一ノ倉沢烏帽子奥壁変形チムニー

1992/6/6
メンバー:松元 鈴木博 松元  記


何故か突然、変チが攀じりたくなった。
誰を犠牲にするか?あの男にめぼしをつけた。サブリーダーで一番古く、私の為なら何時でもトップ引きをする、親分の為ならエンヤコラですよ、と常々大口をたたいていた奴。
4時目を覚ますともう成田が目の前で小便をしていた。木元も眠そうな眼をしながら天幕の廻りをうろうろしている。私もそうだが、彼らもきっと緊張しているのだ(木元は秦と衝立ダイレクトカンテ、成田は下野と烏帽子中央カンテ)
5時一ノ倉の出合いを出発、普段あまり飲まない秦がやけに酒臭い。二日酔いで今日はだめだ、だめだとしきりに言っている。木元は一睡も出来ず又、秦は酒におぼれ、やはり衝立の登攀は緊張するらしい。
何時もの様に中央稜の取り付きで大休憩をするが、秦・木元、下野・成田、本郷・遠藤パーティーは休憩もそこそこに各ルートに散っていった。我々も重い腰を上げて変チに向かう。
取り付きには一番に着いたが、博道さんはルートに不安らしく二番手にトップを譲った。三番手にはOCCのパーティー、この連中にも譲るかなと思っていたら流石プライドが許さないらしく譲らなかった(一説にはプライドが無いと云う話もある)。OCCの連中がこんな話をしていた。「岩場に取り付く前までの緊張感は、何とも云えない程いやなものだ」確かにその通りだ。
1ピッチ目から壁が濡れていて難しい。2ピッチ目の濡れた難しい場所で、博道さんはホールドにした岩がスツポリ抜けてしまった。壁lごぶら下がったまんま落す訳にいかず、赤ん坊の頭大の岩を片手に持ったまんま、暫く岩にしがみ付いたまんまだ。結局はやっとの思いで1m位降りて貰い岩を受け取った。
変チで博道さんはOCCパーティーに先行して貰い、変チ突破を真剣に研究したが、本番では大分パニックになったらしく、目茶苦茶にランニングビレーが掛っていた。私はビレーされている気楽さで、博道さん程苦労は無いが息を切らせてやっとAOで超えるが、一服もさせて貰えずそのままトップで行かされた。
四畳半テラスより下野と成田がコールを送ってくれる。
核心部はアブミで簡単に抜けるが、次のピッチの5mの方が余程きつかった。もうこの辺まで来ると、疲労が出て来て優しいピッチが結構難しくなってきた。変チの様に15~16ピッチもあると、技術だけで無く体力が勝負になってくる。体力のある博道さんに、おんぶにだっこで連れてきて貰ったが、最終的には自分との勝負である。
ルートも3級が続きだし終了点もまじかになってきたが、体力はルートとは反比例してピッチごとに落ちていき、岩場がそろそろ嫌こなってくる。
2時やっと終了点にたどり着く。博道さんの提案で南稜を下降しないで、国境稜線まわりで帰る事にする。
何故か5ルンゼの頭の登りが一番きつく本日の核心だ。博道さんもピンにヌンチャクを掛けるがメインザイルを掛け忘れそのまま登って行く。
オキの耳より、下野・成田からコールを受ける(我々がまだ変チにいると思ったらしい)
国境稜線に出てからがまたまた大変で、喉が乾けば残雪を口にほうばり、肩の小屋までの距離にうんざりし、西黒尾根の長さを罵りながら、やっと5時に肩の広場に着く。西黒尾根を降りきるまで何とかライトを使わずにとガンバルが、身体はゆうことをきかづピッチはガタ落ちである。それでも何とか巌剛新道の見晴らし台までは使わずに済んだ。
旧道に走る車のライトが、見え出してからの長さは半端では無い。本日の勝負はここかららしい。朝出発してから既に15時間が経過している。
巌剛新道の道も消え、沢の中をさ迷い歩き、8時半やっと待望のマチガ沢出合いについた。一ノ倉沢出合いまでもうひと頑張りだが、とうとうおじさんの体力もここで燃えつきてしまったのだ。

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