一ノ倉沢ニノ沢右壁

1991/8/3
メンバー:小宮・山口  山口 記


一ノ倉のロングルートを登攀することは、体力、気力、技術いずれもが低下している今の私にとっては言わば自分自身との戦いでもある。(最初からチョットばかりキザッぽい表現をしてしまった。)
昨年6月に岩登りのトレーニングを再開した理由の一つにはニノ沢右壁への再挑戦があった。以来、1年以上たって多少なりとも岩登りの勘を取り戻してきており、一昨年のニノ沢右壁の時のような岩と自分の能力に対する不安感はなくなってきていた。
どのピッチでもリードできる自信はできたし、パートナーの小宮と交互にザイルを延ばしていけば、1日で登り切って下山してこれるだろう。
要は、天候次第であるが、天気予報は「曇り、午後から一時雨」と告げていた。
朝の5時に起こされて、空を眺めると上天気である。これは良いと早々に準備を済ませ、6時前に一ノ倉出合を出発。
期待していなかった雪渓が、ニノ沢出合まで続いており、本谷に簡単に入ることができてこれはさい先が良いと喜んでいたのだが、アプローチの核心部である三俣大滝を越えた頃には全天雲におおわれ、何時雨が降り出してもおかしくない状態になってきた。こうなるともうダメで私は直ぐ意気消沈してしまうのである。
「どうするよ、これはながくもたないぜ、降りようか」私は空を見上げて小宮に同意をもとめたのに、「行きましょう。降り出したら下降して、ニノ沢本谷でも登り返しませんか」と言う。
マイッタナーと思ったが、これで軟弱な気持ちにケリをつけることができた。願わくば帯状ハングを越えるまでは降り出さないことを祈って、右俣に入った。
右壁は期待に反して濡れていた。最初のピッチは小宮に行ってもらい、次ぎのピッチを私がリードすることにした。というのも、一昨年の登攀時にはこの2ピッチ目が随分難しく感じたうえ、無理な姿勢をしたとたん足がつってしまい、その時のパートナーの桜井に上から不様に引っ張り上げてもらったところであった。
そのため、今回は是非ともこのピッチをリードして納得した登り方をしたかったからである。結果はやたらランナウトが長くなることで緊張した程度に終わってしまった。
2ピッチ目終了点のテラスが一昨年の私の最高到達点であり、ここまではルートが分かっていたので順調であった。
次ぎの4級フェイスを小宮がリード。続く3級のピッチを私がリードするも、途中で3級とはとても思えず、下にいる小宮にルート図を確認してもらう。
「乾いたルンゼを登る」とあり、「やはり、そこでいいのではないか」と言う返事に再度登り出したが、やはり難し過ぎるので、ハーケンを1本打ってクライムダウンし、ルンゼ右手にある草の多い凹状のフェイスに入ったら、ここがルートであった。(昨年の桜井、立木パーティーもここで同じようにルートを間違えたという。)
つぎも3級のピッチである。リードする小宮のザイルがいっぱいになったところでピッチを切らせず、私も同時に登り始めることにした。60mぐらいの登攀だから、当然2ピッチになるところを1ピッチにしたわけである。
こうした時間の節約(ごまかしかな?)は、過去何度もやってきたのだけど、やはり好ましいことではないか--ちなみに、第1ピッチ目も同じ事を20mぐらいして1ピッチを60mほどにした。
いよいよ帯状ハングである。核心部と言うが、岩は乾いており、まことに快適で久し振りに味わう4級A1であった。(途中のボルトが1本意識的にたたき落とされていて、4級のフリー部分を増やしてくれている。)
このピッチの後に4級のフリーが3ピッチ続く。実質的な核心部といわれているところだが、少ないながらも残置ハーケンは適当にあり、ルートを確実に辿れば快適なフリークライムになる。
ところが、最後のピッチでルートは左へ草付き帯に向かって行くところを、小宮は右上して見るからにヤバそうな壁にへばりついてしまったのである。おまけに悪いことは重なるもので、懸念していた雨がとうとう降り出してきた。
「オーイ! ルートはそっちじゃなくて左じゃないのか」
「わかってますけど、残直ハーケンが何本もあるし、ここまで来たらもう戻れないから、このまま行きます!」
悪戦苦闘している彼の姿をガスが時々隠してしまう。
嫌な予感がした。と、突然「ウワァー」と叫び声えを上げて墜落、身体を横にして下のスラブに大きな音をたてて落ちた。ザイルにショックがかかる時、ランニングが抜けないかと一瞬ヒャッとしたが、そこで止まった。
墜落距稚は7~8m程であろうか、声をかけてみると身体に異常はないという返事が返ってきて一安心した。足場にしていた草付きが、剥がれて落ちてしまった、という事だ。
そこから左へ下がり気味にトラバースしてもらい、正規のルートに入ることができた。 右壁自体はこの次ぎの草付きフェイスで終わるのだが、岩は雨に滞れ泥まみれでズルズルになっている上、ホールド、スタンスにする草付きが濡れたため剥がれ落ちそうで、まことに怖い。私は全ピッチを通じて、このピッチが一番いやらしく悪いと思った。
さて、最後に控えているドーム壁に向かってリッジを登り始めた頃から、小宮が右足首の痛みを訴え出した。捻挫だというが、かなり痛そうで、顔をしかめながら歩いている。
困ったなと思ってはみても、ここまで来たらもうどうしようもない。エスケープのことを考えたが、状況のわからないAルンゼに入るよりも、過去に一度登っているドーム壁を越した方がやはり良いだろうと判断した。
雨とガスにつつまれた黒いドーム壁は陰気そのもので、下にいるとこちらの気分までも滅入ってしまうため、休憩もそこそこにして直ぐに登り始めることにした。
濡れてフリクションが効かないので、1ピッチ目は最初からA1で行く。
2ピッチ目と3ピッチ目はAO交じりのフリー。小宮は「アッ」とか「ウッ」とか叩き声をあげながらなんとか登ってきてくれた。
4ピッチ目は簡単な草付きで、最後に3級のフェイスを登り、ようやくにして登攀終了。用心して国境稜線までアンザイレンで行く。
17時50分国境稜線に到着。出合を出発してからちょうど12時間たったわけだ。
ここで下山をどうするか話し合ってみるが、結局のところ、自力下山か救助を求めるかの二者しかない。骨折しているわけでもないので、やはり前者を選択、私が小宮のザイルと登攀具を背負って西黒尾根から巌剛新道を降りることにした。
ガスが出ているだけに、ライトを点ける前に樹林帯にできるだけ近付かないと、コースを見失って雨中ビバークということにもなりかねず、気ばかりせく。焦ったところでどうなるものではない、とわかってはいても、まったくイライラするほど長い。とくに、巌剛新道に入ってからはヤレヤレと気持ちにゆるみが出たせいか、いいかげんに腹が立ってくるほど長い道のりであった。
小宮はどう感じているのかな、時々叩き声をあげながらも黙々とビッコをひいて降りている。
そろそろ新道も終りになるだろうと思われる頃、ライトの電池が心細くなりだしたので、一足先に降りて新道の入口まで自動車をもってくることにした。
ようやく道路に降り立ち、一ノ倉出合に向かって歩き出してから5分もたたないうちに電池切れとなり、真っ暗闇の中を足さぐりで歩くことになってしまった。
場所柄、明りが無くなったとたん、あたりは魑魅魍魎の世界に一変したようでまいった。臆病者の癖というかすぐによけいなことを一人想像して怯えたりしてしまうのである。
一ノ倉出合着、23時30分。ただちに車に乗り、新道の入口まで行く。小宮が降りてきたのは0時ちょうどであった。

(追記)
この時、桜井達4名が出合の私の車のすぐ近くにテントを張っていたという。誰か知っている人でもいれば助けを求めたかったところであったのに、旨くは行かないものである。

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