大満足の涸沢合宿

1989/8/12~13
メンバー:桜井・松野・立木  立木 記


 

11夜、松電さわやか信州号にて新宿を発。定刻より45分遅れて上高地着。横尾よりの荷上げを頼み、桜井、松野両氏、そして私の3人は、梓川を渡渉、屏風をめざす。梓川の水は冷たく、わずか4mほどであるが、対岸につくと足の指がジンジンして、しびれた様な感じである。1ルンゼ押出しをつめ、東壁ルンゼ下部の登攀~T4ビバーク~雲稜ルートが今回のルートだ。
東壁ルンゼ下部、T3手前のピッチでリードしていた桜井氏が空中をダイビングしてくる。約10m位の転落か。
一番上のボルトでとまる。しかし両手首と腰を打っている。幸い登攀は継続出来そうである。とりあえずトップロープでビレーボイントまでおりてくる。
人間の転落を初めて見た自分としては一瞬、夢を見ている様な錯覚さえ感じる。動揺のせいか、アブミをしまおうとしてカラビナをかけたつもりが、まるでスローモーションの様に下へ落ちてゆく。なんとか一台でT3まで登り、T4にてシュリンゲでアブミをつくる。そんな装備で明日登攀するのかと思うと不安であるが、開き直って寝ることにする。しかしなんてすばらしいビバーグだろう。
5:30起床。スープのあと雑炊2人分。松野氏は食べない。それよりもこの時点で3人で水が500CC弱しかない。でももう登るしかない。
7:00取付、1P目の5級を松野氏がリード、かなり難しそうである。この1P目で私は、すでに脱水症状になる。太陽の日差しがものすごい。扇岩テラスについたとさは、飴さえもうけつけなくなっていた。
これよりは、直上のA1のピッチで、直上のせいかリードする桜井氏がかなり上に見える。テラスでは、あの長谷川恒男が僕らの登攀を見ている。隣の東稜を登るクライマーを見ると体が宙にほうり出されそうでものすごい高度感である。正直このピッチのアブミのかけかえは楽であった。ゲレンデのほうが難しいところが多い様な気がする。
とにかくスピードアップにつとめようとしたが、脱水症状で足があがらなくなってくる。
死ぬ思いで(オーバーかな)終了点につく。PM2:00、3人で残り150cc程の水を飲みほす。全然足りない。涸沢までもう水はないのだ。屏風の頭までの長いこと、松野氏と2度と屏風なんか登らないぞと、ブツブツ言いながらヨタヨタと歩く。
山口さんに最低コルまで水を持って来てもらう。山口さんに後光が差して見える。とくかく技術以前に水に泣かされた「屏風岩、雲稜ルート」であった。
屏風の登攀を終え、13日夕方、涸沢着。食欲全くなし。ところが石狩鍋の匂いに刺激され、腹一杯食べる。絶対に明日は休むと決めていたのに、夕食を終え皆の明日はここだ、あそこだの声に、滝谷へ行くと決めて寝る.5:00起床。今にも降り出しそうである。やはり降ってきた。これで今日停滞と決まる。2つのテントに分かれて山の話や雑談、ロープの結び方の練習をするが、いいかげんあきる。
雨が小降りになったところでヒュッテ裏でホルダリングをすることになった。外の方が気持いい。仲間といると雨でも、せまいテントも楽しい。単独行を続けてきた私にとってすべてが楽しく、本当に会に入ってよかったと思う。こんな日は酒を飲むか、食べるしかない。早々と皆一つのテントに集まり、少ない酒を飲みながら、夜のふけるのを待つ。翌朝も雨。これで下山と決定。1:30ごろ上高地着。
途中山口、秦、桜井、立木の4名は、坂巻温泉にてひと風呂浴びて帰る。雨にたたられた合宿ではあったが、屏風を登らせてもらった私は、幸せ者であろう。
ベットに入り、瞼をとじれば常念、槍ヶ岳が目にうかぶ。120%満足の涸沢合宿であった。

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