鹿島槍ヶ岳北壁

1992/5/2~4
メンバー:立木・木元・桜井  桜井 記


後立山連峰を代表する秀峰、鹿島槍ヶ岳。その2つのピークのうち、北峰から高度差約500mのスケールでカクネ里に向かってなぎ落ちている壁が北壁である。
登攀シーズンとしては、3月がベストであるが、この時期は休暇が取れないので5月の春合宿にこの山行を計画した。

5/2
前夜、剣岳へ行く奏さん達のパーティーと新宿駅で偶然に会い、同じ電車に乗り、信濃大町で下車する。ここにも我会の両鈴木がやはり剣岳へ向かう為、前夜から泊まっていた。我々鹿槍隊は少し遅れてタクシーに乗り、大谷原に向かう。
タクシーを下りて大冷沢にかかる橋を渡り、右の大川沢ぞいの道から河原に下りて、約1時間程で荒沢出合いに着く。(橋を渡ってから右に行かず、左の舗道をいった方が歩きやすく少し近い様だ。)荒沢出合いよりしばらく行き、右の天狗尾根末端へ取り付くが道もはっきりせず、ブッシュをつかんでの急登はなかなか辛い。やがて雪が出てくると傾斜も一段落し、荒沢の北壁が見えて来る。時折りゴーという音が聞こえて来るのは荒沢が雪崩ているのだろうか?
第1、第2クーロアールとも雪は硬くないのでノーザイルで登れ、急な雪壁を登っていくと視界が開け天狗の鼻に着いて、ここで始めて鹿島槍の北壁が見えて来る。
天気はさほど悪くないがピークには雲がかかっていて風がやや強い。我々はここにベースを張る予定なので風下のカクネ里側の雪を切り開いてエスパースを設営する。
北壁に取り付くにはここからカクネ里へ一度下降してから北壁に向かって登り返す。今日の所は、この先の最低コルへ下りる手前まで行き、北壁のルートを偵察するが、思ったよりも大きく上部こそ傾斜は無いが、カクネ里に向かって一気に切れ落ちている様は、日本離れしていてすごい。
テントに戻り5時に夕食を取って7時に寝る。夕食は木元が用意した本当のスキヤキがとてもうまかった。kasimayari

5/3
風の音で目が覚めるがまだ10時を回ったばかりであった。この後何度か眠りに着くが風は止まらず降雪もある様だ。私の寝ている側に雪が吹溜り、体が圧迫されてくる。起床時間の午前2時であるが風がものすごい。テントの入口側に寝ていた立木が外の様子を見るが、とても出発出来る状況では無い様である。ルートの性格上、暗い内から行動して明け方には北壁の基部に取り付いていないと雪崩の危険と時間オーバーの可能性が同居してしまうので、今日は取り付かない判断をして、明るくなるまでふて寝をする。
朝食を取り8時過ぎに天狗尾根を登って、明日北壁を登った時の下降路を確認しておこうということで行動する。朝のうち晴れていたが、やがて雲が広がり、そう長く持つ天気ではないことが予想される。先行パーティーを次々と抜き、核心部の岩場でザイルを使用するが、先行パーティーがいて順番待ちとなる。立木がトップで登りザイルの流れが悪くなるので20m程で切るが、ここでザイルをしまってしまったが、次のピッチの方が難しかった。
東尾根とのジャンクションピークである荒沢の頭を過ぎると北峰も近いが風が強く顔が痛い。
それぞれがピークに立ち握手で決める。剣岳方面が見渡せ我会のパーティーの行動を思いやる。写真を撮ってピークを後にする。登りでザイルを使った岩場は懸垂下降し、あっと言う間にベースに着く。この日も5時に食事をするが、翌日の天候は今日より悪い予報が出ているので一応早起きはするが天気が悪かったら下りようという事で7時に寝る。

5/4
昨日と同じ様に夜になると風が強くなってきて、降雪も昨日より多い。一度雪かきをするが吹溜りに雪が積もって来る。テントのあおられる音に「後立がこれじや剣は大変だろうな」とシュラフの中で言い合う。結局、出発は諦め朝を待つ。明るくなってテントを撤収し、下山するがガスが濃く、視界が悪い。登ってきたルートを思いだしながら、途中第二クーロアールは懸垂をして通過。赤布をたよりに下り、雪とみぞれまじりの中、大谷原へ下り立った。
今回の合宿では木元が良く働いた。テントを張ってから水作りなど人のいやがる事を積極的にやってくれた。やはり博道さんの教育の仕方が良かったのだろう。今の新人は木元を見習って欲しい。

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