唐沢岳・幕岩

1997/8/21~25
メンバー:飯田・他1名  飯田 記


8月21日 晴れ

高尾発朝8時の電車で出発する。雰囲気からして検札を逃げ切る事は不可能と判断し、無理はしない事にする。実際に小淵沢の手前で切符を買わされる。
大町よりタクシーで高瀬ダムの下まで行く。そこより大町の宿を目指して歩く。金時の滝は左手のルンゼより高巻く(左岸の高巻きルートは相当に追い上げられそうな気がした)。荷さえ無ければあの程度のガレは大した事は無いが、荷が重いので苦労する。出発してより3時間半位で大町の宿に到着する。飯田は気息奄々、殆ど虫の息で、こんなボッカは年寄りには辛いと愚痴をこぼす。大町の宿に3・4人用のゴアライトを張り豪華な宿にする。 翌日は大凹角に登る事にする。

8月22日 晴れ    4時20分起床 5時出発  (大凹角)

大凹角に向かうも、ルートファインディングの失敗で、広島ルート等のある大ハング下に出てしまう。そこより今来た道を引き返せば良いものを草付きを強引にトラパースしたので、結局大凹角の取り付きに着いたのは8時。大凹角も取り着きは判りづらい。但し取り付いてしまえはその後のルートファインディングは容易である。12時に右稜の頭に着き。1時間ばかり歓談した後下降に入る。2ピッチ目、50m一杯伸ばしたらロープの回収中に降りてこなくなる。飯田がブツブツ文句を言いながら、フリーで10m位登り返しロープを揺すって動くようにする。テラスは狭くて心許なく、落ちればそのまま一番下まで落ちてしまう。結局宿に帰り着いたのは16時。翌日は広島ルートに行く事にする。

8月23日  小雨・後晴れ  4時20分起床、7時30分出発〈広島 敗退)

4時20分起床、5時出発の予定が、小雨が降っており、出発を遅らせる。結局広島ルートの取り付きに着いたのは8時。
ところが2人共足を地面に着いた状態での1本目のピンは取れるものの2本目のピンにアブミを掛ける事すらできない。これは何と言う事だと言い、意気消沈。今日は広島ルートを諦め、人工でルーフの練習だけをしようという事にする。ところが、そう決まった瞬間より相棒は軽々とルーフをクリアーしてしまう。それでは飯田もとやってみると、これもクリアーする。
lどうやら精神的に負けていたようである。その後、広島ルートの一ピッチ目をもう一回づつ登り、次に京都ルートの横にある最大ルーフと思われるボルトラダー(ルート名です)の1ピッチ目を往復する(懸垂で降りるのではなく、同じルートを逆向きに人工でクライムダウンするのである)。お互いに幕岩の看板を登ったから良しとしようと慰めあって帰る。ルーフは上りより下りが難しい。それとアブミに足で立たないで、フイフイでぶらさっがっている状態というのは気持ちが悪くなってくる。またあの大ハングは右側1/4位が崩れており、何時ルーフが崩壊するかと思うと余り気持ちのいいものではない。翌日は山嶺第1に行くことにする。

8月24日 晴れ    4時20分起床 5時出発  (山嶺第一、敗退)

1ピッチ目は相棒が登る。ところが1ピッチ目2時間かかっても終わらなイ。ザイルは呼吸ばかりしている。飯田は小便がしたくなったので、片手でロープを持ち、もう片手でズボンより○○○を出して小便をしようと思ったその瞬間、相棒の“落ちる”、一瞬後に“ウワアー”という声、そしてロープにテンションが懸かる。飯田は声がすると同時に○○○より手を離し両手でロープを掴む。相棒は逆さまに10m位落ちたと言っていたが、無傷何ともない。もし落ちるのが後3秒遅ければ飯田は小便の出ている○○○がズボンの中に踊り込み、悲惨な状態になっていたと思われる。危うし危うし。
相棒に安全地帯まで行かせセルフを取らせ、飯田が残置を全部回収する為に登り回収をする。我々に幕岩は難し過ぎたのだと思い、その日はそれで止めて宿に戻る。幕岩だけではないが、人工からフリーに移る部分はシビアなので、アブミにフイフイを付けておく必難を痛感した。翌日は西壁ルンゼに行く事にする。

8月25日  晴れ   4時20分起床 5時出発  (西壁ルンゼ)

6時30分取り付き。下3ピッチはどうと言うことないも、4ピッチ目は手強い。5ピッチ目はピンに導かれて直上してしまうと行きづまる。ここで直上して1時間ばかりロスをする。6ピッチ目で終わる。このルートは明るく草付きも少なく岩もしっかりしていて、気持ちの良いルートである。頂上で少し歓談をし12時に下降。今度は短く切りロープの回収の安全を期す。14時に大町の宿に着き、15時に撤収して、高瀬ダムに向かう。帰りは金時の滝の所で行きの巻き道(ルンゼルート)の入り口を見落としたので、左岸の大高巻きのルートを取る。追い上げられる事、追い上げられる事。そして下降の急なこと、桑原々々。
17時に高瀬ダム下に着き、一寸休んでからそのまま歩き通して22時に大町の駅に着く。21時35分が松本行きの最終なので大町の駅で寝て翌日朝一の電車で無事(色々な意味で)帰る。
幕岩は草付きが多い、ルートファインデイングが難しい等、谷川の岩場が可愛く見えます。又フレンズが非常に有効な岩場です(岩質からして当然だが)それと右稜の頭からの懸垂下降はテラスが不安定、支点の木が信用できない等、気持ちの悪いものです。
どの岩場もそうだがクライマーのマナーの悪さには呆れる。幕岩でもビレイ点を含めルート上から落ちているシュリンゲを適当に集めたら10kgの米袋に入りきらない量があったし、大町の宿には大ボンベ2個、小ボンベ4個、壊れた傘、ペットボトル等沢山の残置品があった。それら大部分を運び出したので帰りのほうが荷はずっと重くなった。大町の宿に現在(1997年8月25日)残っているゴミは、スプーン1個、香取線香の台、それとプラスチックの荷物箱だけである。これを今度行く人は処理して欲しいと思っている。

戻る

 

Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Google Bookmarks