滝谷であったこと

1989/8/12
メンバー:中川・谷中  谷中 記


今回の山行を振り返ると、神妙な面持ちにならざるを得ない。
中川さんに連れられてP2フランケ早大ルートを登ったが、取り付きまでの間に落ちた。およそ落ちるなどとは考えられない箇所をトラバースして落ちた。いつもはホールドをつかむ前に手で引っ張ってみたり、足で踏み蹴ってみたりして、必ず確かめた後に体重を移していたが、あの時は、後続パーティーの一人が真横にまで来ていて、「急がなければ」、と思い、また岩がかなり大きかったので「大丈夫だ」と決めつけて、その岩を抱くようにして狭いバンドをトラバースした。「はがれた」、抱いていた大きな層状の岩がはがれ、大きな音と砂ぼこりをあげて沢を落ちていくのが見えた。
後は何もわからなかった。後続パーティーの人が言うには「ザックを背負ってたから助かったんだ」と繰り返す。岩にぶつかったことすら覚えていない。左腕に大きなスリ傷ができていただけだった。しかし、状況はこんな生易しいものではなかった事を後で知った。中川さんもこんな所で落ちるなどとは思っていなかったので、万全なビレー体制などとっていなかったし、というよりもむしろこのような箇所では単にザイルの両端を互いに結びあって、そのまま移動することが一般的に行われているということだ。
今回の場合には幸いにもランニングビレーがとってあったものの、普通ならとらないで移動する事も多いと思う。片方が落ちれば当然のことながらザイルを結びあっている相方まで引きずり落とすことになる。
これまで落ちた状況等について書き綴ってきたが、後々になって私はもっと大きな過ちをしでかしていたことに気がついた。「確認をしなかった」ということよりもむしろこちらの方が恐ろしいことかも知れない。それは、無意識のうちではあるが、この落ちた事実を「恥」として頭の中から全く消してしまおうとしていたことだ。怪我といえる怪我も何もなかったせいもあり「今度からは何があろうと必ずチェックして登ろう」ぐらいにしか思っていなかったということなのだ。
涸沢からの下山中この話を聞いた山口さんの顔付が豹変した時初めて気がついた。「こんなに軽々しく片付けられる事ではなかったんだ」 と。
先日松野さん、鈴木さんと沢登りに行った時、話にのぼったのだが、「トップがザイルの半分以上の30m以上登ってしまった後、落ちた時どうやって助ける?」
岩登りを始めてたとえ間もなくても、そんな事は理由にならない。セカンドを努める以上は、当然に知っていなければならない義務なんだ。こんなことは。
私の頭の中には「登る」ことしかなかった。「登る技術」「登る醍醐味」「登って開ける新世界」「うまくなりたい」こんな感情のみが渦巻いていた。
考えること多き山行だった。私は忘れない。いや忘れてはならないのだ。滝谷で落ちたことを。

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