八ケ岳横岳小同心クラック

1992/2/10
メンバー:木元・斎藤  斎藤 記


冬の八ッに入るのは今回が三回目。年末の冬合宿が初めてだから一カ月余りに三度も来た勘定になる。今ではすっかり見慣れた八ッの岩峰群の中で初めて見た時ひときわ目についたのはなんといっても大同心だ。が自分の実力ではどう見ても当面は無理である。僕の目は自然とその右に移った。大同心よりは数段見劣りするものの、それでも険しいがん岩峰が天を衝き、白い雪をまとったちょうどその真ん中をはっきりとした一本の黒い線が縦に走っている。それが小同心クラックだった。
一目見ただけで登攀意欲をそそられた。これなら自分でもなんとかなりそうだと思った。
チャンスは思いがけず、近いうちにやって来た。2月10日5時40分、真っ暗な中をへッ電を点けて歩き出す。苦しい急登を囁ぎながら急ぐが斎藤が遅れて途中、一パーティーに抜かれる。取り付きに付いたのが7時半頃、すでに二パーティーが先行していた。
約一時間後に木元さんのリードで登攀開始、最初からかなり立っているが、ホールドが豊富で快適な登りである。他の八ッの岩場と比べて、なにより岩がしっかりしている。20m余りでピッチを切る。が2ピッチ目の最初は難しかった。木元さんは難なく越えて行ったが、僕は足を置いたところが悪かったらしく、手を置いたまま足が動かせなくなってしまった。腕力で押さえながらじたばたしていたが、ついに力尽きてあえなくテンション。なんとか登っていくと「次が核心ですけど、大丈夫ですか」と木元さんは心配顔である。
三ピッチ目は核心である。しかし、このピッチは予想に反して難なく登れた。クラックを詰めていって、体が入らないほど狭くなったら横に移るのだが、両足を思い切り開いてクラックの両側にかけたら簡単に左のフェースに移ることができた。思うにアイゼンをつけた登攀は最初の足の置き方次第で、後が難しくなったり、簡単になったりするような気がする。
ところが最後のピッチが大変だった。木元さんが登って行って、ザイルが伸びきったが、何分たっても「ビレー解除の声」が聞こえて来ない。おかしいと思って、何度か呼んでみたが、一向に返事がない。変だと思って待ち続けること三十分、木元さんがザイルを固定し、こちらの見えるところまで降りて来て「登っているの?」と幾分むっとした表情をしている。上でずっとビレーをしていたが、僕が一向に姿を見せないのでしびれを切らせて降りてきたのだった。
わずか40m一寸の距離なのにお互いの声が全く聞こえないのだった。これはこの時上空で強い風が吹いていたので、声が流されて届かなかったのではないかと思われる。ともかく迂闊であった。木元さんには寒風の吹く中で長いこと持たせて申し訳ないことをした。
気を取り直して登り始めたが、最後のピッチはクラックが狭くて体が入っていかない。なんとか足は安定しているところに掛かったのだが、ピッケルが岩に引っ掛かって、上に上がれなくなってしまった(この時はハーネスの右にアイスハンマー、左にピッケルを差していた)。そのうちに腕が疲れて二度目のテンション。
体勢を立て直して帯び取り付くが、今度はシュリングが引っ掛かってしまい、もたもたしているうちに力尽きてまたもやテンションである。それでもなんとか突破して、小同心の肩に出る。さらに頭に登ってコンテで横岳の真下まで行き、最後に木元さんのリードで項上に出て、登攀終了。11時半頃だった。
今回の登攀は悲惨だった。自分で考えても甚だ不満である。「もっとゲレンデに行かなくてはだめですね」。いつも余計なことは言わない木元さんの控え目な言葉は真実であるだけに耳が痛かった。
アイゼン訓練を多少なりともしていたとはいえ、思えば手袋を着けて訓練をしたことはなかった。とにかく小同心クラックは課題として残ってしまった。来年は是非余裕を持ってリードしたい。

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