剣岳春合宿 (剣沢パーティー)

1992/5/
メンバー:松元・古川・宇賀田  宇賀田 記


春の剣に行ってみたい。厚い雪におおわれた峰、黒々とした岩壁!さんさんとふりそそぐ太陽のもとでピークをきわめたいと常々おもっていた。一昨年もチャレンジしたが雨にたたられてあえなく撤退となった。
今回は、松元、古川両氏と同行、再度の試みとなった。新宿11時54分発の臨時アルプス84号の指定席を松元氏が手配してくれた。大町からはタクシーをとばし、扇沢での待ち時間も少なく、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイなどを乗継ぎ、室堂に8時すぎ到着、順調なべースである。
準備をして早速出発、外へ一歩でるとそこはまぎれもない冬山であった。鉛色の空がおもくのしかかるような曇天、ただ風はたいしたことはない。ミクリガ池に沿って、雷鳥沢へいったん下る。谷底には色とりどりのテントが40張り程、白い雪面に花が咲いたようにちらばっていた。あたりはスキーヤーが思い思いの方向にスキ‐で滑走している。
いよいよ別山乗越の登りにさしかかる。標高差500mの急登である。上部にさしかかってからは急に風が強くなり雪を舞上げる。剣御前小屋に11時到着、小屋の裏手にまわって風を避けるが、ものすごい風圧におされ、早々に剣沢に下降することとした。急いだ為か剣沢テントサイトに12時前に着く、ここで我々より1日早く出発した、秦氏のパーティと無線連絡を取るべく、盛んにトランシーバで試みるが不可。真砂沢方面へ向かう途中、三ノ恋から長次郎谷を下降して来たという2人パーティと出会い状況を訪ねたところ、長次郎上部は雪の状態が非常に不安定であり、熊岩付近にはテントは設営されていなかった。又源次郎尾根基部にテント2張りが設営されていたとのことであった。
このことから秦氏パーティーは熊岩付近にはいない、もしいるとすれば源次郎基部のテントか? ということになる。しかしこの後一人のろうあ者が剣沢を登って来るのに出会い。手振り身振りで尋ねたところ、源次郎尾根基部のテントはこの人達のものと判明(雪標山の会であることが東京に帰ってから分かった)。秦氏パーティーの行方について不安がつのった。
私は長次郎出合いまで行く事を松元氏に強く主張したが、連絡の取りやすく又、古川氏の体調も今一つということもあって、剣沢のテントサイトへ戻ると判断を下した。テント設営2時30分、風ますます強くなる。雪面は雪が吹き上げられブリザードと化す。
不安な夜がふけ、連絡は取れず、テントの除雪を2回行う、風強し。
朝突然トランシーバーから連絡が入る。長次郎上部は風が弱いが、視界は思い、天候の回復が見込めないので、下降するとのこと、我々はテントを撤収して待機、合流することになった。待つこと3時間。合流後剣沢を登り返す。視界は10mに充たない、ホワイトアウトの状態、竹のポールを見失ってしまった。先頭を膝までラッセルで進む。
私に松元氏から「もっと右だ」と声が飛ぶ、だいぶ右へトラバースしているつもりがだが、風が強いため、先行者のトレースはまったく消えてしまい、判別出来ない何かキツネにつままれてしまったような不思議な気分となる。そのうち雪面がクラストしてきた。すぐ後をトラバースしていた秦氏の姿が一瞬消えた。滑落だ!
白い雪面を秦氏の赤いヤッケがスローモーション映画の様に動いた。幸い怪我は無いようである。
別山乗越を通過しても、風、視界とも悪く、なおかつ雪面のクラストは硬くなり、これ以上は危険と判断、小屋に避離した。
翌日風は強いものの天気は快晴、純白の剣が神々しく輝いてみえた。
今度こそあの峰にこの足で立ってみせるぞ、それまでしばしのわかれだネ!

戻る

Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Google Bookmarks