黒薙川・北又谷本谷

1992/8/23~24
メンバー:鈴木博・江本  江本 記


8月23日 越道峠で三好さんと別れた。三好さんは折り好く、登山者三人をおろしたタクシーを捉まえることができた。振り返れば、すがすがしく晴れわたった朝の大気の中に朝日をはじめとする白馬連山が大きく望めた。北又谷を思い心が踊った。
 昨日は恵振り尾根から支屋根に入り、かすかな踏み跡を辿って北又谷への下降を試みた。しかし下降点を見逃し、尾根を忠実に辿ったために、急傾斜している斜面をブッシュに掴まりながらの怖い下降を余儀なくされた。途中で雨が降り出し、しばし止む気配がなかった。昼過ぎ下降を中止して戻ることになった。北又小屋に戻る頃には天気が回復して、濡れたものを干したりした。
今日の所はとりあえず小屋の近くでビバークすることにした。一日つぶれたので二人ともやる気をなくしていたが、私は他の沢でもいい、このまま帰る気はしなかった。赤木沢とか双六谷とかが出てきたが、北又谷を失ったショックは大きく、のり気になるものはいなかった。話しあっているうちに、待てよと私は思い出した。吉川栄一の「沢登り」では二泊三日のコースに.なっていたではないか。長瀞をあきらめて越道峠から入ればいいのだ。
博道さんは生気を取り戻したが、三好さんは時間がとれないということで、二人で行くことになった。前夜の寝不足からか八時頃二人は寝てしまった。
北又ダム上の開けた夜空にはきれいに星がかかっていた。私は焚火のそばで、ひとりしみじみ飲みながら谷に入れる幸せを思った。
越道峠からの道は仕事道という割りには歩き易く、ところどころ赤ペンキが塗ってあったり、テープが下がったりしていた。(私はこれを沢屋が北又谷下降点を示すためにつけてくれたものと思ったのだ。)1048mピークを左から巻いたあと右から上がってくる沢をとらえて下降するのだが、そろそろこのあたりかと思う頃にも、なお先に続く山道にテープの下がっているのが見えた。 ガイドでは1時間で下降点ということだが我々のピッチではもう少し時間かかかると思い、テープに誘われるように先へ進んだ。
やっと下降点らしき沢の源頭を見付けたのは、峠から1時間40分もたってからだった。ガイドの記録者はなんと足が速いのだろうと思ったりした。
ブッシュを分けて緩やかな斜面を下って行くうち、水が流れだす。しかし踏跡らしきものはあまりない。ガイドでは北又谷まで20分ということになっていたが、まあ先程の例から見ても30分はかかるだろうと思って下っていった。しかし30分たってから私達が出会ったのは、荒れた感じでもっと水量の多いひとつの支流だった。
行けども行けども北又谷にはつかない。少し足場の悪いところでは博道さんが待っていてくれた。ガイドでは全部クライムダウン出切るということだったが、ついに15mぐらいの垂直の滝に行く手を阻まれた。
ルートを間違えたのは明白である。潅木にシュリンゲをかけ懸垂で下る。次に20mぐらいの滝、残置シュリンゲがあった。
沢の両側は狭まり、行く手は黒部の谷の深い緑の山姿である。もうそろそろかと思うころ、ついに絶望的な高さの滝の上に出た。側壁は切りたっており、恐る恐るのぞく高さは私には50mぐらいもあろうかと思われた。水勢はひとつにまとまり圧倒的に落下している。
博道さんは.足場の悪い斜面に張付りつき、潅木にシュリンゲをかけザイルををダブルにする。45mで下まで届くのだろうか、と私が不安な様子を示すと博道氏「45mって以外とあるものですよ」といいながら懸垂してゆく。しばらくして滝の下に姿があらわれホッとする。40mの滝だった。全身ずぶぬれとなる。下に降りたら見あげれば井戸の底のようだ。45m2本なかったらどうなったことやら...。.下るに下れず戻るに戻れないという危機的な状況になったのだ。
次にあらわれた二段の滝、上段10m下段35mはまぎれもなく北又本谷に落ち込んでいた。そこは磨かれた花崗岩と豊かな水量のおりなす壮麗な廊下となっていた。澄んだ水がゆったりとした瀞となり、岩の間を勢いをまして下流のゴルジュ帯に向かって流れ下っている。陽に輝く白い飛沫とコバルトグリーンの淵!ああついに出た、あれほど待ち望んでいた北又大谷!
最後の懸垂は滝の右側(右岸)を本谷の水の浅そうな所を狙って斜めに降りた。対岸の岩に上がって地図をだす。滝記号が出ている出合いがあった。我々は裏定倉沢を下ってしまったのだ。丁度魚止めの滝の少し上に出たことになる。
 1時20分、いよいよ遡行開始。右に左に徒渉を繰り返し、きわどいへつりとなり時には泳ぎとなる。待望の黒部の谷、しかも日本一の美渓の呼び名が高いこの谷だが、女性的という評もある。
両側は切り立ったゴルジュ帯となる。もしこんな所で出水したらどうなるのだという恐ろしさもあり、私には何かゾッとするような美しさに感じられた。これをして女性的というならば男性的なと称される柳又谷は一体どんな谷なのか。
5m位の小滝を持った大釜という淵に出た。滝は小さいのだが水勢が強く、左岸沿いに白い泡が渦巻いていた。しかも蒼々と水をたたえたこの釜の何たる大きさか。博道さんが右岸沿いを空身になって泳ぐ。滝の横のりッジに取りつき、流れの反対側にある水中のスタンスにうまく乗ることが出来た。 ヒールフック気味にリッジにはい上がる。
私はザイルにつながれた博道さんのザックにつかまり、容易にリッジに引き寄せられる。しかしさて上がろうとすると、ホールドに乏しく水中の岩にうまく乗れない。しかも右側の水流が強く、足が流れてぐんぐん引き込まれそうになる。右手はザイル、左手は岩角を掴み必死になってこらえている。左足がやっと水中のスタンスに乗ることが出来た。ごほうではい上がる。
リッジに上がってから見るこの淵の深さは何という深さだ。この青い大きな淵に北又谷の恐ろしさが秘められているような気がした。
ゴルジュが開け河原状となり、野営した跡があった。恵振谷を右に分けると又衛門滝となる。小さな滝だが取り付けず、左岸の踏跡を拾っての高巻きとなる。木の根や幹につかまりながらの急登で、途中で踏跡を失ったりまた見付けたりで、可成時間を食う。上へ上へと登り体は汗にまみれて臭い。水が恋しくなる。もうこの辺りでおりましょうか、と博道さんはいうが、私は熊の平という地名が頭にあったので、とにかく平らな所に出るまで上がってみる。熊の平は思ったより広い所だった。増水時の逃げ場としては絶好の場所だ。ここからは路跡をうまく拾って懸垂下降点に出ることが出来た。35mの懸垂で再び谷に降りる。脇から,流れている冷たい水を存分に飲む。目の前の岩壁を又衛門谷が満となって落ちている。懐かしい黒部の谷だ。4時を過ぎていた。
再びゴルジュ帯のへつりと泳ぎが続く。水勢の強い所は博道さんに空身で泳いでもらい、私がザックに掴まって引き寄せられるという楽しい遡行となる。やがて水浸しで体が冷え切った頃、流れがゆるやかになり河原状となる。上流の方から煙の匂いがする、と博道さんがいう。先に入っているパーティのものだろう。緩やかな流れの近くの河源に今宵の幕場を見付ける、6時。
あたりには流木が沢山あり焚火にはことかかない。焔は勢いよく燃え上がり、食後の満ち足りた気分でアルコールを酌み交わす。岩魚こそないが、今ここにいられる幸せを二人で実感していた。谷間にかかる満天の星を仰ぎながらいつしか眠りにおちた。
  8月24日 明け方少しパラついたが、きょうも好天である。朝もやにけぶったような谷を行く。すぐ河原状となり、右岸の大岩のかげを廻り込むと、野営した跡があった。草がいっぱい敷きつめられており、焚火あとはまだ煙がくすぶっている。水辺には岩魚を調理した跡が残っていた。
開けた明るい谷もやがて廊下状となり、緑鮮やかな両岸はあくまで高い。右折してゴルジユとなり、アンダーホールドを使ったきわどいへつりで、小滝を秦っ越す。
上流の岩の上に4人の登山者がいた。一人は菅笠をかぶった50過ぎの男で、釣りをしていた。もう一人は40を過ぎた男でビデオカメラを持っていた。あとの二人は20代前半の若者だった。挨拶をしたあと、博道さんが釣りをしていた人を瀬畑さんという岩魚釣りの名人だと教えてくれた。北又小屋の登山者名簿で気がついたらしい。菅笠が彼のトレードマークだという。「釣れますか」と博道さんが聞くと「どうしても釣れちゃうから・・」というご返事。人の好さそうな笑顔が印象的だ。「僕はまだ岩魚を釣ったことがないので」と博道さんがいうと「あとでご馳走しますよ」という嬉しいお言葉だ。
瀬畑さんが釣っていた所は白金の俺の淵だった。深い釜と暗いゴルジュで遡行不能である。我々が先行し左岸の高巻きに入る。上の方へ行きすぎると、瀬畑さんが声を出して「こっちだ、こっちだ」と誘導してくれた。比較的小さく巻いて、漏斗沢の出会いに出る。
瀬畑さんはルートの取り方が巧みで、身のこなしも実に軽い。沢筋に戻るやいなやもう竿を出している。続く長持淵も竿を出しながら行き、ちょっとした淵ではびゅんびゅん振っている。時々針が岩角やブッシュに引っ掛かるのだが、意に介さず強引にひきはがす。(ちなみに瀬細さんは毛針、他の3人はバッタなどの昆虫を使っていた。糸はより糸で太目だ)へつりでも片手で岩、片手で竿という具合で、全く仙人みたいな人だなという印象を持った。カメラマンの南谷さん(三田や赤坂でスナックを経営していると後に聞く)は先になり後になり、瀬細さんを追って三脚を構えビデオを撮る。(編集して販売するのだそうだ)
三段の俺にも大きな釜があり、ここで瀬細さんと若者二人が釣り糸を垂らす。南谷さんは決定的瞬間を狙っている。ここでは魚影があり、大学生が一度引っ掛けたが成果がなかった。
左岸の高巻きに入る。 我々が先行し、かすかな踏跡を探しながら上へ上へと登ったが、例によって潅木を頼りの苦しい登りだ。登り過ぎたかなと思うころ、あとから来た瀬畑さんはルートを間違えたと気付き、前方のルンゼ目指しての急な下降をはじめる。
ブッシュに掴まりながらのきわどい下降で細いルンゼに出る。ここから対面する急な斜面をよじ登るのだが、足場が悪くほとんど木登り同然の所があり、荷を背負っての強引な腕力登りでえらく体力を使う。トラバースに移る所で瀬畑さんと南谷さんが待っていてくれた。南谷さんも実に沢馴れた人だ。一息入れた後瀬畑さんが的確にルートを拓いてくれ、ついにクライムダウンで川床に降りることが出来た。(ガイドでは15m懸垂となっている。)
瀬畑さんによれば「この谷が女性的だなんてとんでもない、柳又より悪いですよ」とのことだ。「このあと大釜といって流れの強い、ちょっといやらしい釜が一つあり、あとはそこだけですよ」といっている。
そこは昨日自分たちが泳いだあの犬釜だと思い、ルート図にのっている大釜の写真を見せると、「ああ、これだこれだ」とのこと。彼らはそこを巻いてしまったらしい。8年前瀬畑さんがこの谷に入ったとき、大釜で同行者の一人が渦に飲まれてしまい、しばらく水面に上がってこれなかつたという。ともあれ、これで悪場が終わったわけでほっとする。
陽がさして谷が明るくなる。南谷さんとその従業員の若者、法政大学の学生の三人は左岸の草付きの斜面に上がって一生懸命何かを探している。釣り餌になるバッタを捕まえているのだった。
最後の6m滝手前の淵で、瀬畑さんが30cmぐらいのを釣り上げた。私にとって初めて見る大岩魚だった。赤みがかった美しい斑点が印象的だ。
12時近かった。「さあご飯にしましょう」瀬畑さんの一言でいよいよ食事の支度が始まる。ビニール袋から取り出された岩魚が6、7匹、大きいのは40cmもあった。瀬畑さんと大学生が腹を裂きはらわたを取り出す。若者がたきぎを集め火を起こす。南谷さんの見事な包丁さばきで、お顔つきの岩魚の刺身が出来上がる。平らな岩の上にしだの葉を敷いて、その上に盛りつけると彩りも楽しい。
岩魚の塩焼き、岩魚のあら煮、きのこ(ちちたけ)を沙めて醤油で味付けしたもの、よく炊けたご飯のおにぎり、即席の味噌汁…中でもとびきりは刺身だ。しこしこした新鮮な刺身が口にとるける。博道さんと二人存分にご馳走になる。
ああ、こんなにも豪華で野趣に富んだ食事が今までにあったろうか。山中での粗食を常としている私達にとって、これはひとつの驚きでもあった。現地調達による山行というものがあるということにおいても・・・
そして暖かいもてなしをしてくれた人達への感謝の念。この美しい渓谷での幸せな昼食は生涯忘れえぬものとなるであろう。
6m滝の最後の高巻きも左岸からだった。小さく巻き容易に谷に戻れた。廊下状を一箇所AOで越すと谷は開けて広い河源となる。このころより雨が降りだし、山も谷も灰色のもやに包まれる。本降りになりずぶぬれになりながら、河原の石を伝って歩く。水嵩が増し,濁ってくる。これがもし下部ゴルジユ地帯だったらと思うと、今ここにいることの幸運を思わずににはいられない。
右から開けた沢が出会う。「rここが黒岩谷ですから」と瀬畑さんが教えてくれ,た。彼らは本谷をもう少し行ったところで幕営するという。もしよかったらこ一緒にどうぞ、と有り難いお言葉。喜んで甘えることにした。この雨で狭いツェルトの中では憂鬱になろうというものだ。
20分程行くと、瀬畑さんは右岸の台地の丈の高い草が生い茂っているところに分け入った。2時50分。皆で草を踏み十分過ぎるスべースを作る。近くの立ち木を切り出し支柱を何本も作る。大きな青いラバーシートの下にそれを立て、張り綱を張る。草を刈り、厚く重ねた上にもう1枚のシートを欺く。2枚のシートをつないで雨が降りこまないようにする・・
大雨の中それぞれが自分の役割を心得ていて手際よく作業が進められてゆく。かくして今宵の私達の御殿が出来上がった。6人がゆったりと横になれる広さだ。何よりも開放的なのがいい。流木を集め幕場の前に山と積む。雨が上がり再び視界が開けてくる。水が落ち着いてくると、釣り師たちは獲物を求めて川に出て行く。
夕方また雨が落ちてくる。雷鳴が聞こえたので安心する。明日も大丈夫だろう。夕食は続き魚やあら煮など岩魚料理中心である。珍味岩魚の卵もご馳走になる。妙めきのこも暖かいご飯によく合う。このご飯の炊き方がよい。丸型の大きな飯ごうを榛に吊して火の上にかけるのだが、支えになる二本の木の枝は二またになっている所がそれぞれ二箇所あり、はじめ下の段で燃やしむらすときは上の段に移すという具合だ。これ以上はない夕食が終わり、私のブランデーで瀬畑さんも南谷さんも気持ちよく酔う。博道さんは酒だ。若者たちは早く寝につく。沢の話、釣りの話、はては人間の話など瀬畑さんの話には含蓄があり興味深く聞く。また自然人らしい人柄の得も言われぬ魅力がある。一つの道の奥義を究めているのにえらぶった所がない。南谷さんや若者達が彼に魅き付けられているのも当然という気がした。私も博道さんもただ感じいりこの偶然の出会いを感謝するばかりだった。
明け方3時頃目がさめた。きれいな星空だった。瀬畑さんが起きて火に薪をくべていた。
6時50分、よくしてくれた人たちに別れを告げ黒岩谷にむかう。彼らは吹沢谷を詰めて小川温泉に下るという。(瀬畑さんは駒込で居酒屋をやっているそうなので再会を約す。)
朝日にきらめく水流を足元にしつつ、快調なピッチで登って行く。雲一つなく晴れわたり、振り返れば一昨日苦労した裏定倉山のピラミダルな山容が遠くの方に明るく望めた。2時間程も登ったろうか、博道さんが遅れだす。下の方で「正露丸持っていません」と聞いている。下痢をしたらしい。活気のあった表情が弱々しくなっている。
黒岩谷は滝らしい滝もなく開けた明るい沢である。上流で二股に.なっているところがあり、水量の多い右の方に入る。
登っているうち左側の沢の方が川床が低いのに気がつき、先に登っている博道さんに「違うんじゃないか」と呼び戻す。二股まで戻ってみると、左側は沢というより窪といった感じで水量も殆どない。ところが入り口の立ち木に布が2本垂れ下がっていた。
ガイドにも、上部では本流らしい流れが黒岩平を南から流れているので勘違いしやすい、と書いてある。どちらか迷ったが結局左側に入る。すぐに水は涸れ、次第にやぶっぽくなる。傾斜がましてくると小高い丘状のピークに突き当たる。ブッシュが顔を撫でるぐらいになって、踏跡らしいものもない。間違えたと気付き元に戻る。結局ここで1間以上ロスしてしまった。
博道さんに悪いことをしたと思った。彼のベースはますます落ち、休む回数も多くなる。彼のザイルを私が背負う.二股からは1時間もかからず稜線に飛び出せた。12時20分。
黒岩平は広々とした草原で、限りなく平和で美しい所だった。南の方に長栂山から朝日岳に続く稜線が大きくうねっていた。北に目を転ずれば、黒岩山は尾根上の一つの突起にすぎない。博道さんは弱々しく草原に寝転び笑顔はなかった。いつもエネルギッシな彼の姿を見ているだけに意外な結末だった。いったい何にあたったのか。水かもしれないと彼自身も思い、水好きな彼も沢の途中から一滴の水も口にしていない。
「30分休んだら下りよう」というと「あと1時間寝ていたいなあ」といってい

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