六小屋着。(殆ど休まなかったせいか、コースタイム8時間の行程を40分以上短縮した結果になった)
小屋の入り口は雪の廊下となっており、たくさんのスキーが立ててあった。風で倒れている板も多い。玄関に入ると右手のガラス戸のむこうは食堂になっており、大勢の人が談笑していた。荒天で行動出来ないため、昼間からビールや酒をやっているのだ。
こちらは歯の根も合わないぐらい震えあがって指先の感覚もしばらくは戻らない。
素泊りの宿泊者は別棟になっており、吹き抜けの短い通路で本棟とつながっていた。二階に上がると、こちらでも車座になって楽しそうに呑みかわしていた。私と竹内さんは上段の隅に自分たちの寝場所を確保した。滞れたウェアを脱ぎ下着まで全部取り替える。バーナーを空焚きし、手をかざして暖まる。
本棟には小さい乾燥室があり、濡れたものを干せるのが有り難かった。部屋に戻ってみると、竹内さんは布団に入って寝ていた。小屋に入った時は青い顔をして「いやー、ひどかった」といって震えていたが、安堵感から疲れが一気に出たらしい。それにしても来年定年だというのに、よく頑張る人だと思った。
食事をとった後、食堂のストーブのそばへいって一杯やる。囲んでいる人たちと、山やスキーの話をする。昨日笠から上がってきて明日槍へ抜けるという、山屋の若者達もいた。写真を目的で来ている人もいて、その人が「最高の装備はお金ですよ。一番軽くて確実だから」というのを聞いて、そういう登り方もあるのだなあと妙に共感を覚えたりした。実際ここでは三食の食事も付き、ビールも酒もウイスキーも置いてあるのだ。
やたらに背負い込んで自ら苦しくするような登山はもうすべきではない。自分の体力の限界を常にわきまえるべし、と実感した今回の山行でもあった。

5/3
夜中じゆう荒れくるった暴風雨が、朝になるとけろりと収まっていた。まだガスにおおわれているものの、谷を隔てた向こうの山肌が少しづつ見えてくる。
良かった、行動出来るぞ!ここには40人近い一つの団体客が入っていて(富山県の指導者が双六小屋と提携してスキーツアー募集を行なったもの)8時過ぎ隊列を組んで出発した。
8時20分私も出発する。殆どのスキーヤーはシールで登っているが、私は板をかつぎアイゼンにした。まだ登っているが、風もなく雪は固くアイゼンの効きがよい。
双六岳へは小屋の横の急斜面を行かず、信州側を捲き気味に上がっていった。
頂上近くで団体ツアーと一緒になる。昨夜の食堂での彼らのミーティングでは、三俣蓮華から黒部源流に下り、登り返して弥助沢を下るというコースをとると話していた。
私の行きたいコースでもあるので、彼らの滑りだす方向を見定め、そちらについてゆくことにする。このあたりはガスっていて方角がわからないし、なんといっても未知のフィールドに対する不安があった。
傾斜のゆるい尾根を滑りだすと、雪はクラストしていてガリガリと音をたてる。調子にのつてリーダーの先に出て待っている。リーダーに声をかけられる。
「あなたはうちのパーティの人ではないでしょう」「飛び入りで参加してもいいですか」「だめだ、だめだ。みんな金をもらってるんだから」「すみません。あっちへ行きます」すぐ反転して丸山沢の方へ向かう。
急な斜面を斜滑降で入り、下の方の様子を見る。ガスが上がってきて、急斜面の下はカールの底のような緩斜面になっているのが望めた。勇気づけられジャンプターンから入ってゆく。きれいに決まる。いつの場合でもそうだが、最初のターンに成功するとあとはスムースにゆくものだ。クラストした大斜面をジャンプターンを繰り返す。カラカラカラという音が私の存在感を余計にかきたてるようだ。なんというぜいたくだ、この北アルプスの大斜面を俺一人で滑っている!
カールの底で止まり、嬉しさのあまリヨーデルを歌いまくる。上の方から「ヤッホー」という声が戻ってくる。左岸の尾根の高みをスキーをかついだ人たちが登っている。一度滑りおりて、登り直しているのだろう。
山々はすっかり姿を現わし青空がのぞいてくる。カールを出ると再び急傾斜となり、開けた沢に入って、次第に緩やかになってゆく。 先行者のシュプールがついている。
間違いなくこれが丸山沢なのだ‥‥‥本多勝一が朝日新聞の紙上で「歓喜、感嘆の連続、文句なしに最上のコース」と書いた‥‥。
沢に入ると雪はザラメとなり、実に滑りやすい。自由自在にシュプールを描く。一気に下ってしまってはもったいないので、樹林帯になったところで小休止する。
このあたりは森林限界で、明るく開けた谷の両側は、シラビソや岳カンバにおおわれている。のんびりとして心の和むひとときだ。沢の上部で歓声が起こり、七、八人のスキーヤーが青い空をバックに滑り降りてくる。振り子状になって広いので、自在にターンがきれる場所だ。
先を越されたくないので、立ち上がって板をつける。20度ぐらいの斜面をウェーデルンで下ってゆくとやや狭くなり、すぐ開けた出合いに飛び出す。湯股川だ。雪を割って豊かな水音が聞こえている。(ここに出るまでゆうに3キロを越える滑降となった)
尚も右岸の樹林帯を滑って行くと、5分ぐらいで右からの沢に出会った。樅沢だ。木立の点在するこの明るい小広場で休憩とする。缶ビールで喉をうるおす。時間はたっぷりあるし、雪深い信濃川の源流のほとり、北アルプス山中深くにいる幸せにしばし身を委ねる。
シールをつけて樅沢を上がる。沢の入り口は狭いが、ひとつ曲がるとすぐ広くなり、上部までよく見渡せる。ゆったりした沢筋も次第に急になり樅沢岳に突き上げている。
上部で右にルートをとれば双六小屋だ。ピッチがはかどり、1時間10分で双六小屋直下の這松帯に出る。いま登ってきた樅沢を見下ろすと、素晴らしい斜面がほとんど直線的に湯股川に向かっている。これを見て滑らずにおくものか。ピッケルやアイゼンなど不要な物を這松帯に置いて、斜面に飛び出す。はじめ40度近い急斜面だがジャンプで入り、安定したターンで雪面をとらえる。雪質は最高だ。上部を小気味よく刻み、下部の緩傾斜をスピードに乗って突き抜ける。
爽快、痛快、ただ歓喜あるのみだ。1・5キロを5分たらずで滑りおりる。たらたらになったところで、スキーを脱ぐ。(戻りを考えて出合いまでは行かない)
下から三人の若いスキーヤーが上がってきた。彼らも丸山沢を滑ったという。小屋泊りではなく、テントを張っているそうで、あの嵐の中よく耐えたやのだ。
3時40分 双六小屋。もう一本どこか滑ろうかとも思ったが、満ち足りていたのでやめにした。
この日の夕方、缶ビールが売り切れになった。私は無くなる前に一本買っておいた。(ロング缶800円)受け付けの女の子が、今日太郎小屋から入ってくるパーティがあるという。もしかしたら成田さんもくるかもしれない、そのときの祝杯用にと思ったのだ。(しかしあの嵐の中ではまず行動出来ないので、今日の到着は無理だろう)

5/4
素晴らしい朝となった。小屋の窓から驚羽岳の端麗な姿が望めた。日の出を見るべくカメラを手に外に出る。明け方の肌寒い風が心地よく感じられる。
何人かの人たちが小屋から出てくる。樅沢岳のほうに登ってみる。おりから上がってきた朝日を浴びて、三俣蓮華から驚羽に至る雪峰がモルゲンロートに輝いている。西の方に目を転ずれば笠ケ岳の特徴あるピークがいち早くピンクだ。
昨日滑った樅沢は樅沢岳の頂上から滑り込めば、更に充実感のあるコースとなるだろう。
7時20分 竹内さんに別れを告げて出発する。双六岳へはアイゼンを効かせて直登する。ちょっとしたアルバイトだが、傾斜がある分高度を稼げる。振り向けば槍や穂高の大観が開け、いやが上にも期待が高まる。
8時40分 双六岳山頂(2860m)。槍、穂高をメインにして、笠、黒部五郎、薬師、鷲羽、水晶、遠くは立山、白山まで360度さえぎるものもなき展望、久しぶりに北アの大観を楽しむ。
山頂には8人のパーティがいて、下る準備をしていた。そろそろとリーダーが滑って行くとガリガリという音。陽はあたっているが、まだアイスバーン状なので、緊張する一瞬だ。後続者も斜滑降で減速しつつ大斜面に入って行く。左側の山陰に回り込んですぐ見えなくなった。
9時10分 いよいよスタート。スリバチ状の圏谷で、雄大そのものだ。急斜面の固い雪だが、思い切って突っ込むときれいにターンがきまる。下るにつれて雪がやわらかくなり、パラレルからウエーデルンと自由自在だ。はじめの段に降りたところで止まりいま滑ってきたところを振り返る。山頂ははるか上だ。スキーの機動力を思う。
正面を見れば弓折岳の稜線の向こうに、槍と徳高が一際高くせり上がっている。斜面はまた急になり、次の段を過ぎるとこんどはやや狭く沢状となり、両側は岳カンバが点在している。見通しのきくコースをまっすぐ滑りおりてゆくと、双六谷の谷底に出る。9時20分。
8人パーティが休んでいた。ここは左側から浅い沢が出合っており、双六小屋への連絡ルートになっている。
本谷を尚も500m滑ってゆくと谷は右折し、シュプールは左岸にトラバースしている。ここから大ノマ乗越しへの急登となるのだ。板を担ぎアイゼンをつけて登る。
いくつものパーティが先行している。急斜面だがバケツが掘れていて、以外と歩きやすい。雪の照り返しが強いので木陰に入るとほっとする。1時間弱で大ノマ乗越しに出る。槍や穂高を眼前に仰ぎ、素晴らしい大斜面が展開している。
乗越しは狭く、スキーヤーでいっぱいだ。折しも小屋に泊まっていた大パーティが(37人とか)滑りはじめたところだった。(かれらは双六岳にはいなかったので、小屋から直接双六谷に下りたのだろう)滑りだしは35度を超す急斜面だが、次々と思い切りよく突っ込んで行く。雪質はよさそうだ。テレマークで滑っている人も何人かいて興味深い。団体が下の方で止まったのを見て、私も飛び出す。
この大斜面の中では、人は蟻つぶのように見え、何人滑っていてもほとんど気にならない。自由自在にコースがとれるのだ。単独の気楽さで先行者を全部追い抜くと、今度は自分だけの斜面になる。
滑りにくいデブリを越えると雪渓が終わり、水の流れが現われてくる。ここで休憩。水を飲んだり食事をとったりする。グレープフルーツがうまい。
ブナ林に入リワサビ平の小屋を過ぎて、滑って行くと、広い川原に出る。山旅のフィナーレを飾るべく、最後の休憩とする。双六小屋で買った缶ビールで乾杯。
青空を映して水の流れがのどかだ。ここまで高度差にして1500mを滑ったことになる。
1時40分、新穂高着。蒲田川の露天風呂につかりながらしみじみ思う。来て良かった。こんなにも満ち足りて幸せなゴールデンウイークを近年経験したことがあったろうか。仲間を誘ってまた来たい。

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