奥鐘山西壁OCCルート

1992/9/12~13
メンバー:鈴木(直)・桜井 桜井 記


国内最大の岩場と言われる奥鐘山西壁、長いこと憧れ続けてきた壁である。
岩登りをやっている中で何時かはこの壁を登ってみたいと思ってきた。それも紫岳会ルートや中央ルンゼの4級ルートではなくどうしても6扱ルートが登りたかった。昨年取り付いて敗退した京都ルートのことが心に引っ掛かかっていたのかも知れないが、とにかく登れることだけを信じて行こうと自分自身を鼓舞していた。
9/12信越線経由、急行能登を魚津駅で下車、仮眠の後始発の富山地鉄を宇奈月温泉で黒部峡谷鉄道に乗り換え、欅平に9時少し前に着く。改札口と反対のホームの端から線路こ降り、トンネルを抜けて、更に黒三発電所を回り込んで黒部川の河原に降りる。運動靴のまま、すぐに徒渉が始まり一番深いところで腹まで水に入るところがあったりして約1時間ほどで壁の下に着いた。昨年と比へると格段に近い。他にパーティは2組有り、先に到着していたので我々は3番目の岩小舎を使うことにする。1組はAAVK、もう一組は京都ルートのようだ。
岩小舎に荷物をデポして身支度をしながら壁を見上げるが、登れる自身が全く沸いてこない。ここまで来たら取り付くしかないのだが私自身、身支度にやたらと時間をかけて必死に不安と闘っていた。心の中で、又実際に口に出して“絶対に登れるんだ”と呪文のように唱えていた。
昨年張ったチロリアンブリッヂは跡形もなくボルトもリングが飛んでいた。水量は少なく膝までの徒渉で対岸に渡り、運動靴をデポして11:30登攀開始。
1ピッチ目、桜井からリード。ところが5m程登った所でV-のピッチが登れない、おまけにランナーもまだ取れていない。右ヘトラバースするとピンが一本有ったのでアブミを取り出してなんとか越すが、その上が又登れない。一歩の踏ん切りがつかないが章付をつかんで何とか越す。このピッチにだいぶ時間をかけてしまったが、後続の直樹に話すとやはり同じように厳しかったとの事で少しは安心した。2、3ピッチと草付が続くがⅢ級のせいか残置ピンがほとんど無い。他のピッチもそうだがフリーのピッチは残置少ないようだ。
4ピッチ目、第一ハングの乗越しだが、ルートが分かりづらく、思ったよりも左側のボロいハングを越していく。5ピッチ目、右へ大きくきわどいトラバースをして垂壁からハングの人工。6ピッチ目、すっきりとした垂壁をアブミの掛け替えからフリーで小レッヂ。ここは広島ルートと近藤=吉野ルートが合流してくる。7ピッチ目、Ⅳのフリーだが濡れていて30m近くノーピンなので恐ろしくなり、右へ逃げて頼りない潅木で一度切る。肩がらみで直樹をビレイし、残り10m登ってもらいブッシュラインに到着。畳一枚分ぐらいのテラスでボルト3本のビレイポイントにハーケンを3本打ち足して今夜のビバークサイトとする。夕方5時、コンロもコッヘルも持ち上げていないので行動食を食べて、暮色の中シュラフカバーに入りツエルトをかぶる。体をくの字に曲げてだが、横になることができたので楽だった。
寝就いてどれはど経っただろうか、ふと目覚めると月の光りが輝いて、下を見ると河原と黒部川の流れが、上を見上げると明日登るルートが良く見渡せる。暦の上では昨日が中秋の名月で、こんな素晴らしい夜に奥鐘に取り付いてビバークしていることが夢のようで、至福の一時である。

9/13 5時起床、6時登攀開始。朝の一発目からいきなりⅤ級の草付凹状部で始まる。今日も先に私から行かせてもらう。途中、数メートルの人工があり狭いレツヂでビレイ。9、10ピッチとⅤの草付が続きルート中の核心部を感じる。剥がれそうな草付をだましながらホールドにして登る。この3ピッチを超えるとすっきりとした岩場になり、ビバーク可能なテラスに着く。11ピッチ目、垂壁からA2のマユ毛ハングを越す。前傾だがややピンが遠く苦しい。okukane 12ピッチ目の垂壁を超え、13ピッチ目の“とまり木ハング”のテラスに達する。この“とまり木ハング”は空中に張り出した松の木を伝いハングの庇に打ってあるボルトにアブミを掛けて登攀が始まるという、なんとも恐ろしいピッチである、が思ったより松の木はしっかりしており、ハングのピンもそう遠くないので楽しめた。
14ピッチ目、快適なフリーであるが残置が少なくルートファインディングが難しい。20m程右上してリングボルトにクリップした後どうしても次が見当たらず登りかねていたが、5m程左にボルトが見えた。多分そちらのほうが正しいと見当を付け、ロープを一本はずしてこのボルトに掛け、テンションで5m程おりて今度は左上してきっき見えたボルトに達した。ルートはそこからラダーになっていて10m程でビレイポイントに着いた。 15ピッチ目、左上のラダーからフリーと草付、いよいよ最後の第4ハングが迫ってきた。16ピッチ目、今までマユ毛、とまり木とハングは直樹のピッチであったが最終ピッチの第4ハングは私に番が回ってきた。10m程右上するとここにもビレイポイントが有ったので最後にロープが届かないといけないので念のため直樹にここ迄一度上がってもらう。
上を見上げるとアブミが2つとビナが1枚残置してある。ここまで来て敗退してしまったのだろうか
、そのパーティのことを思うと自分が登れるのだろうかと不安がよぎる。一つ一つ確実にアブミを掛け替えていけば必ず登れるんだと自分に言い聞かせる。4段6mの張り出しだが1段目の小ハングか一番きつい。2段目のハングに例の残置アブミがありそれを使わせて貰う。赤と青のテープアブミは色が槌せていて今シーズン残置きれたものとは思えない。3段目を越し4段目は左に補島太郎ルートが別れ、頭上のラダーを辿るとハングも終わり、ブッシュ帯に突っ込んで潅木でビレイ。セルフを取り、込み上げる喜びを思い切り吐き出すように叫んだ、“びれい かいじょお~”と。
最終ピッチ、急な潅木からスラブを辿るとバンド状のビレイポイントに着いて下部岩壁の終了点である。直樹のビレイで桜井が辿り着き完登の握手。14時。
行動食を食べて休憩の後下降に移る。バンドを右にトラバースしてブッシュとスラブのコンタクトラインをブッシュに沿って10m程下降し、バンド状を更に右ヘトラバースしてブッシュを下降するともう一つスラブが出てくるのでこれもブッシュに沿って10m程下降する。そこから5m位右ヘトラバースしてブッシュに入ると潅木にシェリンゲが掛かっていたので踏み跡を伝ってプッシュを下ると京都ルートの終了点に達する。OCCの終了点から懸垂はしなくてもここまで来れるが、始めてのせいか分かりづらくだいぶ時間がかかってしまった。
京都ルートの下降は空中懸垂の連続でロープが下に届いているかの確認を怠れない。最初のうちは上体を起こして降りていたが、だんだん疲れてくると8環を中心にして頭が下がり足が上がって、回りながら降りることもあった。11ピッチの懸垂で取り付きに戻り、再びここで掘手をする。昨日よりも少し増水していいる黒部川を徒渉して岩小舎に戻った。その夜は前夜のビバークと大違いで河原の倒木を集めて焚き火をする。ビールを冷やしておくのを忘れたが、それでも上手い。直樹の持ってきたウイスキーは私のほうが余分に飲んでしまったようだ。

この原稿を書いているとき直樹から電話があり、肩の脱臼のためクライミングを辞めるという引退宣言を聞かされた。憧れていた奥鐘を登ったパートナーでもあり、この夏は何本かいいクライミングを一緒にしてきたので非常にショックであった。思えば一昨年の夏、バットレスで初めてザイルを組んでから、短い期間であったが一番一緒に登った人だと思う。ひとの体のことなので他人がとやかく言えないが、直せるものなら直して、又我々と一緒に登って欲しいと願う。

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