一ノ倉沢・滝沢下部ダイレクト~第三スラブ

1995/10/7~8
メンバー:木元・杉浦  杉浦 記


「いよいよ」と言おうか、「とうとう」と言おうか、ついに3スラにやって釆てしまった。3スラ行きが決まってからというもの、夜な夜なルート図を眺め、果して自分は完登できるのか、相当危ない目に遭うのではないかなど、ネガティブな考えばかりが先に立ち、少々ナーバスな日々を送っていた。

6日の夜に東京を発ち、烏帽子奥壁ダイレクトヘ向かう山口さん夫妻と少々飲んで、車の中で仮眠をとる。このころになると自分でももう腹をくくっていて、どうせなせら早いこと登り始めたいとまで思ってたいた。
当日、まだ薄噂い出合を出発する。少々寝過ごしてしまったため、予定よりも遅れてしまった。ヒョングリの高巻きで順番待ちとなり、さらに時間を喰う。このロスタイムが後々大きく響いてくるのだが、その時は知る由もない。
朝イチのテールリッジをあえぎながら登ると、左手に圧倒的迫力で3スラが見え、いやが上にも緊張は高まる。今からあれを登るのかと思うとゾクゾクしてくる。中央稜基部で身支度をととのえ、本谷バンド経由で取り付きに到着したのは、もう8時近くだった。急がなければ。
下部ダイレタト1ピッチ目はノーロープで登り、上のレッジでロープを結ぶ。人工ピッチのリードlま自分自身まだ自信がないので、木元さんにお願いする。下部ダイレクトはピンの間隔も近く、またよく効いているようで、特に問題はなかったが、1ピッチ目のハングのトラバースが1ポイントではあったが少し悪かった。実質2ピッチでY字河原に到り、上の方にF1が見え、いよいよ3スラに突入である。
第一バンドまでは適当に4ピッチほど登る。途中のF1がぬれていて嫌らしい。思えば今回の3スラは、乾いた岩というものがほとんどなく、大方、じっとりと濡れたスラブの登攀であった。特に第1バンドからの2ピッチは水が汲めるほど流れており、6ピッチ目のF2をリードした木元さんは大変だったろうと思う。濡れたスラブの登攀は、滑るのもさることながら岩が冷たく、手がかじかんで、時として
ホールドを掴む手に力が入らないこともしばしばであった。
さて、第2バンドより上部、7ピッチ目からがこのルートの核心である。ここまで6ピッチ、つるべで快調に登ってきて、奇数ピッチはつまり杉浦の番なのである。ここは人工混じりのピッチらしいが、数ポイントなら大丈夫だろうと、アブミをぶら下げて登り始める。人工部分をいつも本元さんに頼るわけにはいかないし、何よりリズムを壊したくなかった。
傾斜の緩いスラブを10mほど登って、問題のF3垂壁部分にさしかかる。ここで1本ハーケンを打ちランニングをとる。が、そこより上に残置ビンがない。これではA1はおろかAOもできず、フリーで挑むしかない。微妙なバランスで3歩ほど登る。ロの中がカラカラに渇いていく。さらにもう-歩、左手のガバに届き、大テラスにはい上がった。濡れた冷たい壁でのフリークライミング。まったくイヤになる。
続く8ピッチ目のF4も悪い。つるつるのスラブを右上するが、部分的に垂直で、リードの木元さんは2ポイントのA1で乗越した。ここも完全に濡れていて、フリーではちょっと手におえないだろう。
9ピッチ目は大ざっぱな岩を左上し、F5下でビレイ。ここは、今回数少ない乾いたピッチのひとつだ。
10ピッチ目、F5を右壁から登り、スラブをさらに左上する。ルートは再び濡れたスラブとなり、11ピッチ目のF6はヌルヌル状態である。左のゴルジュと右のフェースの2通りのラインが選べるが、同じ状態ならば少々傾斜はきつくても、ホールドの大きそうなゴルジュが良かろうと、左のラインを選んだ。乾いていればもちろん右のフェースを選ぶだろうが・・‥・・。
ヌルヌルのスラブをたどり、ゴルジュの入り口あたりの滝が嫌らしい。ここまでランナウトしているので、なおのこと緊張する。2mほど登り、安定すると残置があった。悪場を越えたところにピンが打ってあるあたり、いかにも本番らしい。ゴルジュの奥の右壁を登り、上のバンドでピッチを切る。40mのピッチでランニングは3本。ここまで、ずっとこんな調子だった。ランナーの少なさはもちろん、ビレ
イ点もまともなものは少なく、たいていは打ち足さなくては耐えられそうにもないようなものばかりであった。まったく、緊張の持続を強要するルートだ。
11ピッチ目の終了点のバンドからはぐっと視界が広がり、右上に見えるピナクルまでさらにあと2ピッチ、もろいスラブから草付へ入っていく。気がつけば衝立の頭よりも高いところだが、ドーム壁はまだはるか上にあり、あそこまで草付を登るのかと思うと気が遠くなってくる。
時間もおして来ているので急がなくてはならない。最初はロープを結んでいたが、ブッシュがうるさいのではずしてしまう。まったくのフリーで登って行くわけだが、噂通り非常に悪い。途中の露岩で再びアンザイレンする。ここにはルート中にもなかったような立派なビレイ点があり、この草付の悪さを考えれば納得もできる。このころからガスが出はじめて、視界が非常に悪くなってきた。
アンザイレンしてから2ピッチで、外傾したテラスに出るが、ここまでの草付は所々垂直でまったく生きた心地がしない。この草付帯のリードを買って出てくれた本元さんには、本当に申し訳ない。テラスから上へ木元さんが登っていってから、ガスはいよいよ濃くなり、ついに滝沢リッジも見えなくなった。上から木元さんの「降りる」のコールがあり、夕闇の迫る中決死のクライムダウンでテラスまで下降した彼を迎え、本日はここでビバークとなった。
秋の夜はつるべ落しとはよく言ったもので、すぐに真っ暗になってしまった、ヘッドランプの明りを頼りに露岩にハーケンを打ち、ロープを渡してビレイをとり、ザックの上に腰掛けてツェルトをかぶると、あまり快適ではないが、二人座ってまどろむことのできる程度の空間が生まれた。今日の疲労を明日に持ち越してはならないと、行動食と水をとり、斜面に体をあずけて目をつむった。
それにしても、今日は少々時間をかけすぎてしまった。いろいろと理由はあるのだが、草付の途中でビバークになるとは、この時期の日の短さを考えても、あまりほめられた話ではない。自分の力不足がまったく腹立たしい。しかし、それよりも心配なのは明日の天気である。雨にならないでほしい。できれば少しでもガスが晴れてほしいと、祈るような気持ちだ。そんなことをつれづれに考えているうちに瞼が重くなってきて、いつの間にやら眠ってしまった。
苦しい体勢と寒さで何度も目を覚ます。本元さんも同じようで、そのたびに少しずつ、チーズやらチョコレートやらロに入れてまた目を閉じる。しかし寒い。何度目かのまどろみの後に、やっと明るくなってきた。完全に明るくなるのを待って、06:00に登攀を再開する。
幸い、昨日の夕方よりもガスは薄い。昨夜、断続的に降っていた小雨も今は上がっている。ビバーク地より2ピッチでやっとドーム基部にたどり看いた。しかしこの草付の悪さには本当に参った。なんだが、3スラ自体も、この草付のためのアプローチのようにも思えてくる。
ドーム基部についたのはいいが、薄くなりかけたガスが再び濃くなり、視界が効かなくなってしまった。横須賀ルートの取り付きも判然とせず、ガスの中の登攀に危険を感じ、Aルンゼヘ下降することに決める。おまけに雨が再び降り始めた。
Aルンゼヘの下降は見通しが悪く、視界の悪い中の懸垂は何だか奈落の底へ降りて行くようで恐い。下方からはばしゃばしゃと水流の音が聞こえ、先行きの不安は増すばかりだ。
2ピッチでルンゼの底に降り立つが、心配していた水流もたいしたことはなく、小さな水音が反響していただけだと知ってホッとする。しかし、決してコンディションが良いわけではなく、我々はさらに下降し、Bルンゼから稜線へ詰め上げることにした。何だか今日は朝から後ろ向きである。昨日のビバークと、今朝からのガスと雨で、知らぬ間に弱気になっていたのかも知れない。
Bルンゼヘは途中1回の懸垂を交じえ、けっこう下る。トイ状の流水に突っ込む場面もあり、なかなか辛いものがあった。Bルンゼ自体は傾斜の強い滝を連続して懸ける沢といった具合で、特に困難な部分はない。しばらく登ると再び草付となるが、この草付も所々悪くて、緊張させられた。やがて草付から石楠花の密生する小リッジにはい上がり、ブッシュをかき分けていくと、まったく突然といったタイミンクで国境稜線にとび出した。11:30。午前中にカタがついて良かった。
これで晴れて3スラ完登となったわけだが、登攀の爽快感や達成感よりも、ただただ「助かった」というのが、このときの心境だったと思う。昨日の朝からずっと続いていた緊張からやっと開放された安心感の方が強かった。Aルンゼヘ下降を始めたときからも精神的にきついものがあっただけに、なおさらだ。自ら進んであんな場所に足を踏み入れておきながら、登山道に出て「助かった」とは我ながら虫の良い話だと思う。しかし、無事登攀終了である。肩の小屋で少々休み、まだ雨は降っているものの、あとは西黒を降りるだけだ。下まで降りたら、まずは湯桧曽あたりでビールで乾杯といこう。
今回の3スラは、今の自分の実力では、取り付くのはまだ早かったんじゃないかと、今になって反省している。悪場での力不足を痛感したというのが、正直な感想である。ルートの状態も悪く、木元さんにはずいぶん助けられたし、また迷惑をかけたと思う。しかし谷川を代表するロングルートに登れたのはやはり嬉しい。木元さん、今回はどうもありがとうございました。

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