湯檜曽川本谷

1992/8/13~15
メンバー:川崎・秦・斎藤  斎藤 記


穂高に行ってしまった仲間をうらやみ、受験勉強疲れと合宿に参加できない無念さに半ばやけになりながら川崎さんに電話すると、「それなら湯檜曽川本谷に行こう」と言ってくれた。私が新年会で今年の目標としたところだ。偶然休暇の取れた奏さんも誘って13日夜東京を出発、湯檜曽のステーションホテルに直行する。
翌日目が覚めると、心配していた天気も快方に向かい、晴れ間が覗いている。半分諦めていただけに嬉しい。土合まで車で入り、8時に新道を歩き出す。途中道を間違えながらも、10時半に武能沢と本谷の出合いに到着。小休止の後、本谷の遡行を始める。
ところがいきなり魚止めの滝に阻まれる。ルート図には6mとあるが、本流の滝だけあって圧倒的な水量が轟音をたてて流れている。数日間天気が悪かったので、増水しているようだ。その左をAO(シェリンゲが掛かっている)で超えるのだが、岩がすべすべで掴みどころがない。しょっぱなからハーケンを打ち足し、ザイルを出す始末である。川崎さんが先に行ってなんとかこれを超えるが、続く右岸のゴルジュのバンドもいやらしい。少し高巻きをして、沢床に下降するが、これだけで1時間半もかかってしまった。
なんでも江本さんはここに一人で来たことがあるそうで、3人一同改めてその度胸のよさに感心する。結局ここが一番の核心であったと思う。
その先はそれほど問題はなく、十字峡手前の60mの大ナメに達することができた。といってもその間にはゴルジュがあり、その左岸の岩をやや高巻き気味に進んでいく。一見底の知れない深緑の渦はいやらしい。泳げないわけではないが、私はどうも水には親しめないようだ。特に去年の丹波川本流と小室川で揉まれてからはそうだ。大ナメは本流を遡行していることを十分認識させてくれる水量で、一瞬本当に行かれるのかと思ったが、難なく越えられた。却て十字峡を過ぎた抱返り滝の取り付きのほうが悪く、「ザイル、ザイル」と叫ぶが、先に行ってしまった川崎さんは轟音で聞こえないらしい。落ちても濡れるだけで済むところなのだが、底知れぬ淵が恨めしい。仕方なくいやいや登ったが、奏さんに聞いてみると、やはり「ザイルが欲しかった」とのことだった。続く高巻きも快適とは言えず、生い茂る樹木に遮られた下から瀑音だけが聞こえて来る。
その先の10m滝はザイルを使ったものの、足場が比較的よく、核心の大滝(40m)も案外あっけなかった。下部はノーザイルで簡単に登れ、上部も一見すべすべだが、ホールドがあった。、むしろ次の2投10m滝の高巻きが悪い。草ばかりで木が少なく、冷汗が出る。ガイドには何にも書いていない。
大滝を越えると、水量が少なくなる。大滝で技沢が流れ込んでいるためだ。大滝から二俣までは2時間のコース。タイムを半分で行けた。決して急いだわけではない。ルート図がいい加減なのだ。疲れてはいたが、私はここが一番気に入った。赤茶色の地に黒い縞模様が刻まれたナメが美しい。
6時に二俣のキャンプサイトに到着。テントが3張ほど張れる草地で、蓬峠に続く稜線と朝日岳の前山が見通せる眺めのよいところだ。早速枯れ技を集めて、焚き火の支度をする。ところが湿り気があるせいか、なかなか火が着かない。1時間ほどねばった未、溶かした蝋燭を滴らせて着火剤とする。今度はなんとか燃え出し、気持ちが和む。酒もたっぶりある。川崎さんが焼酎4合、私が紙パックのワイン (1.5L)を持っていた。ところがこの日はあまり酒が進まず、川崎さんと奏さんで焼酎2合。かなり長い間飲んでいたが、奏さんはいつのまにか焚き火の側で寝入ってしまった。酒の飲めない私はこの日は例外で、いつもならコップ1杯のワインを3杯飲む。結局川崎さんは翌日水源近くで余った焼酎を水筒から捨て、私は我れながら御苦労なことに1L近く残ったワインを背負って土合まで歩くはめになった。山に行って酒が余るなどとはうちの会では前代未聞のことではないだろうか。12時頃テントに入る。雲の切れ目から輝く星と明るく冴える満月が明日の好天を約束している。
翌日は5時に目が覚める。戦略上まず川崎さんを起こすが、前日同様起きてくれない。勿論奏さんは論外だ。結局起床は7時半、その揚げ句テントを干すことになり、出発は9時になってしまった。本チャンの岩登りなら考えられない。のんびりしたものである。
この日は少なくなった水と戯れながら快調に進み、2時間半で稜線に出られた。ただし川崎さんは二日酔いでパテ気味だ。我々は沢筋を忠実に詰めたが、水源の手前に右に上がるはっきりした踏み跡があり、そちらのほうが近道かも知れない。最後はササの生い茂る踏み跡を行くが、ひどいヤブ漕ぎではない。稜線から頭上は目と鼻の先だ。朝日岳からは上越国境の山々がほとんど見渡せる。ただ一ノ倉のほうは大きな積雲が掛かっていたのが残念だ。山頂の真下は池塘が点在する草原で、素晴らしいの一言。1時間の大休止を取る。
12時半に下山を開始する。ガイドに「夏は大抵バテる」とある通り、強い日差しを受けてのしんどい登り降りが続く。太陽が時々綿雲に隠れ、少し風があるのが幸いだ。 もしカンカン照りなら、きっとバテていたに違いない。笠ケ岳、白毛門の登り返しも1Lのワインを背負う一身にはこたえる。これらの頂上では必ず大休止を取った。これに最後の白毛門からの一気の急な下りが追い撃ちをかけ、土合に着いた時は3人共バテる寸前だった。
腹が減っていたので湯檜曽ですぐ食事をし、温泉「湯テルメ」(この公営浴場の発見も今回の山行の一大成果だった)に浸かって、裕二郎さんのお見舞いにいった。裕二郎さんは集中治療室などというところに入っているわりには元気そうで、退屈そうにテレビを見ていた。 山行も無事成功し、温泉に浸かり、お見舞いもできたので、3人共大いに満足する。
だがその先がいけない。10時に月夜野の病院を出て、関越でひどい渋滞に巻き込まれた。私はすぐにその日中には帰宅できないことを悟り、奏さん宅に泊まることにした。いっそのこと覚悟を決めて翌日の午後、一緒に鷹取に行こうなどと話していた(この日は土曜日だった)。ところがその期待も空しかった。横浜に着いたのが翌日の朝4時半。これでは奏さん宅に泊まっても夕方まで寝てしまうと諦め、始発の電車で家路に就いた。

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