烏帽子沢奥壁凹状岩壁ルート

1989/9/16
メンバー:桜井・立木 記


9月15日 予定では、14日夜入山、甲斐駒、摩利支天のルートを予定していたが、両名共仕事の関係で調整がつかず、てっとり早いところで一の倉沢に決定。
9月15日、10時51分上野発、越後湯沢行きに乗り、またもや酒を飲みながら、くだらない話に花が咲く。AM2:16土合着。電車で土合に来たのは2度目だが暗い!この駅の暗さが一の倉の暗さを象徴しているようだ。
早速暗い夜道を約1時間歩く。出合まで歩くのは我々2名のみ。出合着3:30。テント設営後4:00就寝。やはり一の倉に来るには電車で、あの土合の長い階段を登って、出合まで歩く。それでこそ本当に一の倉を登ったことになるのだ。(誰か私を一の倉へ車でつれてってー)
AM6;00起床、天気(雨)、本日の予定は3ルンゼ~稜線~西黒尾根下降であるが、天気が悪すぎる。しばらく様子をうかがって、8:45ごろ明るく天候回復のきざしが見えてきたので、9:05出合発、しかし3ルンゼは長いので明日予定している凹状岩壁を登攀することにする。
ヒョングリの滝高巻きルートをクライムダウン、テールリッジをつめる。
10:15取付点10:30取付、今回は桜井さんと約束でつるべで行くことになっている。桜井さんが登って行く。必然的に次のピッチは私がリードすることになるのだ。先行パーティなし、2ピッチ~3ピッチの間は、非常にやばい。もろ、落石のルートで、上部で落ちたものが空間を音もなく飛んできてほとんど同じ、このビレイポイントめがけて飛んでくるのである。
さて、4ピッチ目いわゆるこのルートの核心部凹状の立った細かいホールドのルート、それにしても残置がない。 このルートでランニングは、8ケ所しかとれない。
桜井さんに聞いてもやはりピンはなかったという。続く5ピッチ、ピナクルをめざして右上。しかしもろい、登ることに気をつかうより落石をしないほうに気をつかう。つかむホールドすべてがグラグラしている。
ザイルが1本40mの為、良いビレイポイントまでのばせずリードする桜井さんが苦労している。ハーケンを一本打ち足しビレイ。
続く6ピッチ目、ここが不思議である。4、AOのピッチのはずが、どういう訳かAOもないし、それらしいピンもない。それに続くピッチの5mほど下の草付帯まで、ザイルを40m一杯のばしてしまったので、結果的に6ピッチ目が消えた。最終ピッチを桜井さんがリード、完登、2:00。
しかしあの6ピッチ目はどこへ行ってしまったのだろう、2人で必死に考えるがまったくつじつまが合わない。かと言って、ルートをはずしている様子もない。我々はこれを消えたワンピッチと呼ぶことにする。
北稜をアプザイレン5ピッチ、でコップスラブへ、衝立前沢経由、出合へ帰幕PM5:00、早速冷しておいたビールでカンパイ。うまい、天気もよいので外で酒を飲みながら過ごす。
9:00就寝、4:00起床(雨)予定 3ルンゼ、昨日より天候は悪い。
9:30ごろまで様子を見るが悪い、良くなったようでも一の倉沢は、テールリッジあたりまでしか見えず出鼻をくじかれた感もありとりやめとする。
話がそうと決まれば早速次の行動を起すのがクライマーである。一目散に水上温泉に向かう。あー幸せ。ビールがうまい。これだから山はやめられない。
帰りの電車より見る谷川岳はやはりガスの中であった。2人で日本酒を飲みいつの間にか夢の中へと引きづり込まれていった。谷川岳は近くて良い山と言うけれど何故かあまり好きになれない。そう考えるのは私だけであろうか。

戻る

Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Google Bookmarks