穂高岳・屏風岩東壁 デイレッティシマルート、中央壁 ダイレクトルート

1995/5/3~7
メンバー:桜井・村上  村上 記


この春は、花粉症とやらでまる2ケ月、ゲレンデにも行くことが出来なかったので、連休は、ハイキングでも行ければ、と思っていたが、4月後半になって体調もだいぶ良くなってくると同時に、どこか一本でも攀じってみたくなった。
結局、前穂高岳東壁を予定していた、桜井、本郷、宮城、パーティーが没になり、桜井さんと屏風岩に行こうということになった。
2日の夜、新宿をPM10時頃出発したが、中央高速で渋滞にまきこまれAM2時前後には沢度につくはずが、明け方の4時になり、車中で1時間程仮眠を取り、5時に、ゲートが開くのを待って、上高地行のバスに乗り換える。
河童橋で岳沢へ行く、松本、宇賀田さん達と別れる。一ルンゼヘの徒渉地点に10時に着いて、対岸に4人が今、渡渉を終ったばかりの姿を見せている。人工的に川幅が広められ、水量も多く、流れも早い。
私達は水には、なるべく入りたくないので、川沿いに500m程上流まで足をのばすが、余計悪くなるばかりで、渡れそうな所もない。
大木が流れを横切る様に倒れており、桜井さんが、空身で木の上を腹ばいになりながら先端まで進むが、その先はまだ水流の中程だ。あきらめて引き返す。 一ルンゼの押し出しまで戻って、「やっぱり、此を渡るしかない」。二人共、同じクライミングパンツで、これが膝上まで、まくり上げることが出来そうもないパンツなので、思いきって脱いでしまう。側から見たら、変なやつらだと思われるにちがいない。
桜井さんの提案で肩を組んでの渡渉となる。足を一歩水に入れただけで身を切る様に冷たい。あまりの冷たさに一度引き返すが、桜井さんの「がまん出来ないから早く渡ろうよ」、の声で一気に渡る。 渡り終えてから、これがもしかして、核心になるかも・・・(笑)。下山時には、屏風岩基部を本谷橋まで巻いて下山した。(本谷橋一帯は雪に埋まっている)
一ルンゼをつめ、昨夏幕営したあたりを整地してテントを張る。張り終える頃より南になり、明日の天気が気になる。夜半には雨もやみ、風に変わった。

 5/4日 ディレッティシマルート

明け方まで吹いた風で壁はすっかり乾いてしまった。6時にテントを出て、アプローチ20分、6時30分、村上リードで取りつく。
雪渓が大きく、口を開けているので、2.5町テンションで降り、1ピッチ登って、プラブーツをフラットソールに履き変え、パイルと共に デボ。
ボルトラダーのやさしいA1を2段テラスまで快調に飛ばす。これより小倉ルートを予定していたが、あまりのボルト連打に手人であきれてしまって、ディレッティシマルートに変更する。
二段テラスから青白ハングを抜けるまでが、鈍った身体にはきっかった。青白ハングの乗越しのボルトが速く、2度も大休止をしてしまう。青白ハングを終了した時には1時近くになっていた。さらにブッシュを詰めて東壁ルンゼの頭へ。
2時30分、T4まで雲綾ルートを下降。横断バンドをディレッティシマルートヘ戻って、プラブーツを回収。取付き5時15分。 テントに戻って無性にど-ルが飲みたくなるが、ビールは持ってこなかったのだった。
翌日、昨夜降った雪が壁にベッタリ付いているので、休養日にして、(身体じゅう筋肉痛)涸沢までビ-ルの買い出しに行くことにする。空は五月晴れ、絶好のハイキング日和りとなる。涸沢ヒュッテでうまいもの(おでん)を食って、穂高のパノラマを楽しんで帰る。

 5/6 中央壁、ダイレクトルート

東壁ルンゼのかなり下方にくさったシェリンゲの取り付きを昨日下見しておいた。最近はほとんど登られていないみたいだ。(詳しくは桜井さんが書く予定)下部6ピッチを登って、T2へ。
この連休は天気予報が全然良くなかったので、1本登れればと思っていたのが、2本も登れて充分満足して下山することができた。

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