春山合宿 剣岳池ノ谷ドーム稜

1992/5/2~
メンバー:山口、山本、斎藤、村上、本郷、長谷川、佐藤、楢岡  山口 記


(本郷以下4名は当初、剣尾根を計画していたのであったが、天候とルートの状況が悪い為にドーム稜へ変更した。)

5月2日 馬場島~池ノ谷ゴルジュ~二俣

明け方の4時頃、馬場島に到着。テントと2台の車に別れて仮眠をとる。
目覚めてから登山指導センターへ計画書を提出しに行き、池ノ谷ゴルジュの通過が可能か否か聞いてみたが、不明とのことであった。
「今年は昨年より積雪が少ない為、ゴルジュの通過は無理な気がします」と言うが、剣を見上げるかぎり随分雪が多いように思った。
馬場島から1時間程の道路歩きで取り入れ口の堰堤に着き、ここから白萩川を右(左岸)へ渡り、堰堤を右から回り込んで越えると、すぐに右岸への渡渉となる。水量少なく水の冷たさに悲鳴を上げる時間が短くてすんだのは幸であった。
続いて巻き道を残置ロープづたいに降りてから河原歩き。再び左岸の雪渓へ飛び石づたいか、倒木の上を歩いて渡る。この雪渓を10分も歩けば池ノ谷の出合である。
ゴルジュの通過が可能かどうか不安ではあったが、とにかく池ノ谷に入ることにした。入ってすぐ、目の前の尾根に落石が発生。 各自ヘルメットを被って間隔を開けて進むことにした。ほどなく滝にであったが雪渓の崩れは小さく滝の左側を巻き気味に越した。
この先は問題になるところは何もなく、雪渓歩きでいともあっさりと、ゴルジュ帯を通過してしまったのである。小窓尾根の600mピークを越える一般ルートとはおよそ比較できないぐらいの楽さであった。
ここから二俣はすぐそこに見えるのだが、これが以外と遠く、単調な登りを1時間程も続けなければならない。
二俣でしばらく休憩。さて、右俣へ向かおうかと腰を上げて上部を眺めると、何時の間にか雲が低くたれこめ、奥壁の末端すら霞んで見えなくなってきていた。
これは天侯悪化の兆しと判断し、上へ行くことは取り止め、剣尾根末端のオーバーハング下の雪のテラスを広げてツェルトを張ることにした。
ツェルトを張り終わる頃には風雪が強まり、時々、雷も鳴り出すが、雪が直接ツェルトに当たらない為に快適なビバークとなった。

5月3日 二俣~ドーム稜登攀

雪はやみ高曇りの天候である。二俣を出てすぐにラッセルが始まった。最初は膝下ぐらいが膝上になり、とうとう腰までもぐる程になってしまった為、トップは空身になって交替でラッセルを続ける。
冬と違い雪質は湿っぽく、雪崩は起きないだろうと判断はしたものの、もしかしたらとイいう不安感に胸を締めつけられるような思いで登り続けた。
奥壁末端を回り込み、ドーム稜基部(壁状ルンゼ入り口)に着いたときにはラッセルと雪崩の恐れからようやく解放されてヤレヤレと思ってはみたものの、安心するにしてはまことに足場が悪く、急傾斜の雪面にステップをつくって立ったままの状態であった。この時、佐藤がせっかく苦労して登ってきた右俣へ転落してしまったのである。
雪面はフカフカであり、ケガをすることはないだろうし、すぐに止まると思って見ていたのだが、右俣の傾斜の強さを証明しているかのようにかなりのスピードでいつまでも転がり続け、およそ150mほどの転落になってしまった。
コールをかけると元気な声が返ってきて、すぐに登り返し出した。(私だったらもう嫌になってそのまま降りてしまうかもしれないところである。)
佐藤が戻ってくるまで待っているのも時間の無駄と思い、上へザイルを延ばすことにした。人数が多いのでトップは1ピッチ登り終えたら、ザイルをフィックスして、セカンド以下はユマールで登る。
まず、氷の付着した岩を右斜上して雪稜上でピッチを切る。途中ハーケンを1本打ったがザイルの固定はブッシュと岩角にシュリンゲを引っかけて行った。この後、全てのピッチが同じような確保支点の取り方であった。
次に壁状ルンゼ内の雪壁登りとなったが、期待していたアイゼンを効かせての登攀にはならず、ラッセル気味になってきたため、3ピッチ目からは左の稜線に出て登る。
ブッシュが所々顔を出していたのだが、フィックスのための支点にいいものが得られずこの支点づくりの方に時間がかかってしまう。
岩には5月の山とは思えないほどに氷雪が着いていてハーケンを打つリスが見当たらず、ようやく見つけてもハーケンが入らないか、入っても回りの岩が剥がれてしまうことが多かった。
この尾根をさらに3ピッチザイルを延ばすと、岩場に突き当たるが、ここからルート図上のドーム綾上半部の登攀になるのである。しかし、困ったことにこの頃から天侯悪化が本格化して風雪が強くなり出してきたのであった。
グレード3級のピッチが続くのだが、氷と雪に覆われた岩稜は予想以上に困難で、まさに冬期登攀そのものになって、順調にザイルを延ばすことができなかった。おまけに、夕闇が近づいてもいるので、ビバークサイトを探しながら登ることになった。
8ピッチ目終了点から右手の岩場基部に広々とした感じに思える雪面がボンヤリと見えた。しかし、雪壁を40m程トラバースしてそこへ行ってみると、巾1mにも満たない雪のバンドで、とても8人がビバークできる広さではない。岩場の石上にも一見よさそうな感じのところが見えたので1ピッチザイルを延ばしてみたが、とてもビバークできるような場所ではなかった。
しかたなく、ザイルを固定し下降、この雪のバンドを切り拡げることにした。
拡げては見たものの8人が立っていていっぱいという最初の広さとそれ程変わらないような広さにしかならず、しかも、吹きすさぶ風雲のなかでのビバーク準備には、全く気が滅入ってくるような作業の連続で、バサバサはためくツエルトの中に体を入れるだけでも一仕事である。
ツエルトの中に入れば入ったで、狭い空間の中での炊事が、これまたうんざりしてくるほど面倒臭い。村上がまめに動いてくれたので助かった。
「これでも冬壁のビバークの中では、いいほうですか?」と斎藤に尋ねられて、「まあ普通だな」と答えてはみたが、ちょっと考えてみて(やっぱり、普通ではないなあ)と答えたほうが良かったかなと思った。
ともかく、夜の明けるのを待つしかないと、やっとのことでシュラフに入れば、隣のツエルトから「はじにいる楢岡が落ちそうだからもう一人分詰めてくれ」と言われ、ますます身動きのとれない状態になってしまった。雪は降り続き苦しいビバークとなった。

5月4日 下降~二俣

天侯は回復せず、吹雪は弱まる気配すら無い。お茶と行動食だけの朝食を済ませツエルトの外に出る。もしやと期待したのだが、やはり視界は悪い。
前日固定したザイルを回収し、とにかく登ることにした。
左にトラバースしてドーム稜に出る。ルートは岩稜通しにことられているのだが、かなり悪そうなので、中央ルンゼ側の雪壁にルートを求めて30m程登った。
ところが、ドーム稜に取り付いたとたん、中央ルンゼから吹き上がってくる猛烈な風に襲われる。おまけに何んという寒さだろう。一瞬、5月ではなく正月の山にいるかのような錯覚に陥る。
確保中にいろいろ考えてみて、やはり、こんな状況の中、この先8ピッチを8人で行動することは危険と判断、セカンドで登ってきた本郷に「隆りよう、とてもじゃないがこれじゃ無理だ。これ以上登ったらとんでもない事になると思う」と告げると、すぐに同意してくれた。
ただちに昨日の登攀ルートに沿って下降を開始する。
まず、昨日の8ピッチ目終了点からリッヂ通しに懸垂し、降り立って回りを見渡してみる。ルートからそれ程離れていないはずなのに、どうした訳か記憶にある地形が全く見当たらないのだ。
さらに1ピッチ懸垂してみると、驚いたことにこの吹雪きの中2人パーティーが登って来るのに出会った。これで一応ルート通りに降りてきたことが確認できたのである。
次にザイル回収のことを考えて、ルート右側にザイルを降ろして懸垂してみたが最初の時と同じくまたもルートが全くわからなくなってしまったのであった。
続いて2ピッチ懸垂を繰り返すが、どうしても壁状ルンゼの雪壁に行き当たらないのである。
ルートを確認したくとも視界は吹雪に閉ざされて如何ともしがたい。しばらくの間下を見ていると、一瞬だが視界が開け、幅広の雪のルンゼを見つけることができた。
やれやれ壁状ルンゼだと思ってその方向へ懸垂し、さらにルンゼ中を20m程降りたところ、足元がすっぱりと切れ落ちてしまったのであった。
よく見えないが、足下には灰色の空間しかないことが感じ取れた。上にいる本郷にルンゼ左のリッヂの向こう側を見てもらうが、そこも切れ落ちているという返事が返ってきた。
どうやらルートを間違えていることが確実になったようだ。安全圏から断絶されたような危機感が、一瞬心の中に拡散した。壁状ルンゼを右に それて、奥壁中央部に出てしまったのであった。
ザイルを掴んで登り返し、ルンゼの雪壁を右へトラバースしてリッヂを越して下を見ると、下降可能な壁が続いていた。
昨日、右俣を登っていたとき、奥壁右側に傾斜の緩るそうな雪の詰まったルンゼのあることに気づいたのであったが、右方向へ懸垂を繰り返せば、そのルンゼに入る事ができるはずである。
夕方が近づきつつあり、躊躇していられなかった。
ただちに岩角にシュリンゲを引っ掛け、ザイルをセットし右方向ヘアイゼンで蹴りながら懸垂をする。
1度くらいの懸垂では下に近づいた感じが全くなく、おまけに途中でアイゼンが片方外れてしまい少々焦る。
ところで、これまで「懸垂で隆りる」と簡単に表現してきたが、残置された支点など在るわけがなく、ほとんど全て岩角を支点にしてシュリンゲを引っ掛けて行なってきたのであった。
この支点を捜し出すのが一苦労なのである。ピッケルで氷を叩き壊し、岩角を露出させるのだが、適当なものが直ぐに見つかるとは限らず、ザイルにつかまってあちらこちら移動しながらこの作業を繰り返さなければならなかった。
当然、力のかけ方に注意しなければ外れそうなものもあり、またその岩角が壊れないとも限らない。
支点を作った責任上、全て私が最初に降りてきたのであったが、後から続いてくるメンバーも無事に降りてこれるかどうかの不安感に常に苛まれての下降であった。
そのうち、佐藤の懸垂中にシュリンゲが外れたとか、長谷川が落ちたと言う声が聞こえてきた。驚いて見上げても後続の状況がなかなか確認できない。もどかしい思いでしばらく見ていたが、一応無事で降りては来ているようであった。
うんざりしながらさらに1ピッチ身体を右方向へ振りながら懸垂、またもアイゼンが外ずれる。
不安定な姿勢でアイゼンと氷を罵りながらピッケルをたたきつけて支点を作り、ピッチを延ばすためのザイルを持って後から降りてくる本郷を待つ間にアイゼンをつけ直す。
もういい加減に最後にしてくれと祈る気持ちでザイルを隆ろし懸垂。しかし、10m程降りたところでまたまたアイゼンが外れてしまった。ザイルにぶら下がりながらつけ直してみるがどうしてもうまく付けられない。「クッソー、何がワンタッチ式だ…」
やむをえずこのピッチは本榔に代わって降りてもらった。
暫くしてコールがかかり続いて降りていくと、ルンゼの中に立っている本郷を目にすることができた。どうやら、目標のルンゼに着いたようである。
「このまま歩いて降りられそうです」と言う。
なるほど目をこらして見ると雪壁が下に向かって続いているようなので、アイゼンを付け直してからザイルなしで後ろ向きになって降りてみることにした。
40m程降りたところで急に傾斜がなくなり身体が雪の中にもぐり出した。
あたりを見回しても何も見えないので、正確な位道はわからないが、ようやくにして、右俣に降り立つことができたのである。
この時ばかりは「やれやれ、よかった」というより「これで命が助かった」といった方が正しいような気持ちであった。
ザックを岩稜末端のテラスに降ろしてから、皆の隆りてくるのを待つことにした。憔悴しきったような顔、やれやれとホットしたような顔で1人また1人と降りてきた。どういう訳か顔を会わす度に懐かしいような気がした。
朝から10時間ぶりに会った長谷川が何となく元気なさそうな顔でノロノロと隆りてきた。「俺、ダメだわ。右足が全然曲がらないんだ。骨折しているかもしれない」「カラピナで懸垂したら失敗して落ちてしまったんですわ。裕さんに抱き止めてもらったから助かったけれど、マイッタナー」「裕さんにはもう頭が上がらないなー」と言う。
長谷川にここからはシリセードで下れるからザックを置いていけと言ったが、大丈夫ですと言って降りて行った。
本当に大丈夫なのかなと後ろ姿を見ていたが、すぐに夕闇の中に紛れて見えなくなってしまった。
村上に続いて最後に山本が降りてきて全員の下隆が終了した。
山本は長谷川が怪我をした為ずっとラストで降りてきてくれたが、ザイルが2度ばかり回収不能になった時には、回収の為に登り返しをしてくたそうである。
「よくやってくれたねー、大変だったろう」と聞くと「いや、それほどでもないですよ、おかげでいい経験をさせてもらいました」などとすまし顔で答えてきた。 このあたり山本の良い持ち味でもあり、又、かわいげのなさでもあるのかな……。
この頃には天候が回復し出し、空には星がまたたき出してきた。
シリセードで快調に下り、傾斜が無くなって歩き始めると、すぐ前に長谷川が立っていた。やはり歩くことができなかったのである。
ザックはシュリンゲで結び引きずって降ろすことにし、長谷川にも腰を下ろしてもらい、ハーネスにシュリンゲをつないで、同じく引っ張って降ろすことにした。
二俣のビバークサイトで長谷川の足を見てみるが、外からでは怪我の状態わからなかった。いずれにしろ、歩行不能として翌日の行動予定をたてることにした。
本郷・楢岡の2人が先発して、馬場島へ行き、救助隊を要請してもらうことにして、残り5人で長谷川を降ろすことにした。
ところで、長谷川の怪我にはかり気を取られていたのだが、楢岡から何か凍傷に劾く薬はないかと聞かれたので、どれどれと彼の左手を見ると、これがまた驚いたことに、小指の半分が青黒く変色しているうえに水泡ができていたのであった。
とりあえず血行を促進させる軟膏を渡したが、こちらの方が悪くすれば切断ということになりかねない状態にあった。寒さでは定評のある正月の八ケ岳で、吹雪きの中を1日中行動した時には何ともなかったというのに、一体どうしたことだ。詳しくは言わなかったが、替えの手袋を忘れた為、破れたままの手袋で行動していてこうなったという。
あの状況の中、忘れたから貸して下さいと言いにくかったのかもしれないが何も遠慮することはないのだ。

5月5日 二俣~馬場島

先発の2人を見送ってから、我々6人も準備を済ませて出発。
長谷川はやはり歩行不能の為、シュラフカバーに入ってもらい、ザイルで引きずって隆ろすことにした。
ゴルジュまでは順調に下ることができたので、この調子なら我々の力だけで搬出可能と思い、トランシーバーでは救助が不必要である旨を連絡した。
考えてみれば、メンバーは7人も揃っているのだから最初から全員で隆りれば人手が多い分楽だったと思った。
ゴルジュに入ると、雪渓上には土砂と岩が堆積し出してきたので簡単には隆ろせず、シュラフカバーから一旦出てもらったり、又、入ってもらったりを練り返すことになった。 通過に手間取るだろうと予想していた滝に到着して下を覗いた時には、さすがに呆然となってしまった。
雪渓の状況が3日前に通った時とは全く違っていたのである。まさかと思う程の変貌ぶりで、滝は垂直に50m程も切れ落ちており、落口からの懸垂は不可能であった。
側壁の右上に先発した本郷達のステップが見えたのでそこを10m程登るとハーケンが2本ありカラビナが1枚残置されていた。我々の為に残してくれたものと思った。
この支点にザイルをフィックスして、長谷川にはユマールで登ってもらいつつ同時に3人がかりで引っ張り上げた。
次に、懸垂で下の雪渓へ降りる。上で何か叫んでいたが、滝音にかき消されて聞き取れなかった。後で聞いたところによると、私の懸垂中に2本あるハーケンのうち1本が抜けたとのことである。
続いて長谷川が上から確保されながら懸垂、残り4人も無事隆りてきて、これで危険地帯を脱っしたことになる。
この直前に本郷とトランシーバー交信ができたのだが「ゴルジュは危険だから降りてくるな」とのこと……。
上空には先ほどからヘリコプターが低空で飛び回っており我々の様子を見にきているものとばかり思っていた6。しかし、後から聞いた話では、他のパーティの遭難救助活動に飛んでいたもので、我々が救助不要と言ってはみたものの、どのみち手一杯の状況で、我々の為に人手を向かわせる余裕などもともとなかったとのことだ。
3日前と同じルートを要所要所ザイルを使って下る。
取り入れ口手前の渡渉地点で本郷達に出会った。取り入れ口からは本郷の車に乗って馬場島へ行き、早速、登山指導センターへ挨拶がてら下山報告をする。これで、長い時間ををかけた下山に終止符を打つことができた。

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