奥秩父・入川・大荒川谷

1995/6/3~4
メンバー:木元・山本(裕) 木元 記


6月2日金曜日の夜に、裕さんと西武線終点の西武秩父駅で待ち合わせていたのだが、最終電車が到着しても彼の姿は見えなかった。どうやら電車に乗り遅れてしまったらしい。これで明日の予定は大きく狂ってしまうかもしれない。彼が明日の何時頃やってくるか、いや、もし来なかったらどうするかなど、いろいろと考えをめぐらしたが、悩んでいてもどうにもならない。いい加減眠くなってきたので、秩父鉄道の御花畑駅までとぼとぼと歩き(約10分)、駅の片隅に寝袋を敷いて寝た。
翌朝、辺りが騒がしいので目を覚ますと、まだ5時半であった。始発まで1時間以上もあるのだが、人気が多くなってきていつまでも寝ているような様子でもなくなり、仕方なく起きることにする。
食欲もなく、駅のベンチにぼんやり座っていると、朝っぱらからザックを背負って駅に駆け込んでくる元気のよい人がいた。何事かと思ってその人を見たら、なんと裕さんであった。三鷹から朝一の電車に乗ってきたにしては早すぎる。理由を聞くと、昨夜飯能に着いたときにはもう西武秩父行の電車はなくなっていて、やむおえず途中の吾野まで行く電車に乗ったのだという。吾野に着いてからタクシーに乗ろうとしたが、駅周辺にはタクシーは一台もなく、街道に出てウロウロしていたところ、地元の酔っぱらいのオッサンと仲良くなって、その人の家に泊めてもらい、それから始発の電車に乗ってやってきたとのことであった。面白いこともあるものだ。
何はともあれ、これで予定通り大荒川谷へ行けることになった。秩父鉄道の始発に乗り、三峰口へ向かう。
十数分後、三峰口駅で降りたのは沢屋ばかりであった。大学生くらいの若者のグループからピチピチのオネーチャン、六十近い中高年まで二十人はいるだろうか。
昨年、同じ時期に同じ電車で井戸沢を目指したときは、登山者の姿は全く見なかったのに、今年はいったい、どうしたことなのだろうか。しかも明日雨が降ることは間違いないのだから。しかし、雨を覚悟で沢にはいるのが自分たちだけでないと思うと、少し心強い思いがする。
その沢屋たちも、ほとんどが予約していたタクシーに乗り込んでいなくなってしまった。バスに乗るのは大学生風若者グループと我々だけだ。その若者グループもバスの終点・秩父湖で降りると、大洞林道の方角へと歩いていった。我々はさらにバスを乗り継ぎ.川又へと向かう。このバスがまた怪しいマイクロバスで、スピーカーで『赤とんぼ』のメロディをけたたましく鳴り響かせなから、山の斜面に建ち並んでいる家の間の細い道を走り抜けていくのだ。睡眠不足を補おうと思い、少しでもねていくつもりだったが、あまりのうるささにそれもできなかった。終点の川又で降りて入川沿いの林道を歩き始める。
林道から見る入川は、水量が非常に少ない。こんな水量では上流はいったい、どうなっているのかと心配になってしまう。ところが、しばらく進むと地図には記入されていないダムが水をせき止めていた。その上流は水量が豊富になり、これが本来の姿だと納得する。
やがて林道は右に大きく曲り、そこから沢沿いの登山道を歩くようになる。登山道とはいっても昔のトロッコの軌道跡なので、平坦で歩きやすい。新緑が美しく、とても気持ちの良いところだ。
その快適な道も、赤沢谷を吊橋で渡った少し先で軌道跡から外れ、尾根に沿った登りとなった。ここら辺の位置関係は、ルート図集『東京付近の沢』には詳しく書いてあるのだが、実際の道と地図上の道がかなり大きくずれている。しばらく進んでから、歩いている道が沢から随分と離れているではないかと心配になってきた。疑問を抱きながら歩いていくと、道を見失って右往左往している釣り師のグループと出会って、ますます自信がなくなってくる。
そろそろ引き返そうかと考えていた頃、やっと左下に下る踏跡が見つかった。100m以上の高度を一気に下降して周囲を観察すると、間違いなく金山沢(大荒川谷の本流)であった。遡行準備をし、早速金山沢へ足を踏み入れる(12:00)
少々荒れた沢筋を進むとすぐにゴルジュ状になり、釜を持つ小滝が行く手に現れた。先を行く裕さんが、当然といった感じで右岸をへつり始めるが後に続いていくとなかなか厳しい。少し高くへつってから落口やや上のスラブを滑り降りるのだが、そのまま滝の下へ転げ落ちてしまいそうで怖い。続く小滝も釜を持っていて、右岸をへつるのだかぬめっていて嫌らしいところだ。
こんな滝が続くのではかなわないなーとおもったが、その後はそれほど嫌らしいへつりもなく、順調に進んでいく。通過困難とされるゴンザの滝とその先のゴルジュ帯は、それぞれ左岸にかすかだが踏み跡があって、容易に高巻くことができた。
やがて沢が明るく開けて、小荒川谷の出合となった。右に折れる本流は、ここから大荒川谷という名前になるのだ。
小雨が降り始めたので先を急ぐことにする。苔むしたナメがしばらく続いたあと、7m、2条8mの滝と続くが両方とも左岸から高巻いてしまい水を浴びれば直登も容易なのだろうが、この沢沢は妙に水が冷たいので、どうもその気になれない。その次の10m滝は高巻きが困難そうなので、冷たさを耐えつつ水線の左端を直登する。ビバークを予定していた二股は、そこからはわずかな距離であった。
二俣からは水量の少ない左俣を100mほど登ると、右岸に絶好の台地があった。雨もだんだんと本降りになってきたので急いでビバークの仕度をする(15:30)。ツェルトと一緒に雨よけのシートを張り、その下に薪を集めて火を起こす。雨は降っているものの薪の芯は乾燥していて、あっという間に勢い良く燃えだしたので非常に気分がよい。
しかしこの日は風が強く、シートを張っていても雨が吹き込んでくるのであまり快適ではなかった。二人とも寝不足なので、21時前にはツェルトに入って寝てしまった。
翌朝、私は4時に目が覚めてしまった。火を燃やしながらボーっとしていると、1時間ほどで裕さんも起き出してきた。雨が激しくなってきたのでなかなか出発する気になれない。結局撤収してビバーク地を出たのは7時を回っていた。
左俣を下降して二俣に戻り、右俣を遡行する。左俣は全くそんなことはなかったのだが、こちらはえらく増水していて、水が茶色く濁っている。二俣から上はナメ滝が続いて、普通だったら気持ちの良いところなのだろうが、この水量では直登は無理で、全て側壁を巻き気味に越えていく。やがて三俣となり、そこからは中俣を登る。そこからもしばらくはナメ滝が続いたが、やがて辺りは原生林となり、流れは苔むした岩の下の伏流となった。ここから西破風山までつめ上げなければならない。ヤブはないが倒木が多く、わずかだが残雪もある斜面をあえぎながら登り、やっとの思いで稜線に這い上がった(10:00)。
ルート図より左に回り込んできたので、出た場所は西破風山と東破風山の中ほどであった。当初の予定ではこのまま反対側のナメラ沢を下降するつもりだったが、そちらも増水している可能性があるのでやめることにした。東破風山、雁坂嶺を越えて稜線を雁坂峠まで縦走する。視界は全くきかす、横なぐりの風が吹いてはいるが、こういう高い山は久しぶりなのでむしろ楽しく感じた。そこからはもう一気に下るのみで、バス停のある新地平に着いたのは14時であった。

今回の山行ではザイルを使うような登攀や泳ぐような個所は全くなく、そういう面から見るとあまり変化がなかったといえるかもしれない。しかし秩父側から登って尾根を越え、山梨側に抜けるというのは、昔の登山者になったようで趣が感じられた。来年の梅雨の時期もまた、同じやり方で別の沢を登ってみたいと思っている。

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