一ノ倉沢烏帽子奥壁ダイレクト

2002/7/27
メンバー:飯田・矢野  飯田 記


久しぶりに谷川に行ってきました。メンバーは三浦・山本(武)・羽場・矢野・横沢・飯田です。金曜の夜東京を出て、何とか金曜日の中に谷川に辿り着き、軽く酒を酌み交わしながら明日土曜日と明後日、日曜日の予定をたてる。土曜日はパーティーを、三浦・山本のダイレクトカンテ・羽場・横沢の中央カンテ、矢野・飯田の奥壁ダイレクトルートとして3時起き3時半出発と決めて寝る。
飯田は3時に目覚ましを設定するも3時に目を覚まして暗闇の中で30分設定を進めて再度寝る。3時半に起き独りで豚生妻焼き肉弁当を食べ、食べ終わってから相棒を起こす。舎利ばてに関してはこの時点で先ず飯田の勝ちである。準備をして一応4時には出発する。飯田は水を2.5リットル、矢野は1リットル持参する。これもボディーブローの様にして後半矢野に襲いかかる。出発して5分も経たない中にルート図を持ってくるのを忘れた事に気が付いたので、矢野が羽場の車のキーを借りて取りに戻る。 ところがその鍵を羽場に返すのを忘れたので、土曜日に帰る予定の羽場さんが帰れなくなってしまう。中央稜の基部で装備を付けて各パーティーに別れて出発する。
ルート図を見ながら必死に取り着きを探す。多分これであろうと思われるビレイポイントがあったので,矢野先発で攀じり、飯田は色っぽい尻の動きを見ながらビレイをする。ところが矢野の辿り着いたのはYCC右のビレイポイントである。そんな事を知る由も無い我々は次のビレイポイントを探す。 右手にビレイポイントが見えたのでルート図と少し(本当はものすごく)位置的に違っていると思いながら、そちらに向かって飯田がトラバースをする。プロテクションが無く怖い恐い。そこで次のルートを探していたら、下から他のパーティーが我々と違うルートで我々のビレイポイントを目指して攀じって来る。その人に聞いたら、我々はダイレクトルートの1P目終了点に居て、最初のビレイポイントはYCC右のビレイポイントであり、我々の2P目はダイレクトルートの1P目終了点を目指して、道無き道をトラバースしていたのである。
そのパーティーは南稜フランケルート(南稜フランケルートとダイレクトルートの3P目迄は同一ルート)である。後続に先に行って貰い我々はその後を付ける。本当の2ピッチ目は飯田がリードする。 飯田は先行パーティーの攀じりを見ていながら途中でルートを間違え又もやYCC右のビレイポイントに行ってしまう。 2人とも余程YCC右が好きな様である。3ピッチ目もリードさせて貰い、大テラスを目指す。最初は適度にあるプロテクションも後半は一切ない。落ちたらどの位の怪我をするかなとか、落ちたら矢野は吃驚するだろうな等と考えながら,冷や汗と脂汗と喜びの汁を流しながら攀じる。 セカンドの矢野の話に依ると、後半の飯田がランニングの無いと思っていた部分に取ってないランニングが1つ有ったとの事。0.1・2メートルの視力は心眼では補いきれない場合もある事が分かる。大テラスで次のルートを探すも.無い頭を酷使して疲れたので昼寝をしてから次の行動に移る事にする。大テラスで昼寝をしていた事は中央カンテの羽場・横澤のパーティーに見られていた。4ピッチ目が分からないので適当に行ってみる。ディレッティシマのビレイポイントを目指して下降トラバースを行い、それの先にあるプロテクションに導かれて攀じり、ビレイポイントに到着するも、このピッチは余りにも易しすぎ且つプロテクションが有りすぎる。どうみてもダイレクトルートの4P目であるとは思えない。その上次のルートがどうにも読めない。それまでもビレイポイントに着く度に、ザックの中から羽場氏所有の“新版日本の岩場・上”を取り出して、2人で鳩首協議をやっていったが、回りに助言者も居なくなりとうとうどうにも成らなくなった。しかたがないので右手に見えている、変形チムニーの変形チムニーの下部に移動する。それ以後2人で変形チムニーをとばす。最終ピッチの汚いポロボロのガリーの上がり口で飯田は本チャンリードでの始めての転落を経験する。時間と競争していたのと気の緩みであろう。矢野にはビレイをせずロープをどんどん出せと言ってあったので自分で止めれなかったら、結構大変な事になっていたかも知れない。但し日頃の行いの良い飯田は神の加護により無傷である。5時に終了して大急ぎで下降に移る。そのまま6ルンゼを下降して本谷バンドに降りそこから南稜テラスを経由してテールリッジを下りきった時は7時半である。矢野が車の鍵を羽場に返していないので、このままでは羽場さんが帰れないし、出来るなら我々も快適な所で寝たいので少々無理をしてでも帰る事にする。
此処迄は何とか薄明かりで来れたが、これ以後が夜と霧による地獄であった(我々は決してユダヤ人ではありません)。それからはエレキの光を頼りに雪渓を下るが、雪渓による温度低下により、空気中の飽和水蒸気圧が下がり霧が発生しているのでルートが殆ど読めない。特にヒョングリの滝の部分の雪渓は崩落して相当に細くなっている事が朝の時点で分かっていたので、どうするか迷う。頭は理論的に安全を考えるも、体は安易に雪渓の突破を進めるので、結局“神様仏様”と唱えながら渡り、その後は見えないルートを探しながら、下に着いたら皆に何と言い訳をするかを考えながら降る

矢野は“いやあ羽場君ご苦労、冷えたビールは有るかね”と羽場さんの肩を叩きながら言えば良いと主張するので、良識家の飯田は“それは一寸どころか大いに不味いのではないか、ここは素直に心配を掛けました”、と言うべきではないかと諭しながら帰る。三浦さん遠が途中まで迎えに来て呉れていた。
感謝感激である。結局出合いのテント場に着いたのは9時である。矢野が冷えた“ビールは有るかね”と言わなくても冷えたビールが用意されていた。皆の心遣いに涙が出る。
その日は翌日の予定を立てながら11時位まで宴会をする。ところが翌日は誰も飯田とパーティーを
組んで呉れない。飯田だけが外されたのである。どのルートでもいい、希望の通りにすると譲歩しても駄目である。宴会が終わって寝てから暫くして三浦の知人が訪ねてくる。しかも若い美形が2人同伴で、つまみの差し入れまでも有ったという。その事を誰も寝ている飯田には教えて呉れない。それやこれやで飯田は翌日朝早く帰る。
矢野さん、いい加減な飯田の相棒をさせ仮眠以外は休憩もまともに食べる時間もとらず、飯田の時間の読み違いにより最後は急かせてたりして、余裕の無い山行をさせ、とどめに風前の灯火と成った飯田のエレキを気遣い足下を照らすなど色々と気遣いをさせたりして御免なさい。
これからも飯田の真似をしないで基本に忠実に手抜きをせずに攀じって下さい。他の人のいい加減な手抜きを見ているとそんなやり方でも上手くいくのかと錯覚をしますがそれは僥倖というものです。懸垂下降のローブは蝶結びでは絶対に駄目です。もし機会が有ったら再挑戦と言う事で又ダイレクトルートにルートを探しながら男同士の美しい山行をしましょう。
谷川のルートは非常に複雑で錯綜している。始めてのルートをルート図で判読するのは神業なのか、或いは飯田のルートファインディングが極端に無能なのか。しかしルート図が相当にいい加減なのも確かである。

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