1992年 冬山合宿 八ケ岳パーティ 八ケ岳小同心クラック

1993/1/2
メンバー:秦・字賀田・根布・松元  松元 記


1時間寝通ごしてしまった。7時に赤岳鉱泉のBCを出発する。既にに小宮君と成田君は赤岳主稜を目指して出発した後だった。
急な大同心稜をあえぎながら登る(私一人だけが)。阿弥陀ケ岳や南アルプス方面に大きな雲が出始め午後まで持つか不安になる。
大同心南稜には3パーティが取りついている。昨日我会の、下野、根布、成田の3氏が完登している。思えば1年前美濃戸で山口、立木両氏の後に隠れ、こそこそと逃げる様に下山して行ったあの下野が、今では大同心南稜を登り元旦の宴会を指揮り7時半には閉め、挙句の果てに私に説教をたれ全員を寝かしつけた。いやはや1年間で良くも変わるものである。
小同心には1パーティ取り付き、取り付き点に1パーティがいるだけだ。急な大同心沢をトラパースする。凍っていたり岩が露出していたりで結構悪い。
ふっと今日のクライミングがいやになりこのままBCに帰りたくなった。こう言う気持ちが「体力(精神力)の限界で」と言って、スポーツ選手が引退する大きな理由なんだなあとか、単なる精神力の欠如だ。これを最後にクライミングを辞めよう等々。とにもかくにも、こんな考えが年をとった証拠である。ようは精神力が持続しなくなったのだ。
この急斜面をザイル無しで降りるより、難しくても小同心を登った方が安全である。此処まで来ると小同心を登るより如何に安全に下山出来るかが第一優先である。
強風も吹き出しとても寒い氷点下10度である。9時30分秦君がトップで登攀を開始する。既に40分もテラスで強風に叩かれ骨の髄迄冷こんでしまった。時よりザイルが風に流され弓なりになる。又ビレーしている体がよろける。2番手私と根布さんが登りだすが、根布さんの早いピッチに追いたてられ息切れがする。途中より垂直になりだすがホールド、スタンスが豊富な為か結構楽である。
2ピッチ目奏さんビレーで、トップを根布さんと変わる。私はラストの宇賀田さんをビレーする。今度は奏さんの後から登るが、根布さんの早い登攀ピッチには驚くかさせる、又ランニングビレーを全然取っていない。「大したもんだこんなルート、ルートで無いのかなあ」等話ながら登るが、最後の10m位が垂直でちょっとしょっぱい。
この小同心クラックは31年前に登っているが、リッジに跨りりビレーをしたことと、そのリッジより鉱泉小屋と行者小屋が眼下に見えたこと、ただそのことだけしかを覚えていない。その馬の背テラスが出て来ない。登った人達に附いても判らない様だ。第一3ピッチで終るなんて居じられない。当時は30mの麻のザイルを使用した。1ピッチせいぜい25mから8m位、当然今の40mピッチではテラスも違う筈だ。
最後のピッチも難なく超え小同心の頭に11時40分に着いた。4人で平均年齢43歳の叔父さんグループにしては、以外と早い2時間10分の登攀だった。
既に阿弥陀や赤岳はガスに隠れ、風も強くなりだした。先行パーティはザイルを出して稜線まで、岩と雪空のミックス帯を登っている。我々は一気に稜線目がけて雪壁をトラパースするが、雪煙がひどく目も開けられない。
30分位の間にガスが周りを隠してしまった。本当に幸運だった。きっと後続パーティは、小同心の頭から稜線までルートが分からず、苦労するだろう。2時30分帰幕。

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