衝立岩正面壁岳人ルート

1991/6/9
メンバー:尾原・桜井  桜井 記


梅雨にしては雨が少ない様で、この週末も天気が良さそうなので尾原氏を誘って衝立を登ることにする。尾原氏と二人きりで山へ向かうのは初めてであるが、今回は私から仕掛けて、衝立の本庄か岳人を登ろうということで話は決まった。
上野発17:41発の各停で待ち合わせるが、私が松元さんの会社へ谷川の計画書を取りに行ったりで乗り遅れ、次の特急で追い付き尾原氏と合流、土合駅迄酒を飲みながら山の話をしながらいく。
土合の長い階段を登って出合い迄歩いて行き、ルートを登って国境稜線に抜けて初めて一の倉沢を登ったことになるんだと言って氏をたきつける。
さて、土合駅で下車し、車道を歩いていると慰霊碑の手前のトンネルで後から追い越していく車があり、“乗せてくれたらいいのにね”と話をしていると願いが通じたのか、なんと前方で車が止まり、一の倉の出合い迄行くので乗っていかないかとの誘いを受ける。人の親切心には心より応じて出合い迄乗せてもらい、出合いでテントを張り、酒を飲みながら食事をする。
電車の中では岳人ルートヘ行く決心がつかないでいたが、酒の勢いもあってやはり明日は岳人へ行こうと決めて寝ることにする。
気合いを入れて3時半起床。4時半出発。雪渓を通り、テールリッヂを登る。これまで何度通ったアプローチだろうか。中央稜基部下で雲一、雲二ヘ向かう。
取付は分かりづらく、ビレイピンも見あたらなく潅木で尾原氏がビレイをとり、桜井より登り出す。ピンも無く、明瞭でない凹角を登り、30m程でやっとピンが2つあリ、ランナーを取る。ハングに頭を押さえられ、右にきわどいトラバース、潅木をたよりに右上するとボルト3本のレッヂに着く。
2ピッチ目、5級のフェースを直上から左上、ここもピンが少なく、今日はコンディションが良いが、濡れていると悪いピッチだ。後続の桜井が“フラットソールならさほどでもないけどアイゼンをはいたらきぴしいね”と尾原氏に話すと、氏は、“いやあ、これくらいならアイゼンでもリードしますよ”と言う。
3ピッチ目右ヘトラバースし、3段ハングを越す。このピッチからピンも多くなり、さほど遠い所もないのだが、浅打ち有り、下向き有り、腐っているの有りで、例の悪いピッチでかける“た、の、む、よー”というコールの連発である。
4ピッチ目、尾原リード。途中右上する小ハングを越し、その後レッヂ手前に古いシュリンゲを使ういやらしい人工が有る。岳人ルートは、3、4、5ピッチにA2の人工が有るが、さして大きなハングではなく、ピンの悪さがこのグレードを付けているのだと思う。
続く5ピッチ目、あい変わらず悪いピンの人工が続くがここまでピンの打ち足しはなく、ここで桜井が、浅打ち、下向きのピンに乗るのにプロテクション用として初めて一本打った。ハングを越し、右のガリーヘトラバースするがここが5級のフリーだろうが、さして難しくないが、ばかでかい浮き岩があった。
ここより右上して石楠花テラスに着く。ここで初めてすわってビレイ出来た。尾原氏を迎えた時で10時を少し回っていて割といいペースで来たので大休止とする。
ここから、3級のブッシュを30m左上し、4、A1のフェースになるのだが、尾原がブッシュの中ロープを伸ばしてもそれらしいフェースが見つからない。やむなく桜井も尾原のビレイ地点まで行くが、それらしきルートが見つからない。しばらく考えて捜したのだが、石楠花テラスヘもどるのもブッシュ帯のクライムダウンで悪いので、残りのピッチはあきらめて中央稜のビレイ点に抜け出る。
3ピッチも残して、ルートが分からないと言う理由があるにせよ中央稜ヘエスケープしてしまったので、あえて岳人ルートを完登したとは書かない。続登のトライを望む。
さて、傾斜の落ちた中央稜を3ピッチで衝立の頭に抜けたのが午後1:00であった。北稜を下り、一の倉沢の出合いに帰って来ると、前日車に乗せてもらったパーティーも少し後から下りて来た。我々があいさつをして車道を歩いていると後から又声をかけられ、水上迄送ってもらった。

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