剣沢

1992/5/2~5
メンバー:秦・平舘・遠藤・根布・成田  秦 記


東京から電話で聞いた富山県の天気予報もいまひとつで、2年前の5月の小窓尾根が思い出されたが、晴れ男、晴れ女がパーティーにいることを信じて出発することにした。1日の夜、新宿で桜井パーティーと一緒になり大町に向かう。大町には、博道、直樹の両鈴木それに小川山から直行の成田君がいて、桜井パーティーと別れて、タクシーで扇沢へ。
8時頃、黒四に着き、スパッツを着けてすぐ歩き出す。残雪は多くは無く、雲は多いが降りそうな気配はない。内蔵助谷に入って残雪もやや多くなり、丸山東壁の下で休んでいた時、白いものがちらほら舞ってきた。それもすぐに止み、たまに薄日が差したりという陽気。丸山東壁にクライマーが見えたが、あれは、緑ルートだろうか。
残雪と眠るような静けさに包まれた内蔵助平。空気の明るさや、わたってゆく風はやはり春のものだ。ハシゴ谷乗越への道は、むしろ夏より歩きやすく、しかも直登なので時間も早い。乗越から突然視界を覆う巨大なピラミッドのようなピーク。
しかし、これは剣岳でもなんでもなく、八ッ峰のマイナーピーク。剣の山の大きさをうかがわせる大きさだ。その左の上に見えるはずの長次郎谷から稜線にかけてはガスの中だ。ここからハシゴ谷を下り、真砂沢のキャンプサイトに着いたのが3時半頃。
3日の朝も天気はまずまず。6時出発、熊岩へ向かう。長次郎の出合いでは源次郎尾根へ向かうパーティーが順番待ち。長次郎の上部には八ッ峰や稜線、その向こうに青い空が望まれる。気は急ぐが、しっかりつけられたトレースをたどり一歩一歩登っていく。途中で八ッ峰4・5のコルから下りてきたパーティーにあった。八ッ峰稜線は渋滞なのだという。熊岩直下の平坦な雪面を整地して、幕営地とする。
10時。ここで準備をしてCフェースに向かう。この時、Aフェース登攀中の鈴木パーティーのコールが聞こえ、声をかける。写真を撮ったあと、Cフェース基部へのトレースをたどる。Cフェース剣稜会ルートには先行パーティーがいた。1ピッチ登ってRCCルートヘトラバース出来そうだが、そのテラスに先行のラストがいて動かない。その上のテラスに2人いて、さらにその上のピッチをトップがリードしている。ホールドの雪を払ったりベルグラを落としているのかハンマーをふるう音もする。我々もアンザイレンして待機したが、結局、登攀はあきらめて5・6のコルへ向かった。今考えると強にRCCルートへ向かえば…と思うこともあり、やや残念な気もするが。
5・6のコルで鈴木パーティーの登攀終了と同ルートを降り始めたのを見て、天幕に戻った。今日ここまで登って来るはずの松元さん達のスペースも整地してテントに入る。夕方松元さんから無線が入り、視界の悪さと強風の為、剣沢にいるとのこと。夜るラジオを聴くと富山地方は強風注意報だと云う。
4日の朝、テントから出ると、指呼の間にあるはずの5・6のコルはおろか、すぐ後にあるはずの熊岩さえも見えない深いガスだ。稜線に向かう計画は変更し、長次郎を下るが、昨日のトレースは完全に消え、腰ぐらいのラッセル。しかし、下りなので45分で出合い着。
剣沢の登りもひどいラッセルを覚悟していたのだが、見よ、トレースがスーツと続いているではないか。松元さんと交信したあと、そのトレースを辿り、剣沢のテント場に向かった。極端に悪い視界と強い風の中、時々トレースを見失いつつも、トップを交替しながら黙々と登って行く。シールをきかせて登って来るスキーヤーに追い越されたことも何度かあった。赤布を左に曲がり、松元さん達と合流したのが11時半。風は、いよいよ強く、視界はますます悪い。
休憩もそこそこに剣御前に向かうが、すでにあたりはホワイトアウトで、数メートル横を歩く人間が雲の中を泳いでる様に見える。成田君と、宇賀田さんと、松元さんがルートファインデングしながらトラバースぎみに登って行くが、まさに五里霧中をさ迷っている様だ。それでもようやく3時頃、小屋の前に出た。そこから雷鳥沢へ向かうが、風は一段とその強さを増し、目をあけていることも出来ない程だ。
耐風姿勢で突風が去るのを待つ事もしはしば。で、とりあえず小屋に戻り避難したが結局、¥5000で泊まる事で満場一致。この天候のせいか小屋は繁盛していた。
翌5日。風は相変らず強いものの、視界は回復し、今回の山行で初めて剣の山頂を望むことが出来た。雷鳥沢を下り始めると風も静かになり、5月の陽光を浴びて輝く残雪の立山連峰の眺めを満喫することが出来た。途中で追い付いた鈴木パーティーとも合流し、やがて室堂の人ゴミの中に吸い込まれて行った。

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