富士山

1991/11/23~24
メンバー: Solo 桜井 記


11/23 新宿発8:17の直通河口湖行に乗る。前夜、仕事が長引いて家に帰って来たのが11時で会山行の集合時間には間に合わなかったので翌朝電車で追いかけることにした。
富士吉田駅で下車し歩き始める。この道は以前ヨーロッパアルプスヘ行く前にトレーニングとして一人で歩いたことがあったので迷うことなく行ける。中の茶屋迄はアスファルト道の為行き交う車がうらめしく思う。この辺りから見上げる富士山はその裾野を広げ遥か遠くに望まれ五合目迄は遠く感じられる。
中の茶屋から左にいつも富士山へ向かう時に通る滝沢林道を分けるが、工事中で通行出来ないと看板が立っていた。林道を一時間程歩き馬返しと呼ばれる所へ着く。
車はここまで入れる様で5台程の車が止まっていた。ここから道は狭くなり悪くなる。30分程で1合目の標識が有り、その後2、3、4合と進み5合目の佐藤小屋に着いたのは富士吉田を出てから5時間後の3時半だった。
たいした登りではないのだが、吉田の街中を抜け、車の行き交う舗道を歩き、林道から山道と単調な道程には仲々疲れさせられた。5合目で嵓のメンバーのテントを捜したが見つからず、それらしき車も無いので滝沢林道が使えずに来ていないのかと思う。ただ他に車が結構止まっていたので、おかしいなと思いながら一人ツエルトを張る。
一人ですることもないので早々と食事を済ませ7時には寝てしまった。この夜は風が強く、ツエルトがかなりあおられて2時間程寝ては目が覚めるの繰返しで翌日は朝4時に起き出した。
11/24 朝食を済ませツエルトをそのままにして必要な物だけをザックに入れヘッドランプがいらない位の月明かりの中を5:30出発。どこまで登れるか分からないが帰りの時間を考えて10:00迄登って降りることにする。
30分も歩いた頃から左手の地平線が雲海を通して赤くなってきた。右手頭上には月がまだ輝いており生命の息吹を予感させる様な夜明けの美しさが一番感じられる瞬間だ。
出発したのが早かったのか他に誰もいない。この美しい風景を一人占め出来た感動に、一人でもここまで登って来て良かったなと思った。
7合目迄は所々で雪が付いている程度で、特にアイゼンを必要とすることはない。7台目の閉ぎされた小屋の脇でアイゼンをはいて登り出す頃にはあちこちでビバークしていたパーティが増えてきた。昨年に比べると雪は少ない様で雪上訓練を目的に来たパーティもずいぶんと上に押し上げられている様だ。
それにしても富士山はいつ来てもおもうのだがこれから自分の向かう登路がほとんど見えてしまい、それが実際、自分の想像よりも長いのでまいってしまう。ただただ我慢して自分の足を交互に一歩づつ上げるしか無い。こんな時、ありふれている言葉だが「何故オレはこんな苦しい事を好きこのんでやってるのだろう」と思うが、今きらそんなこと思ってもしかたない。
8合目を過ぎると風も強いのか、雪面もクラストしてきてアイゼンの領域になる。ひたすら次の鳥居を目指して登っていく。つづら折りになった登山道を一歩一歩登っていくと見覚えのある狛犬が、これまでの労をねぎらう様に出迎えてくれた。ピークに着いたのである。
ガスが濃いのでたいしたながめも望めず、時間も予定より過ぎているので10:30過ぎに下降する。登りの苦労などとんと忘れて、帰路をふっ飛ばす。5合目のデポ地点に着いたのが12:00過ぎで、ツエルトを撤収して長い長い富士吉田迄の道を下る。昨日の5合目までの登りでは仲間に会えるという希望と目的が会ったのだが今はそれも無く、一人なのでただただ長く感じられる。吉田の街に着いたのが16:30分。
一人缶ビールを飲みながら思った 「富士吉田から歩いてピークに立って初めて富士山を登ったことになるんだぜい」と。

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