丹沢水無川本谷

1990/11/18
メンバー:字賀田・秦・小宮・高岡・三上  三上 記


 

長い林道を抜け、河原へ下る。「三上さん、恐かったら、恐いってはっきりと言うんだよ」そう言いながら、字賀田さんがハーネスをつけて下さる。大丈夫、先週の富士山であれほど鍛えられた私だ。きっと、体力的にも技術的にも大きな成長を遂げているに違いないわ。ヘルメットをかぷりながら気合を入れる。しかし、世の中それほど甘いものではなかったのである。
皆、河原に不揃いに並ぶ石の上をポンポンと軽快に乗り超えていくのだが、私の場合、不慣れということに加えて、冬山に備えて重い荷物を背負う訓練をと、目いっぱいザックを重くしたのも災いし、全くバランスが取れない。足元が狂う。必死で体制を整える。思わず手をつく。ゴーンと上の方から覆い被さってくる岩に頭をぶっつける。本当に心臓が氷つきそうになったことが何度かあった。いやというほど膝ををぶつける。やっと治りかけた私膝の青あざはまたもや3倍ほどにも増えしまった。その表面積、左右合計42.6cm2あんまりすごいので、翌日ひとつひとつスケールで計って計算してしまった。おまけに河岸を反対側に渡る時が一苦労だ。
ヌルヌルと滑る河原の石は、全く私のズックを寄せつけない。転ぷよりやましだ。とザブザプ川の中に足をつっ込む。「おおっ」ドップン!!結局、冷たい川の中、尻もちをついてしまった。腰から下、下着の中までズプ薄れだ。「トホホホ…‥」ため息をつきながら、青い空を見上ける。祈ることはただひとつ一生きて帰れますように。
やがて7mほどの滝、F1に着いた。秦さんが最初にリードする。「あの、ここ、私、登るんですか?」恐る恐る尋ねると、「うん、そんなに難しくないからさ、大丈夫だよ」と、字賀田さんがきっぱり言い切った。こ、こんなにすごいところを?いきなり?練習もなしに‥‥‥!?甘ったれた奴だと、笑って下さい。叱って下さい。ただ、突然現れた滝の、ゴウゴウと水しぶきを上げて流れるその様を前に、すっかり動揺してしまったのである。
ザイルをエイト結びにしてもらって、カラビナに通し、「行きます!!」と叫んだ(のだが届かなかったので代りに叫んでもらい)、岩に両手をかける。行きます!!
心の中でもう一度叫ぷ。一歩一歩、登り始める。しかし、途中でそこからどう進んだらいいのか、まるっきりわからなくなってしまった。「どこに足をやったらいいんですか!?」「ほら、そのもっと左側、そこに足をかけて」「ここですか」「違う、もっと上の方、そう、そこ!!学賀田さんと小宮さんが交互に叫ぶ。バランスを崩し、足が滑り落ちる。ザイルが思いきり引っ張られる。再び足をかける。腕に力を込め、ゆっくり体を持ち上ける。繰り返す。ようやく、奏さんと同じ高さまで、たどり着いた。「もっと、先の方まで行って。すぐザイル外して。ザイルの結び目は自分で解いて」「あっ、はいっ」-やったあ-、登った。登れたんだ、私は。
何て表現したらいいんだろう。満足感、充実感、自分に対する自信、これからの期待、安堵、爽快感、どれだけ言葉を並べても足りない。ただ、ただ嬉しくてたまないこの感じ。ひんやりと手の平に冷たい岩の感触、私をしっかりと支えた太いザイル、思わずしがみついたテープ。この文章を書いている今でも震えてくるほどはっきりと、体に残っている。一生忘れられないだろう。そう思わずにいられない。
F2、F3、F4...目の前に迫りくる滝を、次々に登ってゆく。「俺の足取りを良く見て、その通り置いて来い」「はいっ」「3点支持って教えたっけ?」「あっ知ってます。4本の手足のうち、3本までは絶対に岩に固定していなければならない、と言うことですよね。でも私、だいぶ体が慣れて来たように思いますよ」
「うん、体のカが抜けてきたようだよ。最初はよろよろしてて、どうなるかと思ったけどね」
F5、F6、F7、F8……時は瞬く間に過ぎ、やがて一行は水無川最後の滝、F9へと着いた。
「僕が行ます」高岡さんが、トップで登り始める。う‥‥‥ うまい!!その足取りの確かさに、思わず目を見張る。どうして?!たしか高岡さんは、初めて一月ちょっとだって言ってたよね。それがどうして…‥‥こういうのを、持って生まれた天性のカンとでも言うんだろうか。楽楽と登り終えた秦さんと、小宮さんにつづいて私も挑戦する。私だって負けてられない。私は途中で足を滑らし、宙づりになってしまった。後で聞くと、地上からわずか2mほどのことだったという。しかし、その時の私にとっては、少なくとも10mはあるように思えた。「ザイルダウン!!ゆっくり降ろしてやって下さい」字賀田さんが叫ぶ。少しずつザイルが延び、岩に足が届いた。「落ち着くまで、少し休んでいいよ」「いえ、平気です。それほどショックはありませんから」「じや、もう一回、行ってみる?」「いいえ………それはちょっと」
前号の会報に、直樹さんが一度落ちた後でも、再び登っていった過程が書かれてましたよね。あれはすごいと思う。実際に体験した今、本当にそう思う。私には出来なかった。もう一度行きたい、頭ではそうn願っても、体が動かなかった。情けない話だが、たったあれだけのことで、力が全部抜けてしまったのである。
巻き道を回ることになり、石を登り始める。まだ、足は震え続けている。さっきまでは軽々と登っていけたような場所なのに、腕に力が入らない。足が上がらない。
「あと、30分ほどで頂上だから」あと30分も‥‥‥…しびれるように重い腰を引きずり上げる。あとは気力だけだ。残っているカをふり絞り、登り続ける。
「着いたよ」秦さんの声に顔を上げる。突然目の前が開けた。
「おめでとう、よく頑張ったね」「ありがとうございます」字賀田さん、秦さんと握手をかわす。ふいに涙がこぼれた。「ど、どうしたの?」「あ、いえ、ここまで来れたと思ったら、嬉しくって」実は、そこは稜線へ出たという地点で、本当の頂上もっと先だったのであったが。
4時15分、塔の岳山頂到着。「-あいつに彼女が出来たんだからさ。他の奴だって大丈夫だよ」という字賀田さんの言葉に、「えっ、それは誰のことですか。?」と、にじり寄っていく。「本郷だよ、本郷」「でも、本郷さん、優しいいですからねえ、私はすごくいいと思いますよ」「でも優しいって言ったら、やっば尾原さんですよねえ」と小宮さん。「あ、分かります。でも小宮さんだってなかなかのものだと思いますよ、私もねえ、あと5つ 若かったらねえ」「山に来る奴は、みんな優しいよ」
ああ、本当にそうだ、私は思った。まだ、山行に参加してたった2度目だけど、結構、きつく言われた(ように感じた)こともあった。でも、その厳しさは素直に私の心にしみ込んできた。奮い立たせた。ふと、周囲を見渡すと、直先に目に飛び込んで来るのは、どんな美しい風景でもなく、頼りない私の姿をしっかりと見守ってくれる、誰かしらの目だった。これだけは、はっきりと言える。ザイルでもピッケルでもない、その優しさにひきずられて、ここまで登って来られたのだと。だから、私は山が好きだ。こんなにも好きだ。
前回の記録文と同じ終り方になって真にかたじけないが、やはり書かずにはいられません。字賀田さん、秦さん、教えていただいたこと、ひとつひとつ胸に刻みつけています。もっと力をつけて、又挑戦します。苦しくてどうしようもなかった時、「そっちから回った方がいいですよ」と真剣にアドバイスしてくれた小宮さん、すごく心強かった、安心して登れました。「たいへんそうだけど、新人同士頑張っていきましょう」そう言ってくれた高岡さん、こんな情け無い私だけど、一緒にやっていこうね。
1990年11月18日、私のはじめての沢登りの、かけがえのない1日を、ありがとうございます。もう一度心をこめて。どうもありがとう。

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