黒部丸山南東壁 塚田・小暮ルートの記録

1992/7/25~26
メンバー:桜井・本郷・三好・山口  山口 記


 

7/25日(晴れ時々雲り)
いつものことながら真夜中に走って、扇沢に着いたのが2時半頃。いつものごとく「チョットだけ」とお酒を炊み、ねたのは4時前であった。寝る前に7時発の黒四ダム行き始発のトロリ-バスに乗ろうと、話し合っていたようで、時間がきたからサー起きろと元気印の三好にせきたてられるのだが、どうもいかん。体がだるくて起き上がれず、シュラフカバーの中でぐずぐずしていた為に、7時30分発のバスに乗ることになった。
この30分の遅れが南東壁の取り付きで1時間以上の時間待ちにつながってしまったのである。先行は女性1人を含む3人パーティーで、途中で隆りるつもりらしく取付きにザックを置いて空身で登り出した。
空身だから速かろうと思って下から見ていたが、トップが登り、セカンドが登り、その後ラストが登るというように何とも辛気くさい。
「何だよ…岩登りのトレーニングはケレンデでやってくれよ、まったく」待っている間は陽にあぶられて暑くてかなわない。「真夏の丸山はたいへん暑い」とガイドにかかれている通り、本当に暑い。
23年前の8月に初めて丸山を訪れて、東壁禄ルートを登った時のことが思い出されてきた。あの時も、岩登り自体よりも終了点から丸山頂上まで脱水状態での樹林帯の登りの方がつらかったのであった。のどの乾きには強い方だと思って1リットルしか水を持ってこなかったことが悔やまれた。やはり2リットルは持ってくるべきだったと取り付く前から反省してしまったのだ。
ようやく、先行パーティーのセカンドが2 ピッチ目を登り始めたので我々も取り付くことにした。桜井・本郷、三好・山口でザイルを組むことにして、桜井・本郷パーティーに先行してもらう。
まずは本郷、山口がトップに立ち、後はそれぞれツルべで登る。2ピッチ目からは先行のセットしたプロテクションをそのまま残して置いてもらい、後続の我々はそれを利用して時間の短縮をはかることにした。「あのー、やっはリプロテクションは自分でセットした方がよろしいのでは。」なんぞと本郷が正論をのたまった。「何だよ、時間が無いんだからしょうがネーだろうが!」とこれを正当化。
なお、1ピッチ目はダイレクトルート取り付き付近のフェイスを左上するルートと、そこからさらに1ルンゼを7~8m登ったところにある凹みを登るル-トがある。ルート図にあるのはこの後者の凹角だと思う。 桜井パーティ-が前者を、我々は後者を登った。
難しさは同程度のようだが我々の場合、凹角の出だしがかぶっていて難しかったので、このピッチはザックを荷上げした。
2ピッチ目もフリーで、草付の凹角は少々悪い。3ピッチ目も一部人工交じりのフリーで、1ピッチ目からここまでグレードは4級~4級+となっているが、私には結構難しく感じた。
先行の3人パーティーは3ピッチ目で下降していった。これで時間待ちから開放されて、ヤレヤレとホッとした。
4ピッチ目から6ピッチ目まではA1の人工になるが、リングの無いボルトの数が思っていた以上に多く、これにシュリングをタイオフするのに手間取る。
ところで、このボルトにタイオフする方法だが、プロテクション用に残す場合は通常のタイオフでよいが、ただアブミをかけるだけの場合はタイオフ用シュリンケを下図のようにしてセットすれは次に乗り移った時、はずしくすくてよいと思った。
 6ピッチ目の終了点には下から見ると大きな木があっていかにも安定しているかのように思ったのだが、実際に行ってみるとその木はユラユラの上、テラスも外傾したリッヂのため不安定な場所である。ここからカンテを左に回り込むと、どうやって打ったのかと感心するような所にハーケンが1本残置されている。このハーケンにアブミをセットしてさらに左へ3m程トラバースし、かぶった壁を10m程人工で登ると大きな木のある安定した小さなテラスに着く。先行する本郷はそのままザイルをのばしていったが、私はここで一旦ピッチを切った。
この上にある凹角には木が1本あって、一見簡単そうに見えたのだが、これがなかなかにシンドイところであった。木に何回かタイオフしてアブミをかけ換えたりしながら強引に乗越すと緩傾斜帯直下に出た。
後は歩いて行けると思ったのだが、さらに5m程の垂壁を人工で登り、緩傾斜帯のビバークサイトに到着した。
先着き、立木と鈴木(直)が登った時は、1番バスでなおかつ時間待ちなど無くても緩傾斜帯に着いたのが夕方だったという話しを聞いていたので、はじめはどうなることかと思ったのだが、まあ順調なペースで登ってこれたということである。
ビバークサイトは広いことは広いのだが、外傾している為ザイルでビレーを取らなければズリ落ちてしまうような場所である。
日中暑い分、夜も寒くなくて助かった。こうして一段落つけると軽量化の為、アルコール類を持ってこなかったことが残念に思われてくるのである。現金なものである。
  26日(雲り時々晴)
テラスから上に向かってハッキリした道がついているが、これは間違いで、ブッシュ帯の中のわかりづらい踏跡を左へトラバースして行くと南東壁ルンゼが頭上に見えてくる。
昨日と同じく桜井・本郷が先行し、ブロテクションはそのまま残しておいてもらい三好・山口が続いてゆくことにした。
南東壁ルンゼを登る最初のピッチがルート中の核心部である。グレードが5級となっているのでフリーかと思ったが、かぶり気味の壁を人工で右から乗越すことから始まる。
この後の動きを詳しく書くと、左へトラバースしてチムニー状になったルンゼを登り左へカンテに出てから又ルンゼに戻り、ルンゼ左のフェイスを登り右へトラバースしてルンゼに入るという40m以上にわたる複雑なピッチである。
とくに後半のフェイスはブロテクションが少なくかなり難しい。先行でリードする桜井は途中でザックを置いて空身になって登っていったが、このピッチをルート図通り1ピッチで登ることばザイルの流れなどから考えて後半のフェイスでかなり苦しい思いをすることになると思う。
私はカンテに出たところが小さなテラスになっていたので、ここで一旦ピッチを切って2ピッチにして登ったが、多少時間ほかかってもこの方が楽だし安全ではないかと思った。
続いて草付のルンゼを登ると快適なコルに出る。コルからはかぶり気味の壁を人工で越し、人工交りのフリーとなるが、ザイルの流れを考えてこのピッチも私は途中で切って2ピッチにして登った。
最後の3級A1のピッチは順番では三好がリードすることになるのだが、見たと.ころ快適そうで、最終ピッチということもあり、我がままを言わせてもらってリードを私に譲ってもらったのである。
これで登はんは終了したわけであるが、後に丸山頂上までの「相当なアルバイト」が控えていると思うとは嬉しさよりも鬱陶しさの方が先に立ってしまうのであった。
頂上までの樹林帯の中には何となく人の歩いた跡のようなものがある。我々は途中2ケ所の岩場を都合3ピッチザイルを出して越してきたが、立木・鈴木(直)パーティーの場合は岩場などに出会わなかったという。彼らにとっては問題にもならないということなのか…
特に後の方で出くわした岩場は垂直に7~8mつっ立っている凹角がかなり難しく、全員のザックを荷上げすることにした。ところがここで、荷上げ中にザック1つを落として紛失するというとんでもない失敗をしでかしてしまったのであった。呆然としてころがり落ちてゆくザックを見ていると、樹林の中に引っかかって止まった上うに思ったのだが、「ドーン」という音が聞こえたと言うのでやはり1ルンゼまで落ちたようであった。
落としたのは桜井のザックで、個人装備、現金3万円、結婚指輪に加えて三好のザイルと我々の登はん用具の一部が詰まっていた。原因は安全環付カラビナを使用するという基本を守らなかったことにあるわけだが一応状況を下に図示しておく。
 丸山頂上に着いたら着いたで、ここからの下降ルートがこれまた問題の一つである頂上から内蔵助平に向かって直接降りるルートは途中で懸垂を2~3回強いられてわかりにくく悪い。しかし、このルートの踏跡の方がハッキリしている為、ついこちらに入り込んでしまうようである。
先月の立木・鈴木(直)パーティーがそうだし、私も過去2回このルートを降りたことがあったが、い印象はない。丸山中央山稜コースは歩いて隆りられるというのでこちらを通ることにした。
次に丸山を目指す人の為に少し詳しく書くことにする。まず立山を真正面に見て下り始め、後はどちらかというと左方向に降りてゆけば尾根上に出ることができる。後はこの尾根を進めばよいのだが、見通しが悪くコルがどこなのかわかりづらい。
途中で右斜めに隆りている踏跡が出てきたので、そちらへ行ってみたが、切れ落ちた岩場に出てしまい引き返すことになった。
とかく間違ったルートというのは「これは違った」と右往左往するせいか正しいルートよりかえってよく踏まれてしまうものである。
コルからの下隆は細い涸沢で、見通しもよく、いかにも隆りて下さいという感じである。1ヶ所7~8mの懸垂をしたものの楽に歩いて隆りてゆける。途中で水が湧き出していたのでここで思う存分に水分を補給して人ここちつけることができた。
下に向かって自然が形作った砂の道が続いている。このまま歩いてゆけば一投コースに合流できるものとばかり思っていたら小さな沢で途切れてしまった。沢を横切ってヤブこぎで突破しようとしたが熊笹のヤブがあまりにも密なので引き返し、沢の沈れに浸かりながら隆りて行くことにした。20分近く下ったところで一般コースに合流することができた。
個人装備を無くした桜井に私の運動靴を貸したため、ここまでクライミングシューズで歩いてきたのであったが、そろそろ足の痛みに我慢できなくなったところにきて水に浸かったため、痛みがますます強くなってきてマイった。当の桜井は落としたサックを捜しに1人先行しており、1ルンゼ出合で待ち合わせることにしていたのであった。その1ルンゼ出合までの道程の何と遠くに感じたことか。
桜井と合流して運動靴に履き替えてホッとしたにろで、ザックのことを聞いてみたらやはり見つからなかったとのことだ。
ここからは黒四ダム発の最終バス(5時30分発)にはどうせ間に合わないのだからとユックリ歩いて行くことにした。
立木パーティーとは登はん終了時間が同じで、彼らは下隆ルートを間違えてずいぶん苦労したようなことを言っていたのに最終バスには間に合っていたわけだ。それに引き換え我々はどうしてこうなったのだろうかと歩きながら考えていた。つまるところ体力不足ということなのかな、どうもよくわからない。
それにつけてもトロリーバスの往復券を買ったのは失敗だったとケチなことも考えてしまったのである。関電トンネルを眠りながら歩いて、11時半に扇沢の駐車場に着いた。

 

Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Google Bookmarks