前穂北尾根を後に

1989/12/29~90/1/3
メンバー:立木・尾原・小宮・鈴木(直) 鈴木(直) 記


12/29(金)

夜10時に新宿アルプス広場に集合。諸先輩の見送りを受けて急行アルプスに乗り込む。幸いにも全員座れ、少々酒も入ってうつらうつら、まもなく松本に着こうという頃にアクシデントが発生した。 奏さんが具合が悪くほとんど寝ていないと云うのである。病名を記するのは控えるが、相当な痛みがあるらしく、松本から一人東京に引き返す事になる。ご本人の無念さはさぞかしと思うが、リーダーのいなくなった北尾根パーティー残り4名はどうなるか?白紙の状態ではあるが、とりあえず現地に向かうしかない。

12/30(土)

タクシーで坂巻まで入れた。乗用車乗り入れ禁止のトンネル内で、テントを張ってしばしひと寝入りし、11:00に出発する。中の湯温泉の手前の小屋で、登山届を提出し進む。この日は4:00頃デポ池である徳沢に到着。食糧が満載のザックは結構肩や足腰にくる。

12/31(日)

立木さんがリーダーとなって、当初の予定通り北尾根に向かう事になる。天候は、昨日の午前中晴間が覗いたものの、それ以降は雪が続いている。6:45出発。
新村橋から早くもラッセルとなる。出合いでアイゼンを履いたが、8:00、いきなり急登が始まる。先行のパーティーがいくつかあり、抜きつ抜かれつ進むが、先頭にたってもトレースは付いているので迷う心配はない。
雪の急登はそれこそ這う様にあえぎあえぎよじ登り 2:45八峰に到着。周囲にテントは4張り程ある。樹林帯の尾根ではわからなかったが、頂上はもの凄い風。
テントを張るわずかな時間でたちまち全身凍え、逃げ込むようにテントに入った。

1/1(月)

新年だ!だがまるでその様なお屠蘇気分ではない。相変わらず雪は降っている。リーダーが昨夜取った天気図によると今後も余りかんばしくなさそうだ。引き返すべきかどう迷ったところであるが、5・6のコルを目指し出発する事に決定。
10:10に出発。テントを置いてツエルトで進む案もあったが、居住性と荷物の重量を天秤にかけた結果、荷物は全部あげる事にする。
七峰はやせ尾根であるが簡単に越す。但し ここから六峰の取り付きまでが予想以上に手間取る。都合3ケ所ザイルを出し、慎重に行くが、天候は吹雪、技術が未熟な事もあってスピーディに動けない。
近くで見る六峰は想像以上にそそり立つ岩壁である。六峰でこれなら四峰や三峰はどんなにか迫力があることだろう。この調子で進んで行けば六峰を越える前に日が落ちる危険もあるため八峰まで引き返す事になった。時は既に1:30をまわっているから、七峰頂上から下るのに2時間半かかった計算になる。
ザイルでの確保はもっぱら立木さんと尾原さんに任せ、小宮君と私はユマールやプルージックで進む。風にさらされている事もあり 食事や休息を取る暇はなく八峰に戻り付いたのは4:10であった。
これで体力(体調を少々崩してしまった)を考えればしょうがないかと思う。ポールのところどころ折れたテントを立て、囲りを雪のプロックで固めて風を塞ぐ。

1/2(火)

今日も雪だ。それも昨日より激しいい。雪のプロックで囲りを固めたせいでテントがつぶされるのは防げたが、徳沢での帰り道は踏み後の無いラッセルを強いられる可能性がある。ホワイトアウトで道を外したり、ラッセルで体力を使い果たすことを思うと恐い。幸い隣のテントの大学生とそのOBの混合パーティー6入組がいたので一緒に降りることにする。
9:55出発。踏み跡は途中までなく、かなりのラッセルとなったが、さすがは下りで、2時間半程で出合いまでたどり着いてしまった。
1:15、徳沢にたどり着く。自分達が無事な立場に立つと今度は屏風の動向が心配に成ってくる。蝶のパーティーとは毎日聞こえすぎる?くらい交信していたが、屏風からは一切の交信が入らない。鈴木だけ留守番として徳沢のテントに居残り後の3名で交信の入る確率の高い横尾を目指すが、途中で元気な中川さん、桜井さんとばったり出会う。この日は徳沢小屋で夕刻をくつろぐが 今回の冬山合宿参加者全員が無事であった事がしみじみと嬉しく思われる。

1/3(水)

朝、快晴である。前穂と北尾根がくっきり見えるのが若干くやしい。思えば山に入って以来晴れたのは最初と最後のみである。まあ、世の中、こういうものかも知れない。坂巻温泉で一風呂浴びて松本へ、敗退ではあったが 松本の居酒屋でささやか(騒々しく?)に新年を祝い、特急あずさで帰途に着く。
今回の山行は、冬山の厳しさを知るという意味でかなり勉強になったと思う。
ただ、感想を一言で云えば、疲れた…‥。

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