南アルプス明神谷

1990/8/11~14
メンバー:松野・鈴木(博)・江本  江本 記


8月12日

干頭駅一番のバスで出て、7時50分頃、栗代橋に着いた。台風の名残りだろうか大井川は水かさも多く、濁っていたが、栗代川はきれいな水色をしていた。河原に下り立ってみれば、目の前の水勢は烈しく、狭くなっている上流の方も水が林に広がっている。ガイドブックにあった、放水ダムまでは平凡な河原歩き・・・などといった印象はどこにもない。前途に不安を感じ、唖然と立っていると、上流から三人の登山者が下ってきた。三人とも胸のあたりまで濡れていた。水量が多いため、流されそうになり、無理だと判断して引き返したという。放水ダムよりはるか下で危険を感じる位なので、その上は推してしるべしである。
我々も中止を決断せぎるを得ない。私が次のコースとして、明神谷を提案すると、静岡の三人パーティーも、そちらへ行こうということになった。都合の良いことに彼らは小型トラックでアプローチしており、我々も乗せてくれるという。ご好意に甘えることにした。ワンボックス型の貨物車で、我々は荷台に乗せてもらった。窓が開かず、風通しが悪かった。また、道の曲折につれてよくゆれたので、さんにつかまっていなければならなかった。それでも松野さんは横になって寝ていた。30kmも走ったのだろうか。明神谷にかかる橋に着いたのは10時を過ぎていた。静岡のパーティーに謝礼を渡そうとしたが、受け取らなかった。
粟代川と明神谷は、大無間山からそれぞれ反対側に流れ出している沢である。走った距離から大無間山の大きさを思った。
林道を少し歩き、10時50分発電所の処から入谷。私たちと、静岡パーティーと、もう一人単独行者が入っていた。
予想通り水量は多く、すぐ腰までの徒渉となった。1人で危険を感じた時は、三人で肩を組んで渡った。初めての経験だったのが、ずっと安心できた。やはり三本の矢の方が強いのだ。
川幅は狭く、ゴルジュ状のところが多かった。渡渉とへつりの連続である。博道さんは極力水線通しに行こうとした。後をついてゆくと、胸までになり、次いで足が浮き上がり、また戻って側壁にルートを見出す、ということが再三だった。側壁で詰まった博道さんが水に飛び込む。深い流れに入らないよう、出来るだけ遠くへ跳ぶのだが、必死になって泳ぐ様子を見ていると滑稽でさえあった。
全体にこの沢は、瀞という処が少なくて、深い淵を常に早い流れになっていた。気が抜けないという感じである。松野さんは、「丹波川をやっておいて良かったですね」と、云っていたが同感である。ガイドブックでは2級上となっていたが、私には3級位に感じた。沢の様相は水量によってかくも変るといういい例である。
オウダ沢出合手前の深い釜を持った7m位の滝は、戻って左岸から高巻いた。静岡パーティーは右岸から高巻いたが、その後の渓相から見て、容易に谷に戻れそうもなかった。
2:20オウダ沢出合着。林間の台地に快適なビバーク地があり、木の間にシートを張った。間もなく、よく頑張ったであろう単独行の人が着き、少し下にテントを張った。博道さんは、すぐ火を起こしにかかった。まきは豊富だった。単独行の人(橋本氏)もよび、たき火を囲んで楽しい語らいとなった。時間はたっぷりあったし、充分とは云えないまでもアルコールもあったし、何よりも南ア深南部の谷にいるという充実感があった。
話がはずむ中で、昨夜の千頭、大井川河畔の盆踊りが話題となった。浴衣姿の若い女性が踊っている輪に入って、無粋な男が三人、見よう見まねで出たらめな踊りをやっていたものだ。
駅前の飲み屋で一杯やったあと、大井川に出ると、上流から盆踊りの曲が流れてきた。盆踊りが好きだという松野さんを先頭に我々の足はそちらへ向かっていた。夜店で缶ビールを飲んだり、イカを食べたりしていたが、皆さんもっと踊ってくださいというに、我々は素直に応じ、すぐ輪の中に入った。同じ阿呆なら用らにゃ損々・・・というわけだ。優雅な身のこなしで踊る女性たちにならって、あやしい身ぶりながら何曲も踊った。とうとう終りかと思っていたら、最後にジェンカをやるという。私の隣は松野さんだったので、私は素早く若い女性の間に入り、両方に手をつないだ。右側の女性は中学生だったので、松野さんはうらやましく思ったという。私としては、左側の肉感的な女性により気をひかれたが・・・・。マイマイマイマイマイムデカンショ・・・・何度も踊っているうちに、左側の女性の手が汗で濡れ、すべりやすくなったので、よりしっかり握らねばならなかった。輪は大きくなったり、小さくなったりして、左廻りに動いていったが、途中で右側の手が離れた。と次の瞬間、すっと間に入ってきて私と手をつないだのは、背のすらりとした格別いい女だった。盆踊りのときから気になっていた女性だ。何たる果報者かと思いつつ輪はまた動きはじめ、しっかりにぎった右側のしなやかな手もまた汗ばんでくるのだった。
夕方雷鳴がとどろき、夕立となった。オウダ沢は白い帯となって流れ、本流は濁流と化した。しかし1時間程で上がり、我々はまた火起こしにかかるのだった。

8月13日

満天の星が消え、爽快な朝の訪れとなった。6時40分頃、静岡の3人パーティーが下りてきた。200mぐらい上の方にビバークしたという。7:20発、明神谷は水も落ち着き、青空を映して昨日よりも美しく見えた。本流におりると、男1人女7人位のパーティーに出会った。中に一人か二人、私と博道さんが十分気になるような女性がいたが・・・。こんな処にも来るのかと感慨深いものがあった。しかし、このパーティーは水に入るのは苦手らしく飛石伝いで水に落ちたりしていた。こちらは手をさしのべたいような気持だった。
しばらくゴルジュ状が続き、小滝、滑、釜と変化に富み、時には高巻きとなった。水は澄み、淵は青く、小滝は水勢強く、飛沫は陽にきらめいていた。
洞穴のある10m斜瀑は大きくて深い釜で取り付けず、右岸を戻って大高巻となった。途中ざれた悪い処もあり、踏跡らしきものを辿っても、中々下へ降りれなかった。15m程の懸垂で沢床におりる。(この高巻きは通常左岸を高巻くと後で知った)
下から橋本さんがやってきた。全身ずぶぬれであった。「いやーあせっちやいましたよ」と云っていた。渦に巻き込まれてなかなか出られなかったそうだ。「顔は出ていたの?」。「出てなかったら死んじゃいますよ」。この沢で一人はこわいなーという感じはあったが・・・。下降点より少し上で、強い流れの徒渉があり、肩を組んで渡ることになった。「ぼくも入れてください」と橋本さんも入ってきて、4人で渡った。何回かきわどいへつりがあったが、松野さんが見守っていて「もう少し先にガバがありますから」とアドバイスしてくれるのがありがたかった。
ゴルジュの中で、先に行っていた橋本さんが、無理と思ったのか戻ってきた。我々が行ってみると、流れの下にある岩に右足を乗せれば簡単に突破できた。橋本さんは右岸の高巻きに入ったのだが、その先は絶壁と大崩壊となっていて、到底下れそうになかった。我々は、単独行者ががけの上に現れるのを待っていて、戻ってくるように合図した。彼が水線通し無事通過するのを見届けて、我々はまた先へ進んだ。
沢は、明るく開け、また廊下状を呈すといった具合で、この谷の美しさもいよいよクライマックスを迎えているような、楽しい雰囲気になっていた。左岸から二段の美しい滝をかけて出合う魅力的な支流があった。「こんなのが丹沢にあったら、すごい人気になりますね」と松野さんが云っていた。
11時20分、二股着。魚無沢に入り、最後のゴルジュを過ぎると沢は開け、広々としたゴーロ状となった。単調な河原歩きが続き、照りつける陽ざしに私の歩も遅れがちとなった。腹もへり、そろそろそ休んでくれないかと可成り離れてしまった松野さん達をうらめしく見上げるばかりである。
1時間以上の長いワンピッチの後、木陰で休憩。昼食をとる。
次のピッチ、松野さんがまだ準備し終らないうちに先行する。傾斜も増し、大きな岩の伝い歩きで歩きにくい。松野さんとは100m位離れていたが、すぐ追い抜かれてしまった。再び遠くなって、私の視野から消えてしまった2人。汗をしたたらせ、力ない足どりで進みながら思った。博道さんは今日中に帰らなくてはならないので、あせっているのだ。自分はどうせ大無間でビバークだから、ここらで別行動をとらせてもらおう。もう年だし、無理がきくわけないのだ。それにしても弱くなったものだ。若い人についてゆけなくなったら自分もこの会を止める時かもしれない・・・・でもそう簡単には引き退れないぞ。今回はインドネシア帰りでずっーと下痢をしていたし・・・などと自分に都合のよいことばかり考えている。
2人の休んでいる処に着いた時、自分は今日はバテ気味だ、他のパーティーもいて心強いことだし、別行動をとらせてくれ、と申し出た。松野さんが承知してくれたのがありがたかった。兎に角、ここで持ってきたソーメンを食べようということになり、博道さんがゆでた。ソーメン流しをする予定だったが、流れにひたすとそのまま流れていってしまうので、あわててすくってマックエルで冷して食べた。これで予備の食糧は殆どないということであった。(要代川は1泊で抜ける予定だったので・・・)
河原状が終り、沢は傾斜を増しつつ狭くなり、苔むした樹林帯に入った。稜線が見えよえかと思うころ、静岡パーティーと橋本さんが休んでいるのに追いついた。
そこから私は我がパーティーと離れることになった。松野氏と博道氏は三方峰目指して先を急いだ。
そこから登山道を林道へと下って寸又温泉に辿り着くのだ。前途の多難さが思われた。我々は水筒に水を満タンにし、最後の一登りとなる。こちらのペースは私にぴったりだった。源頭はけもの道に導かれ、歩きやすくはあったが、稜線にはなかなか着けないという感じだった。途中で直上し、笹原を分けて登山道に出た。3時40分だった。歩きやすい道を大無間山の方に向かって進む。ゆるい登りとなり、やがて平坦で広々とした気持のよい樹林帯に達した。4時。
設営開始、私のツエルトを含めて三つのテントが2、30m位ずつ離れて張られた。大無間山までは行けなかったが、今はここに勝る別天地があろうとは思われなかった。まさにこの山行のフィナーレを飾るにふきわしい幻想的な夜が訪れようとしていた。
静岡パーティーのテントに呼ばれて、梅酒をごちそうになった。何たる美味かこ3杯で遠慮してひききがったが、もう一杯頂けばよかったと後で思った。橋本さんはまだごちそうになっていたが・・・。(それにしても、アルコールの切れる山行は何とはわびしいものだ)
静かな林間の闇に身を横たえながら、松野さんと博道さんを思った。今頃おぼつかない明かりを頼りに、必死になって杯道を急いでいるのだろうか・・・と。
後日談、松野さん、博道さんの二人は三方峰よりけもの道に迷い込み、沢の源頭らしき処に下ってしまい、身を横たえる余裕もないビバークとなったという。翌日食糧もなく、ひもじい思いをして寸又峡に出たそうな。結局静岡に出たのは、私と橋本さんと殆ど変らない時刻があったという。博道さんの奥さんは心配させるし色々反省事項の多い山行でもあった。

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