91年 正月合宿報告 前穂高北尾根パーティー

1990/12/31~91/1/2
メンバー:鈴木(博)・本郷・木元・秦・山口  山口 記


90年大晦日。坂巻温泉を30日の朝に出発してから2日目のこの日まで、我々はきわめて順調であったといえる。慶応尾根の登りでは雪崩の心配がないようなのでほぼプロムナードコース通りに進むことができて、ずいぷん時間短縮になった。
ところが、こと天候に関しては全く思わくが外れてしまった。東京を出発する時までは、31日・元旦と移動性高気圧におおわれ、冬型による天候悪化は正月2日以降になるだろうと予想していたのであったが、ラジオの天気予報は早くも31日夜半から低気圧の影響を受け、元日は大荒れ、2日以降冬型の気圧配置に変わると告げていた。
慶応尾根を登りながら、天候悪化を知らせる大きなレンズ雲や変わった形をした雲の流れを眺めていると、『あれはクラゲ雲といってこの雲があらわれると80%の確立で天気が悪化するんです』
なるほど言い得て妙とはこのことだと電気クラゲによく似た雲を見ながら、ところでその時の私の心の中を白状すれば、前穂高に立つことはすでに諦めていて、そういう言訳をして皆を下山させようかとそのようなことを考えていた。吹雪の中を行動する辛らさやビバークの苦しさを思うと、やれるところまでやってみようという気力がいとも簡単に萎えてしまったのであった。我ながら意気地のない男だと思った。
テントは北尾根八峰直下に設営した。夜からの荒天を考えて吹きさらしの八峰頂上よりいくらかは風が弱かろうと考えたからであった。
スコップが無い為、ピッケルやコッヘルを総動員して雪の斜面を苦労して切り拡げ、テントを張った。
ヤレヤレと一息ついていると、
「チョット様子を見に八峰まで登ってきます。」
しばらくして戻ってくるや
「八峰の方がここよりずっと快適ですよ。ブロックで囲まれて整地されているテント跡があって、風だってここよりないと思います。別にここを撤収してテントを移動させる程快適とまでは言いませんが」
と大声でなじられてしまったのである。
天気の悪くなる前にテントを張ってしまおうと焦ったからで、とりあえず偵索に出してから判断すればよかったのであった。
私は、自分の判断の悪さに恥じてテントの奥で小さくなることにしたが、ここが風上にあたるため、テントを吹き飛ばそうとする風圧と背中で格闘するはめになってしまった。背中を押えつけられたため胃が圧迫されてよけい気が滅入ってしまった。
夜、木元の書き上げた天気図を回し見ながら、明日以降の行動をどうするか議論し合った。
「行動打ち切りの時間を決めて前進したらどうか」
「行動する以上打ち切りの時間など考えたくない」
「天候の様子をみてから決めたらどうか」
「こんなところで沈殿するくらいなら下山した方がよい」
「ともかく行くだけ行ってみたら。なにごとも経験だと思う」等々話しはなかなか決着がつきそうにない。
結局、荒天とわかっていながら行動することは事故の起きる危険性も高まるわけであり、むしろこのまま下山する方がよいのではないかということで全員に一応納得してもらった。
そうと決ればその旨を西穂パーティーに連絡する必要がある。ところがこのトランシーバーがなかなか言うことをきかず、交信ができない。これは人を見るのではないかということで、奏さんに手渡したとたん交信ができた。以後、トランシーバーは奏さんが専門になる。
西穂パーティーは全員西穂の項上に立つことができ、登頂祝いのパーティーを行っている最中で、樹林の中にテントを張っているせいか地形的なものか風は全くないという。我々の決定をつたえ、明日一緒に下山することにした。
一方、北鎌パーティーとは全然連絡が取れなかった。
シュラフにもぐってしばらくした時、風でテントのが1本折れてしまった。一時はどうなることかと思ったが、折れたままでも大丈夫なようなのでそのまま眠ってしまった。
明けて元日。濃いガスの中、雪が舞っていた。低気圧のせいか妙に暖かい。下山となると早いもので新村橋まで3時間程歩いて到着。
今日も北鎌パーティーと交信ができない。彼等の状況を確認してからでなければやはり下山するわけにもいかないので、今日は徳沢に泊まり、北鎌パーティーとの連絡に努めることにする。このことを西穂パーティーにつたえてから徳沢にテントを張った。
午後、長塀山を途中まで登り交信を試みるがやはりつながらなかった。明日、横尾へ行き、交信してみることにする。天気の方は大荒れということもなく、一日中曇りで、時々思い出したように小雨が降っていた。
翌正月2日。天気は前日と変わりなく暖かく、雨が時々降ってきた。横尾に行って、トランシーバー交信をこころみたがやはりつながらない。
槍沢をつめて槍見平まで行けば交信が可能になるのではないかと思い進むことにした。そこでも交信できなかったらどうしようかとだんだん憂欝になってくる。
横尾を出て、30分程したところで突然北鎌パーティーの声が入ってきた。頂上まで20分~30分のところにいるという、立木さんの元気な声を聞き、こちらの気分も明るくなってきた。それなら今日彼等に会えるかもしれないと思い、槍見平まで行って待つことにした。
20分~30分というのは聞き違いだったのか、頂上に着いたとの交信が入ったのは2時間程たってからであった。次に1時間半程たって肩の小屋まで全員無事に降りてきたことを確認した。時間も大分経過したので合流することは諦め、ここで我々は一足先に下山することにした。

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