マウント・キナパル

1989/9/12~14
メンバー:松元・宇賀田  松元 記


9月12日

カメレオンツアー(我々キナバル登山隊の愛称)一行我々は、16時30分発、クアラルンプール行きの飛行機に2時間たってもまだ乗れない。成田は23時でクローズされてしまう為、今日出発出来るか段々心配になってくる。1,500円の食事券でごまかされそうだ。
22時45分目的のマレーシア航空がやっとランプに到着する。
「時間がないのと、混雑しているので座席の確認は中でして下さい」「もし座席が無かったらどうするんだ」「スチュアーデスに相談して下さい」と係負と押し問答をしながら、背中を押され機内にほうりこまれる。
飛行機はロスより来たらしく、機内は大混雑しており、座席も後ろの方にばらばらに取れ、ともかくぎりぎりの22時57分に離陸を開始する。

9月13日

5時拍手と歓声の中、クアラルンプールの滑走路に降りる。
2時間の待ち合わせの為、クアラルンプールの町も見物出来ず、ふてくされて待ち合い室の長椅子にねっころがる。
2時間後の9時、給油の為クチンに降りる。本屋と土産屋に飛び込むが何もなし。但チョウチョとサソリの標本は美しく目を引く。酒のつまみにワニの肉のくんせい
を買おうとしたが、日本円が使えず締める。
あと2時間乗れば目的地のコタキナバルだ、マレシアは州が変る度に、通関手続をしなくてはならない面倒くささがある。(コタキナバルはサバ州)
コタキナパルはすばらし処らしいが、ともかく蒸し暑い、早々に買出しを終り、ワンボックスカーに乗り込み出発する。
うなりを上げて1,500m位の峠通過するのだが、赤道直下でも流石に涼しい。
4時頃待望のキナバルの麓パークヘッドクォーターに到着。国立公園管理事務所でコテージの鍵を貰い、やっと落ち着く。コテージはツインのベットが有りバストイレ付き、おまけに部屋の前からは、二重の虹がかかったキナバル山が真正面に見える。

9月14日

7時頃国立公園管理事務所に行き、入山料を払い我々に同行してくれるガイドとポーターにあい、早速荷物の計量にかかる(ポーター1人10kg迄)。
車でパワーステーション(この火力発電所が、コテージとラバン・ラタ・ハット小屋に電力を供給している)まで行き、改札口の様なゲートをくぐり、いよいよ登山開始だ。
ガイドブックには熱帯雨林のジャングルの中を歩くとあり、どろんこ道を膝まで入って歩く事を想像し、コタキナパルで安靴を買ってきたが、予想に反し歩きやすく整備され渇いた登山道がつづく。
30分毎にシェルター(4本柱と屋根だけの小屋)があり、パイプでひかれた冷たい飲料水がタンクにためてあるので、水の心配はいらない。
ルートは熱帯雨林の中のため展望はきかないが、きれいな花がそこら中にあり、目を楽ませてくれる。 拳が入ってしまう程の食虫植物には驚かされる。
約3時間ラバン・ラタ・ハット小屋が見えだすと、右からドンキーイヤズピーク・アグリシスターピーク、そして本峰のロウズピーク・ジョウンズピークと大スラブが、目に飛びこんでくる。
ともかく大きい、カールボーデンと西ゼンを10倍以上大きくしたスケールだ。
ラパン・ラタ・ハット小屋は、高床式で2階建ての真白い大きな小屋である。小屋の中は各階廊下を挟み、左右に6人から8人部屋が10以上ある様だ。
部屋の中は蚕棚のベットが3つ、洋服ダンス、パネルヒーター(朝方でも毛布1枚で暑いぐらい)そして全館24時間明かりはこうこうとつき、熱いシャワーがいつでも入れる。これだけの設備が有りながら、汚水は一滴もたれ流しをせず、直径20cm位のパイプで人目に触れない様、麓まで降ろしている。
夕方になるとスコールがスラブを滝と変え、ゴウゴウと音をあげ凄まじい勢いで小屋めがけて落ちて来る。そして小屋の前から大きな沢になり流れだしていく。
小屋の標高は3,350m、そろそろ高度障害が出始める。何時も元気な宇賀田さんも調子が悪いらしく、酒も進まずお疲れの様だ。2時半頃「腹が減った」と一人ごとをぶつぶつ言ってる宇賀田さんの声で日が覚める、と言うより起される。
食糧袋をかきまわしている姿を見ていると、私も何だか空腹感を感じ付合う事にした。
頂上で日の出を見る登山者が、食堂で食事をしたり、出発準備をしている声が聞こえてくるが、我々は日の出より睡眠のほうをとり6時まで、再度寝なおす。

パワーステーション(1,760m)発 9:45
ラバン・ラタ・ハット小屋(3,270m)着 14:57

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