前穂高北尾根

1994/12/31~1995/1/7
メンバー:中丸・山本  山本 記


12月31日
年末は私がぎりぎりまで休みがとれなかった事と、中丸さんも仕事の関係で休みは遅くに取りたいとの事から出発は大晦日の夜になった。9時半の「あずさ」で松本に向かい、すぐにタクシーで坂巻温泉に行く(1:10)。
ここまで雪はほとんど無くて道にうっすらと粉雪がのっている程度。車で入山するパーティーが多いようで、駐車車両がトンネル2本分も並んでいる。夏の車両規制時にはマイカーは沢渡までなのに、冬の方が奥まで入れるというのは皮肉なものだ。ゲートの先のトンネル内で幕営してすぐに寝る。

95年1月1日
5時起床。曇天、降雪は少ないが、風がある。中ノ湯で入山届けを出して出発する。積雪は数センチしかなく、無雪期のようにはかどる。
歩行開始(6:05) 大正池(7:25) バスターミナル(8:25) 明神(9:26) 徳沢園(10:30〉

徳沢園から新村橋を渡り、梓川沿いをしばらく行くとパノラマルートにいくトレースがあったのでそこをたどる。本元さんに聞いていた話ではパノラマルートにあまりとらわれないで慶応尾根を忠実にたどった方がよいと言うことなので、目の前のこんもりと木におおわれた尾根に近づく。
すぐに赤いテープが見つかったのでルートを確認して樹林に入っていく。そのさきは岩混じりの急登で、アイゼンをつける。赤テープがほほ50mおきにあり、雪も少なくトレースもあるので、こりゃあ幸先いいなと喜び、予定より進んで慶応尾根の中腹で幕営する。

慶応尾根取り付き(11:30) 1950地点(13:10) (パノラマルート合流点手前)

1月2日
5時起床。快晴。昨日と同様にルートの状況はとてもよく、積雪もくるぶしまで程度で、全くラッセルは不要。今日は飛ばして行こうと思ったが、尾根の急登では荷物の重さに泣かされる。何しろ二人でテントの他にツエルトやシャベルも持ち、各自でザイルとわかんもあるのだから負担が大きい。

歩行開始(6:50) パノラマルート合流点(7:57) 2500Mピーク(10:00) 8峰(11:12〉

8峰に着くと、前穂方向から続々とパーティーが降りてくるのが見える。話を開くと今朝まで3・4ノコル、5・6ノコル、8峰のそれぞれに相当数のパーティーが幕営していたそうで、天候は年末から昨日まで荒れ模様だったため、今日下山するパーティーも多いが、前穂に向かっているものも相当いるとの事だった。
ここで食料2日分とわかんをデポする。デポは標識のポールが立っている低い木の下に埋めたのだが、このポールは他のパーティーが一時的に立てたもので、下山の際に抜いて行ってしまった。ここでデポ場所を変えなければいけないと一瞬おもったのだが、近くに適当な場所がなかったのと自分達も出発するところだったので、まあなんとか見つかるだろうとたかをくくったのが失敗だった。

7峰(12:17) 6峰(13:50) 5・6ノコル(14:05)

下山パーティーとすれ違いながら北尾根を進む。話を聞くと、どうもみな5・6ノコルから来たようだ。なんでも大晦日の夜に6峰で滑落事故があったそうで、5・6ノコルに救助が求められて、遭難者は今朝になってやっとヘリに収容されたという。
(このとき遭難者はかすかに意識があったようだが、下山してから聞いたところ救助後死亡したらしい)
そのため5・6ノコルにいたパーティーは登攀する機会を失い、下山しているのだ。
6峰ははじまりから階段状で2ピッチザイルを出してあっさり越える。5・6ノコルに到着するとブロックに囲まれた快適な天場があったので幕営する。
後から2人パーティーが来て隣にツエルトを張る。彼らは屏風のデイレッティシマを登って来たそうで、西穂に向かうとの事だ。
夜になって風が強い。

1月3日
4時半起床。快晴 無風。天気予報では現在冬型になりつつあり、今日の午後以降くずれ始めるとの事で、天気のいい内に3峰フェースを登りたい。ふたりとも前穂の頂上にはこだわっていない。
夜明けを待って馬の背のような5峰に取り付く。4峰は上部で奥又側の雪壁をトラバースして稜線に出てから1Pザイルをだす。出だしのワンポイント以外は問題ない。

行動開始(6:30) 5峰(7:05) 4・5ノコル(7:15) 4峰(8:20) 3・4ノコル (8:30)

3・4ノコルから涸沢に向けて吸い込まれるような雪壁が降りている。コルにテントとザック一個をデポして、その雪壁をアイゼンを利かせながら下っていくと3峰フェースの全容が見えてくる。露岩のフェースを20m程回り込むと岩の高い位置に1本のハーケンが見えていてこれがRCCの取り付きらしい。
中丸さん先行。ハーケンの1m真上にさらにもう1本ピンがあるので直上がルートのようだが傾斜がきついので右の雪壁から回り込む。ガリーに取り付いていたがしばらくしてテンションで降りてきた。上部にガリーが2本あるそうで、右の方にいってみたが、難しすぎてダメらしい。左の方は登高会ルートに行っちゃいそうだ。
山本に交代して、更に右にルートを探すがピンがない。元に戻って左のガリーに行くと入り口に2本ピンがあるのでそこにはいる。
がガリーはベルグラだらけのミックスで、ピッケルで雪と氷を落としまくる。2ピッチ目をビレイするまで、その落下物が真下でビレイしている中丸さんにモロにかかっただろうとは気づかなかった。日頃先行パーティーの尻を追っかけているようなクライミングばかりしている我々にとって、ホールドやピンが雪に埋もれているルートは数段難しい。1P目の終了点はガリーを出た緩斜面の左側の大岩で、そこから登高会の1P目がのぞける。
そこから右側に見えるイナズマ状のクラックが2P目のようだ.中丸さんリード。クラックの手前にフットホールドの無い凹角があり、乗越すのに苦労する。
全体に思ったより難しいので、クラックはやめてルンゼともフェースともつかないところを登るがピンは豊富にある。それでも泣きそうになるルートで私などは2度も残置シュリンゲでA1してしまった。2P目は50mではわずかに届かなくて途中で中丸さんが支点を作った。
3-4P目は傾斜の緩めなミックス壁で、稜線上の大岩にある十字の標識を目標にしていくと3・4ノコルに降りる懸垂ピンに出会う。3・4ノコルまで懸垂3ピッチ。

RCCルート取付(9:10) 3ピッチ目終了(13:00) 3・4ノコル(14:50)

予報通り昼から雪が降り始める。風はあまりない。3・4ノコルで幕営。

1月4日
曇天。終日風はあまりなく雪が切れ目なく降り続ける。視界は50m程。3・4ノコルから4峰の奥又側の雪壁をラッセルしつつ登る。頂上にいく手前の岩場を左上して項上へ。頂上のビレイ点から懸垂。両側にルートがある大岩を奥又側に降りて、さらに雪壁を1P、次は4・5ノコルに向けてトラバース。
稜線に戻ってからまた何度かピンの少ない懸垂を繰り返して4・5ノコルにつく。
腰より上のラッセルで5峰に向かう。5峰の登りは稜線の岩峰を右に回り込みながら頂上。そこから涸沢寄りに懸垂を2P。ダケカンバの植わった急な雪壁に降りる。
立木づたいにトラバースして5・6ノコルに近づき、最後に短い懸垂でコルにつく。一昨日テントを張ったブロックの跡は完全に雪で埋まっていて、前夜幕営したと思われる幾分堅い雪面にテントを張る。

3・4ノコル(7:50) 4峰下降開始(9:30) 5・6ノコル(14:30)

1月5日
曇天。終日風はあまりなく雪が切れ目なく降り続ける。視界は50m程。5・6ノコルの天場から時間をかけてラッセルして6峰へ。
6峰は中央の雪壁の左寄りの岩の露出している雪の少なそうなところをラッセル。尾根が細くなってきたので、そこから一度涸沢側の岩場に降りたが、トラバースできそうにないので、雪庇の発達した稜線に戻る。
頂上を越えて向こうの尾根が見えてきたが、急だし方向も左により過ぎるので右の雪稜をいく。

5・6ノコル(7:20) 6峰頂上(8:40)
岩の高い位置に残置シュリンゲを見つけて懸垂を始める。次にピン1本しかないビレイ点から懸垂。ハーケン連打の大岩を1P降りたところで、往路に見た残置ロープを確認しておおよそのルートの位置がわかる。さらに1Pで6峰を終える。
コルに有るやせた岩稜をビレイしてとおる。奥又側の雪壁をトラバースして、固定ザイルのあるコルへ。そこからやせた岩稜を越えるルートと、さらに奥又側の雪壁をトラバースするルートがあるが、前者の雪のつきかたが不安定なので、後者をいく。ビレイしながらトラバースするが雪に背より高く潜ってもまだ足下が踏み固まらないところもあって、いつ雪崩が起きても不思議がない所なのでとてもこわい。ようやく稜線に出て、また7峰ののほりの深いラッセル。
7峰の下りはビレイ2Pと懸垂1Pで時間切れになり、まだコルに降りきっていない稜線で雪を削ってテントを張る。(18:00)
雪はさらさらで掘っても掘っても安定せず、砂時計の砂山の上にいるようで、テントに入っても涸沢側か奥又側にだんだん滑って行っている錯覚に陥る。
中丸さんは割と平気そうにいつものテント内と同じように食事をしたりシュラフを出したりしている。だから自分の考え過ぎなんだと無理矢理納得してあまり口に出して危ない幕営だとは言わなかったが、後で開いたら中丸さんも充分こわかったそうだ。

1月6日
曇天。雪はやみ、午後にすこし視界が開ける。やせた雪稜をラッセルしながら8峰に向かう。

7峰テント(7:00) 8峰(9:30)

8峰でデポした食料とわかんを探すが見つからない。時間をかけて探すより一気に下りちゃおうということで、慶応尾根を探す。最初間違えて屏風の方向にラッセルし過ぎたのに気づいて戻る。戻って慶応尾根らしき雪壁を下り始める。
視界が悪く、さしあたって目につく広い尾根を探してどんどん右に寄る。かなり下ったところで木に印が全く無く、8峰頂上からどうみても西により過ぎているので150m程元に戻って登り返す。その途中で少し晴れ間が見えて、梓川まで見渡せるぐらいになり、これぞ天佑と地形図と首っ引きで慶応尾根らしい地形を間違ったルートの左側に発見する。
トラバースして尾根に取り付き、最初に印のテープを見つけたとき二人で小踊りする。尾根を忠実に下るがだんだんやせてくる。途中シャベルが欠いた雪とともに目の前で冷蔵庫ぐらいの大きさの雪庇が崩れる。への字型の2500mピークにラッセルを進め、赤い標識付近にテントを張る。(15:00)
日が暮れてから急に暴風が吹き始め、夜中じゅう続く。今まで経験した事がないほどの強風で、ドーム型に組んだポールの頂点が寝ている人間の体にふれるほどしなる。
人間が入っていてもテントの底が動く。テントが人間に直に張り付いてくるのでシュラフに入っていても全然暖かみを感じない。奥又谷側の風に備えていると急に屏風の側からブチ当たってくる。そこでも前夜のようにテントごと吹っ飛ばきれる危険を感じて、ポールを抜いたり、風の弱い場所を探して降りる事を考えるが、また中丸さんは割と平気そうにしていて、こんな風の強い夜中に外で作業する方が危ないという。
もっともな話なのでそのまま朝まで2人共ほとんど眠らずに風に耐える。食料はもうほとんど無く、行動食の残りを食べ、更にもう一日かかる事を考えて、ほんの少しを残して置く。今日が下山予定日だったのでトランシーバーで人づてに会に連絡してもらおうとしたが、上手く交信できず。

1月7日
晴天。風が少し弱まる。昨夜の暴風で、テントのポールがぐにゃぐにゃに曲がる。膝下まであった雪が無くなり、テントの外に置いてあった自分のシャベル、メット、ザイルが無くなっている。そこから8峰を背にして左に直角に曲がり、急な稜線を下っていく。白いテープが方向を教えてくれる。尾根は途中でやせてきたり、急に登ったり、雪が深くなったりするがとにかく忠実に尾根に沿っていく。
パノラマコースとの交差点に出て、やっと湯を沸かし、少しの食べ物を食べる。途中で陽に照らされている奥又谷や前穂がとても美しい。赤いテープがルートの50mおきくらいについていくるともう先が知れてくる。だが、トレースは終始全く無く、行きに通ったルートと言う自覚がどうしても持てない。
ようやく梓川ぞいに出る。中丸さんがちょっと後れ気味だ。後ろを振り返ると奥又谷も慶応尾根も視界が閉ざされ、雪がまたしんしんと降り始めていた。

テント(7:00) 慶応尾根取り付き(12:30)

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