丸山左岩稜偵察記

1993/11/6~7
メンバー:立木・飯島・遠藤  遠藤 記


秋口から少しお馴じみなったアルプス号。11月の頭、紅葉と雪のまだらな季節、ホームもひっそりしている。ひと月前の喧噪が懐かしく、心なし寂しい。
八王子で飯島さん乗車。プラブーツ姿のバリバリの冬装備。少し浮いている。明日に備え、エビ型にて就寝。
タクシーから見る山々はそこそこ白い。数日さかのぼった天候を尋ねると、悪くなかった模様。しかし山の向こうの事、のぞいてみなければわからない。フラットソールかアイゼンか、効率の良くない荷物な事よ、と少し恨めしく思う。
おまけに秋ダイヤ改正で朝一のトロリーバスが8時半と、扇沢についてア然とする(11月4日から)。大きく出遅れることとなってしまい、少々あせり気味にアプローチを稼ぐ。
見上げる立山連峰は、真白に冬化粧しているものの、内蔵助平への路、雪はまったくない。が例によってアプローチのしんどさに愚痴がでる。川は下っているのに上りばかりが長く感じる。日頃の怠慢さをののしり反省、そして忘れる。抜きんでて楽なアプローチなのに…。
出合から10分、壁に雪はなし。目印になりそうな大岩の影に不用のものを思いっきりデポ。プラブーツ、アイゼン、手袋、目出帽…。せいせいした。最後にビバーク用ウイスキーをチェック。
天候も小さな気圧の谷の通過があるものの大きなくずれはない模様。さっそくフラットソールにて取付へ。左岩稜末端を少し左へ周り込んだフェースから登攀開始11時半。立木氏リード。取付点の木の上、青いゴミ袋が揺れている。冬に備えての目印であろう。
木登りとフリーで松の木テラスヘ。ザイルは45m程伸びる。いきなり冬の1P目となる。表裏にした夏冬のルート図をひっくりかえす。冬ルートのほうがピンが多いのかしら? 先が少々おもいやられる。
2P目、同じく立木氏リード。左にフェースをトラバース、周り込んだところから直上?といっても最初の3、4m程は、フェースと平行する。アイゼンでぎたぎたの木を登り、程々のところでフェースに乗り移る。木登り、木くぐり、ザックがひどくじゃまだ。
3P目、飯島氏リード。木登りとフリー、20m程で外傾した広場に出る(アペンディックスなどの終了点)。ザイルをひきずり、15m階段を登る。
4P目、ボルト連打に移る。初めて木登りから解放されたピッチ。例によって、独り言を言いながらの飯島氏のピッチは速い。ほぼラダーだが、2、3ヵ所ピンのばらつきがある。ここらへんの記憶が冬、ピンの掘り出しのスピードに大いに影響するなあ、と思いつつフォローしたのだが、今となっては心もとない。洞穴テラス直下15m程の凹角下で切る。30m位のピッチ。
5P目、ポロ凹角、同じく飯島氏リード。後続がないのを確かめて、大きな浮石を整理する。洞穴テラス着3時半前。まだ陽も高い。この洞穴、床がガタガタなものの、巨大チョックストーンを天井に、棚付、人のかおりのする2畳ほどのワンルーム。これ以上おいしビバークサイトを通り過ぎるに忍びない。ルート図では随所にビバーク適地アリとなっているが、本日はここにてビバークと決める。
幅1m程の大バンドが20m強続き、その先ブッシュがきれて南東壁に出る。
登攀中じゃまだった潅木は豪華な焚き火を提供してくれた。水を除いては余裕あるビバークとなった。
黒部ダムの灯がポツリと見える頃、洞穴に寝場所を確保、背中のデコボコが気になるものの朝になればそれなりに収まっていた。
翌5時起床、薄いガスがたち込めあまり天侯はおもわしくない。6時半、開始。ここで少し手間取る。4、5m先の小凹角にピンがあるもののあまりの近さにもう少しトラバースをする(ルート図には1Pトラバースとある)。結局南東壁の懸垂ピン?のやや右、草付を直上。昨日1日フォローに終わり働きのないエンドー、少々ブーブー言いながらいく。どう見ても凹角には見えない。草付直上から右上気味の木登り。懸垂ピンにランナーを取ったため、ザイルのZがはなはだしく重い。30m位、バンド少し手前で切る。6P目終了。
バンド上を戻る方向に20m程ザイルをひきずりトラバース、大テラスに着く。やはり最初の小凹角か正解だったよう? それにしてもこの大テラス、昨夜に劣らず適ビバークが約束できそうである。精神的に少し楽になる。
右にカンテを周り込み、腐りかけのブランコの揺れる取付から7P目、エンドーリード。木登りから人工に移る。このピッチ、手袋、カメラ、ヘッデン…。いやに冬の置みやげが目につく。小凹角下でピッチを切る。30m。後続の両氏ユマールにてフォロー。
8P目、凹角から木登り。
9P目、立木氏にリードを交替する。クラックからチムニー。チムニーの中に消えてしばらく、ザイルに動きがない。と、4m程上の岩の上にひょっこり現れた。
飯島氏と歓声をあげる。胎内くぐりのようである。何のことはない、ルート図にチョックストーンのチムニーと書いてある。初見で判断できなかっただけのこと。後で思えばお粗末な話しである。
フォローのエンドー、ザックのスポンジの厚さに泣く。最後は、アブミに乗りながら頭でザックを押し上げ、抜ける。そこでやっと状況が飲み込めた。飯島氏、何の苦もなく到着。「ザック共々やせよう」と心に誓う。
テラスに雪が目立ち始める。力づくの木登りを2Pで、ザイルをたたむ。しばらくの木登りから傾斜もゆるみ、雪を踏みしめながら、プッシュをこぐ。きれいにたたまれたザイルの残置にドキッとする。終了してホッとして忘れれたのだろうか?1ヵ所フイツクスを使っての露岩の乗っ越しがあったものの30分くらいで北峰頂上に到着。1時半。
雪を溶かしてコーヒーで一息。こんな時は雪が有難い。木の上に一斗カンのデボが見える。富士の折立から別山、剣と継続パーティのものであろう。天候も回復し、派生するそれぞれの尾根が望まれる。継続登攀。こんな時に頭に焼きつくのであろう。
汗がひける頃、下降開始。北面は真白である。最初、少々それたものの忠実に主峰目指して、やせ尾根を下る。150m程下ったろうか、飯島氏が指導標を発見。当初の予定もコルまでの問の適当なルンゼを下ろうとの事。このルンゼを下りてみる。フラットソールでは雪面が滑りやすく、1、2回の懸垂交じりで内蔵助平へ降り立つ。足首はどの雪の中右へ右へと周り込み登山道に合流、雪がぬかるみに変わりまったくなくなり、デポ地に到着5時。けっこう長かった。
なお、下降には北尾根が有効であろうと推測する。側面から見て1ヵ所切れているものの、ラッセルがカットでき、ルンゼの雪崩も避けられる。
5時半、再びプラブーツで、ダムへの路を急ぐ。出合あたりで日が暮れる。ヘッデンの灯りの中、汗がしたたり落ちる。心臓破りの上りを終え、トンネルの灯りにホッとする。これがいけなかった。いったん気を抜くと後戻り不能。トンネル内を亡霊のごとく歩く。トロリーバスの有難さ、トンネル工事の人たちの苦労がザックの重さとあいまって骨身にしみる。
道々懸念していたタクシーと扇沢でコンタクトがとれた。情けない話し、バンザーイがでた。
アルプス号で死んだように眠りこける。日付が替わって月曜日、今日一日を思うに皆一様に気は重い。
最も、快適な条件で山行か終った。結果はまったく楽々でなかった。多くのピッチを立木さんにまたしてもまかせてしまったし‥。
厳冬期を思うに、多くの課題が残る。あと1ヵ月半。

後記:諸条件により、ルート変更し、実現成らずとなってしまった。が何時かといわず、ぜひトライしてみたい。

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