黒薙川柳又谷

994/8/26~29
メンバー:鈴木(博)・江本・遠藤・張 他3名  江本 記


前日瀬畑さんから電話があった。よろしかったらご一緒させて下さいとのこと。この知らせを待ち望んでいた。これでより豊かな山旅が保障されたようなものだ。

8月26日 (金)
信越線経由5:30 泊着、予約しておいたタクシー(ワゴン型) にて北又小屋まで、約一時間。7人で13000円なので割安だ。
7:00発 ダム下の吊橋を渡って行くと、下の流れに釣り人が3人いた。北又の左岸のプッシュに分け入り、川が右に蛇行するところで川原に降り立つ。
広い河原状を、瀬畑さんを先頭に渡渉を繰り返しながら、早いピッチで進んで行く。朝日に輝く明るい谷、今日もまた快適な遡行が約束されるだろう。両側が開けた平凡な沢筋を下って行きながら思う。この谷のどこに、あの凄絶なまでの美を誇る、北又の峻険をうかがい知ることが出来ようかと。
9:15 北又堰堤。明るく広々とした河原で休憩とする。ダムサイトの関電の小屋は真夏の日差しの中にのんびり静まり返っている。柳又は澄んだ青い水色で合流していた。水量は多くない。瀬畑さんは平水だという。
冷たい水をすくって飲みながら思う。流石は黒部だ。早出の水とはまるで違うぞ。(第一ここには、アブもヒルもいない、いつでものぴのぴと呼吸が出来るのだ)ただ一つ気掛かりなことは、上流の上ノ廊下ではどんな雪渓が待ち受けているのだろうか‥‥ということだ。
9:45 遡行開始。左岸の川原伝いから、谷が左折すると渡渉が始まる。15分も歩けばすぐ下ノ廊下となる。川幅が狭まり、水勢が強くなる。腰ぐらいまでくる。ちょっと手強いところへ来ると、女性たち3人は互いに肩を組んで渉っている。水を恐れていないので安心した。
ここは廊下といっても、両岸の鮮やかな樹林帯が迫っているぐらいで明るく、威圧感はない。しかしあと10センチ水位が上がったら、ここの通過は非常に困難なものとなるだろう。
下ノ廊下を過ぎると谷幅は広くなり、気楽でのんぴりした遡行となる。広河原だ。一息いれてから、なおも広い谷を進むと左岸に大きいガレ場が見えてくる。谷筋は次第に狭まって、左の方に角度を変え、険しい山懐に分け入っている。右から落ち合っている深い切れ込みはカシナギ深層谷だ。
傾斜が増し、両岸が狭まって薄暗いゴルジュヘと導かれて行く。水は勢いづき、白く泡をかみ、澄んだ青い釜が目立つようになる。いよいよ飛竜峡に入ったのだ。障壁のようにつらなる、両側の岩壁は陽をさえぎり、谷に入る者を威圧する。
そして、私達は見た、一羽の青サギが悠然と水辺から舞い上がるのを!
岩魚でも狙っていたのだろうか。突然の侵入者によって、安逸の夢を破られたのだろう。それは陰欝な世界から解放されるかのように、いとも自由に軽々と中空に消えた。
左岸から右岸、右岸から左岸へと、行く手を阻まれては渡りかえす。やがて右岸の岩棚にはい上がり、クライムダウンで水際に下りる。一歩誤れば水流に呑み込まれるので慎重を要するところだ。5、6mの川幅だが、流れは強く速い。水心に丸く磨かれた岩があり、その下は白い泡が渦巻いている。(瀬畑さんのビデオでは、手ごろな大きさの石にザイルを巻きつけ、対岸に投げてうまく引っ掛かったのを利用して渉っている〉
「ぽくが行きます」と博道さんが果敢にリードする。流れに入り、水心の岩に掴まることは出来た。ところがその先が行けない。行くことも戻ることも出来なくなった。水勢で岩からはがれそうになる。しばし張りつめる緊張の一瞬、瀬畑さんの指示は「下に飛び降りろ」だった。高さは2mもない段差だが、岩の下は白く泡立っており、不気味だ。瀬畑さんの「跳べ!」の一声が決断となった。思い切りよくジャンプする。
沈むこともなく、泡の中に立つことが出来た。一同拍手と歓声を送る。続く6人はザイルで引いてもらう。瀬畑さんが深みに入ってしまい、一度沈んでハンチングが脱げ、あわてて拾うという一幕もあった。引かれるときに体が斜めになり、多少水を飲んでしまう女性もいたが、一同無事対岸に渉る。
左岸の岩棚の上下があり、水線からやや離れる。上部から下部を見ると、この飛竜峡がいままでの渓相から一変して、暗く急激にせり上がっているのがわかる。ゴルジュの下方には、陽にあたった岩壁と青い淵が望め、流れは左折して視野から消えている。
10mの懸垂で水流に下りると、前方が明るく開けてくる。
出口の最狭部4mの奔流は瀬畑さんがリードする。空身になって飛込み、素早く対岸の岩をつかむ。後続は順に引き上げられる。恐ろしいような水流もザイルにひいてもらうと実に楽だ。沢登りもまた、り一ドする者の水への勇気と技術だろう。
右からタンバラ谷を迎えると、下流部の核心、飛竜峡も終る。前面には明るく広々とした河原が開け、両岸の緑もまぶしい。緊張感から開放されて気持ちも和む。楊河原だ。瀬畑さんと村石さんは、初めて竿を出す。
緑豊かで、開放的な川原を右岸沿いに進む。もうそろそろかと思う頃、瀬畑さんが左岸の小さいゴーロ状に入ってゆく。1、2分で今日の幕営地に着く。
2:05 ここは周りをススキの原と潅木で囲まれた台地状で、右岸の山容も迫ってこず、三角州にいるような広い景観だ。シラビソだろうか、近くに5、6本の高い木が群生していて、吹き渡る風にさわさわとゆれている。
谷ではぜいたくなような、広々とした空間に恵まれた野営地だ。置いてあった石をどかし、整地する。近くの潅木帯から、支柱になる木を切りだす。瀬畑さんの青いビニールシートを広げて支柱を立てる。張り網のビニールテープを石に結びつけて、ぴんと張れば、今宵の宿の完成だ。
時間はたっぷりある。濡れたものを干したり、薪を集めたり、食事の用意をしたり、各自思い思いの作業に取りかかる。川原に出れば流木が豊富だ。天場の横に山と積み、適当な長さに切る。
谷間に青い煙がたなぴき、飯盒が火にかけられる。博道さんはウイスキーをやり、はや一眠りだ。瀬畑さんと村石さんは夕食のおかずのために釣りに出掛ける。
釣り師たちのおかげで、岩魚の刺身、たたき、焼き魚、岩魚汁と岩魚づくしのご馳走となり、食も進む。ご飯を6合にしたので、少し足りないぐらいだった。一人一合以上は必要だという話になる。瀬畑さんの案で、明日の昼は岩魚寿司にしようということになる。楽しみがまたふえる。
やがて夕闇が忍びよってくると、火を囲むものたちの姿が浮かび上がってくる。空には星、山影に区切られた空は広めで、深い谷にいるという印象はあまりない。この豊かな柳又の自然のなかに、いま存在している人間は我々だけなのだ。なんというぜいたくさ、山も谷も素晴らしいが、そこに同化し共感している仲間がいる。この非日常性の共有こそが行動する我々の原点なのだろうか。
アルコールの巡りがよくなり、寝不足で疲れた体に吸気をよぶ。7時を過ぎるとみな眠りに就く。

8月27日(土)
5時半起床。7時50分出発。今朝もすがすがしく晴れ渡っている。しかし今年の夏みたいに、こう毎日晴天続きだと有り難みも薄れるというものだ。一方で‥‥雨天続きだった昨年の夏を思え。沢登りのためにこんなに条件のいい夏も珍しいのだ‥‥という思いもある。
楊河原の名のとおり、両岸を柳(やなぎ)に彩られた明るい河原をゆく。ゆったりした流れが朝日にきらめき、うるおいに満ちた牧歌的な風景だ。渡渉する水の冷たさが身を引きしめ、心地よくも感じられる。ピッチが早まり、遅れまいとして歩を運ぶ。
はや瀬畑さんが足を止め、竿を出す。ポイントを見つけたのだ。こちらは水に姿が写らないように、少し離れた所で待っている。すぐ釣り上げるが、型が小さいとみると水に放してしまう。村石さんは瀬畑さんの邪魔にならないところで、釣りはじめる。瀬畑さんにならって、小型のときは水に戻している。
こうして釣りながら、谷を上がってゆくのだが、釣らない5人にとっては大層気楽な遡行となる。木陰や岩陰でたっぷり休むことになったからだ。谷はあくまで明るく開けていて、のどかで平凡だ。途中で村石さんは釣るのをあきらめ、瀬畑さんの釣った岩魚をビニール袋に入れている。先行する「仙人」にポイントを譲ったからでもある。
今年は例年に比べて岩魚が少ない、と仙人はいう。それでも尺になるものを7匹釣り上げたのは、昼前だった。段差のあるところを上がった、小さい川原で昼食とする。
瀬畑さんの握ってくれる岩魚ずしは、見ているだけで生つばが出てくる。7匹の岩魚は切り身をていねいに切り取られて、すし種に変わり、握った酢ご飯の上に順に載せられてゆく。酢ご飯は今朝のうちに炊かれたものだ。岩魚ずしは石の上に敷かれた大きな草の葉の上に並べられる。「さあ、どうぞ」の声に、わさび醤油でばくつく。とぴきりの味だ。岩魚汁を飲みながら、一人7、8個は平らげる。
北アルプス山中の明るく美しい川原、きれいな流れのほとりで食べる寿司、それぞれが満足しきって幸せな気分に浸っている。
豪勢な昼食のために二時間近くものんぴりする。いつもながら、瀬畑さんは釣る人、作る人、女性三人は甲斐甲斐しく手伝う人、私やっぱり食べる人。博ちやんはリードする人だし、村石さんは釣るし、パワーあるし・・・。申し訳ないなあ、良き山仲間に感謝。
川幅がやや狭まり、傾斜もまし巨岩が多くなる。私はいつも最後尾で、張さんが前をゆくことが多い。今回が初対面だが、細身ながら身のこなしも軽く体力もあり、見ていてさわやかだ。
流れの強い渡渉では、私が彼女をささえて礼をいわれる場面がある。逆に私が手を引いてもらったり・・・ラッキー。
もともと私は女性と同行する沢登りといったものには消極約な方だったが、今回で考えが変わった。三人もの女性がいるこの山旅が、いままでの山行には無い優しさとか、豊かさみたいな彩りに包まれていることを実感している。
二条7mのオーレンの滝を過ぎると、左岸よりオーレン谷が出会う。巨岩の間を縫うように進めば、上部は開けてひんやりした風が吹いてくる。うす汚れた白い層が谷をおおっている。雪渓だ。このあたりは両側の立ち木が軒並みへし折られて、谷に散乱している。明らかに雪崩の跡だ。柳又でこういう荒れた風景は初めてだと仙人はいう。
左岸の樹林帯の方に被害が大きい。村石さんによれば、これは右岸のゼンマイ谷より発した大雪崩の跡だという。雪渓は100mぐらいで終わり、巨岩と樹木の開を縫う歩きにくい谷伝いとなる。左に明るい沢相で出会う水谷を見送って、右岸通しに進む。
すぐ大きい岩に囲われた格好の台地に出る。3時25分。ここにしようと瀬畑さんがいう。、この先火倉平までゆくとしても、なお一時間半はかかるだろう。しかもここより適した野営地が見つかるかどうかわからない。瀬畑さんも水谷より上は未知の世界なのだ。我々は一もこもなく賛成する。増水の危険はないし、水は近いし薪は豊富だ。谷の下方は開けて見晴らしが良いのもいい。
岩にハーケンを打ったりして、平行している岩の間に青シートを吊る。地面は平らな砂地で、今宵も快適な夢を結べるだろう。
上流はガスっていて怪しい気配だったが、間もなく俄雨がくる。下界では一カ月以上も雨に会っていないので、何やらなつかしい。散乱した荷物を岩陰やフライの下に移すが、雨はじきに止んだ。
威勢よくはじける炎に照らされながら一杯やる。夕食はレトルトのカレーだったが、ご飯をたっぷり炊いたので、みな満足している。海苔の佃煮や振りかけも食欲を進める。いよいよ明日は問題の上ノ廊下だ。とにかく中に入ってみようということになる。
私は上ノ廊下は巻いて、小ナル谷より大ナル谷を経てクラガリ峡に至るルートを提唱したのだが・・・。入ったはいいが、出るに出られぬという事態を想像したのだ。

8月28日(日)
今朝もさわやかに晴れ上がって、上流のガスも消えている。「タベ増水したな」と瀬畑さんに言われて流れを見ると、どの岩も水面より10cm上まで濡れている。
上ではかなり降ったのだろう。この山の大きさを感じた。
6時25分出発。今日は核心なので早めの出発となる。右岸のへつりから始まるが、雪崩の爪痕の倒木が顕著だ。すぐに左からゼンマイ谷を合わせる。なるほど、樹木の折れ具合から見て、村石さんの言うとおり雪崩はゼンマイ谷からのものと思われる。それにしても、かなりの高みの木までやられているので、その規模に驚かされる。
魚止めの滝を過ぎ、中ノ廊下に至る。沢筋がやや狭まり、巨岩が階段状に累積する転石地帯を、主に左岸沿いに行く。しかし、廊下というほどのゴルジュは存在しない。
「日本百名谷」では、同行の女性の果敢な泳ぎに拍手を送り・・・・とあるが、そんな淵にも出会わないまま、広々とした川原状となる。右から沢床が高く平凡な小ナル谷を合わせると、沢は急に左に折れ、広場のような河原台地に出る。
間近に急峻な山肌が壁のように立ちはだかり、一瞬沢は消えてしまったかのように見える。しかし、水の流れ出てくる先を目で追えば・・・上ノ廊下だ!8:40
それは巨大な斧で山塊を断ち割ったような、典型的なⅤ字ゴルジュで現われた。河原にあった岩に上がって中を覗き込む。薄暗い数十メートルの断崖の間を、白い奔流が蛇行しながら、こちらへ流れ下っている。入り口の滝はS字の滝で、3mぐらいのものだが、水勢が強く、大きい釜と手がかりのないスラブ状で、とても取り付けるものではない。
さて、上ノ廊下にはいるには、どのルートを行くべきか。どちらかの尾根に取りついて沢に下降するのだが、左岸の方が高さがありそうなので、右岸の方に回る。足場の悪そうな急な草付きが、樹林帯につながっている。
メットの紐をしめ直して、一列になって登りにかかる。思ったほどの苦労もなく樹林帯へ入ることができた。木に掴まりながら斜上してゆくと、細い尾根に出る。反対側の急斜面を下ることにする。博道さん、瀬畑さん、村石さんと続く。木の枝に掴まりながらのきわどい下降だ。15mほど下って左のトラパースに入る。博道さんがザイルをフイックスしていく。後続はザイルで下り、フイックスザイルで瀬にトラバースする。
足場の不安定な、いやな草付きだ。20mほどで、小リッジに出る。リッジの端の太い幹の根元に博道さんが座って、幹を抱き抱えている。ザイルを回そうとしているのだが、足元が切れ落ちているので、苦労している。はるか下の方のゴルジュに陽が差し込んでいる。30m以上はあるように見える。ザイルはダブルだ。
夏空は青く澄み、まわりを鮮やかな緑に囲まれ、削ぎ落ちた岩壁の上にいる我々だ。いま、まさに秘境に立ち入ろうとする、この不安定な場所のこのひとときが、なぜか貴重なものに思えてくる。
「こっちの方がいいんじやないのか」といって瀬畑さんが指示した支点は、もっと手前にある潅木で、十分持ちこたえられそうだ。左から細い急なルンゼがきており、その上に降りられそうなので、心理的にもぜんぜん違う。ザイルをかけなおして、村石さんがトップで下る。いつの時でも下に着いてオーライの合図があると、ホッとする。
続いて下りてゆくと、濡れることもなく岩の上に立つことが出来た。ザイルが結構余っている。20mちょっとぐらいだったらしい。切り立ったゴルジュのど真ん中に降りたという感じだ。
川幅は5mぐらいで、澄んだ冷たい水が、陽にあたってきらめいている。7人が下りおわるまで時間があったので、村石夫妻や張さんと写真を撮りあったりしている。瀬畑さんはハーネスをつけていず、昔ながらの首がらみで下りてくる。首のあたりが擦れて赤くなっている。私も学生時代は肩がらみだったが、いまは恐くて容易には出来ない。
いよいよ遡行だ。上ノ廊下に入ったという充実感とともに、この先どうなっているかという不安感が交錯する。へつりと渡渉の連続となるが、水は腰ぐらいまでで、見た目より容易だ。村石さんが初めて奥さんの手を引くのを見る。
ゴルジュは蛇行し、狭くなり暗くなる。先に行っていた博道さんが「すごい、すごい」といって戻ってくる。行ってみれば、ねじれた二段の滝が、水音もすさまじく流れ落ちている。深い釜と切り立った側壁で手におえない。下段の滝に陽があたり、水圧の強さと泡のすごさを強調している。「廊下の滝」二段15mだ。
戻って右岸の巻き道を探す。ルートは二つ考えられる。苔の着いた浅い四角を7、8m直上して、草付きにたどり着く方法と、浮き石のあるスラブ状を左に5、6mトラパースしてから、右に斜上して草付きにたどり着く方法とである。
遠藤さんが、空身になって凹角に取りつく。傾斜はあまりないのだが、手がかりに乏しく苦戦している。博道さんと瀬畑さんはスラブ状から行く。
遠藤さんが右の岩に移ることが出来、あとは容易に草付きに入る。しかしビレイポイントが見つからず、時間がかかる。博道さんと瀬畑さんが合流し、ときどき落石がくる。真下にいた私のヘルメットを直撃する。こぶし大の岩だ。メットしていてよかったと痛感する。
ここはごぼうでひっばり上げてもらうが、苔が着いてすべりやすい。遠藤さんはよくここをリードしたなと思う。
続く草付きは右が切れているが、踏跡があり、ホッとして斜上する。急な樹林帯に入り少し登ると、太い幹にザイルをかけた跡があった。それより5、6m下に手ごろな潅木があり、そこに博道さんがシュリングをかけ、ザイルをたらす。
先程の懸垂より出だしがきれており、博道さんはすぐ見えなくなる。村石夫人、江本と続く。降りたところは、廊下の滝の真上の岩の上だ。25mぐらいの懸垂だった。
次に右岸をへつつて沢床に降りるのだが、3mぐらいのクライムダウンがある。そこがいやな感じだったので、私と瀬畑さんは水流からひっぱり上げてもらうことにする。
年寄り援護会よろしく、頼もしい博道さんと材石さんによって、私たちは水中からザイルで引き寄せられる。らくちん、らくちん。博道さんはいつも年寄りの横着をきいてくれるので、本当に助かる。
水に逆らってなおも進んでゆくと、急にゴルジュがきれたような、そこだけ広い河原状に出る。六兵衛谷出会いだ。12:05。
六兵衛谷は右岸から二段の滝をかけで落ち合っているはずだが、横向きになっているので、滝は見えない。合流点に雪のブロックが残っていて、気のせいかそちらから涼しい風が吹いてくる。
ここで昼食とする。上ノ廊下では唯一明るくのんびり出来る場所だという気がする。上流の方を見ると、左岸の1672mピークに向かって急峻なガレ沢が突き上げている。またやや下流の左岸には、ナル谷尾根に向かって長い草付きの部分があり、その中を急なガリーが一本突き上げている。エスケープルートとして使えそうだ。
12:35 出発。すぐ薄暗いゴルジュとなり、二段の小滝をかけた深い釜が現われる。「迫戸の滝」だ。ここは水中から左の壁に取りつき、トラバースすることになる。
博道さんがゆく。胸までくる水の中から上の方に手をのばし、探り当てたホールドで強引に体を引き上げる。岩はかぶり気味で、足場は外傾していて滑りやすい。一歩誤れば白いうずに巻き込まれるのだ。微妙なバランスを要求される、何ともいやらしいところだ。博道さんは岩を抱き抱えるようにして、うまく向うへ回りこむ。
村石さん、遠藤さん、張さんと続く。みな水から岩にはい上がるところで苦労している。またホールド、スタンス共に乏しく、ザイルが使えないところなので、回りこんだところでシュリングを投げてもらい、掴まって岩に跳び移っている。
さて、あとの3人はあまり意欲がわかず、せっかく先行者がいるのだから、これを使わぬ手はないとばかりに、ザイルを投げてくれるよう村石さんに頼む。
ザックを引っ張り上げてもらい、空身で登るのだ。何を勘違いしたのか村石さんは、右岸の狭いバンドに向かってザイルを投げている。わずか10mぐらいの距離だが水の音で声がよく届かないのだ。やっとこちらの要求が理解され、つぎつぎとザックが引き上げられる。2mぐらいの小滝ながら、水圧は強く、村石さんと博道さんは大変な労力を強いられる。
次に瀬畑さんが取りつく。岩をつかんでもなかなか体が持ち上がらない。手が滑り二度、三度と水に落ちる。あきらめて一度水から上がる。「水が冷たくて入っていられない」といって体を震わせている。ここの水は格別の冷たさで、長く漬かっていられるところではない。しかし仙人でも苦手なところがあるものだと、妙にホッとしたりする。お腹の重さが邪魔になるのかとも思ったが、軍手をしているのがよくないのだろう。素手になって取りついたら、すぐに岩に上がることが出来た。
村石夫人、江本と続くが、前の4人はよくぞここを荷を背負って越えたと感心する。次に大岩を分けて二条に落ちるチョックストン滝(5m)となる。左側をシャワークライムで越える。廊下状となり展望が開ける。両側は6、70mの断崖となり空は狭い。私と瀬畑さんは左の岩棚に上がって様子を見る。
5、60m先に二条に落ちる冷大滝(7m)が立ちはだかっている。その背後の7、8mの谷幅一杯を占めているのは、巨大な雪のブロックだ。高さは10mぐらいだろうか。さらにそれに接するように、もっと大きな雪のブロック(……というよりも雪渓といった方がよいだろう)が谷一杯に塞いで左奥に隠れている。正面には左岸に続く山肌が見え、乾いたルンゼが上にのぴている。左岸に切れている感じがあり、たぶん大ナル谷が出合っているのだろう。
上流から冷たい風が吹きよせてき、まるで冷蔵庫の底にいるようだ。私と瀬畑さんは歯の根も合わない感じでがたがた震えている。
冷大滝は高さこそないが水量もあり、近付くことは出来ない。高巻きに入るべく左岸のテラスに博道さんたちが立っている。ここは左岸のバンド伝いに斜上し、20mの懸垂で冷大滝の落ち口に下降するのが唯一のルートだ。彼らのいるところよりずっと上の方に下降点のシュリングがあるのが見えるという。
行くべきか行かざるべきか迷っている。行くとしたらあの雪壁をどうやって越えてゆくのか?それとも下をくぐってゆくのだろうか?
いずれにせよ7人が越えるのだ、相当の時間を要するだろう。また一度入ってしまったら、もうもとに戻ることは出来ない。
「行けそうかー」と声を張り上げると、博道さんが手で示した合図は三角だ。瀬畑さんが対岸に渡り、テラスに上がって相談する。みなテラスをおり始める。引き返すことにしたのだ。1:30
9時前に上ノ廊下に取りついて5時間近くが経過したが、水平距離にして1kmにも満たない。退却に異義を唱える者もいない。窮屈な場所や、雪渓近くでのビバークなどだれも望んでいないのだ。
難所の迫戸の滝は、慎重にへつり、思い切り遠くへ飛び込む。手前に落ちてサラシに巻き込まれたら恐いからだ。
2:20 六兵衛谷出合。ここへくると明るく開放的になりホッとする。小高くなっている川度台地には、小さいがビバーク適地があり、整地して男子用と女子用の2箇所を決める。まわりの岩を利用してシートの屋根を張れば、雨露を防ぐには十分だ。
もし増水したら、後の草の茂った台地に逃げればいいのだ。ここは露営した形跡はないが、上ノ廊下では唯一宿泊可能な広い空間だろう。周辺には流木も多く、焚火に不自由しないだけ集める。
まだ明るい中の夕食は、残りの米をほとんど炊き出し、マーボ春雨を主なおかずとして摂る。
夕暮になると寒さも一入でセーターがほしいぐらいだ。出来るだけ着込んで火のまわりに集まる。アルコールをやりながら、今日のこと、明日のことなど話し合う。 今回は敗退したために、クラガリ峡と、そこにある最大の難関、深廊の滝をうかがうことが出来なかった。入り口はあと300mぐらいのものだったのだが……。このつぎ柳又に入るときは、上ノ廊下をカットして大ナル谷より入ればいいのだ。それもまだ深廊の滝が全容を現わさない、8月上旬がいいのではないか。
明日はここを無事に脱出できるのだろうか。左岸の草付きの中を突き上げている、あのルンゼの上部には、手強いガレ場や、滑りやすい草付きが待ち構えているのではないのだろうか。瀬畑さんは「本流をそのまま下ってゆけばすぐ抜けられる」というが、冗談じゃない、何人かがサラシから出られないで、溺死することになるだろう。さすがに水の好きな博道さんも本気にしなかった。
みなが寝につく頃、村石さんと私は火のそばで一杯やりながら、なお語り合っている。人がめったに入りこまぬこの谷に、今赤々と燃える火に暖められ、絶えることのない水音のリズムに身を委ねながら、移ろいゆく時間の永遠と、今ある我々の生を思う。
はげしくシートをたたく雨足によって、目を覚まされるがすぐ止んだ。明日もまた好天だろう。この原始境に夢を結ぶ体験を、貴重なものと思いつつ、眠りに落ちる。

8月29日(月)
谷に朝餉の煙がたなぴき、断崖の高みにある木々の緑が鮮やかだ。なんとか樹林帯までたどり着ければ、という思いがある。
朝食はパンとコーヒーだ。 フランスパンのトーストにチーズとサラミをのせたやつはなかなかいける。
7:35 後片付けを確かめて出発する。野営地から左岸の草付きを、下流に向かってトラパースし、すぐルンゼに入る。
ルンゼは身の丈を没する草の中を、岩が敷きつめられた階投状になっている。思っていたよりはるかに順調に高度を稼ぐ。雪倉や朝日に連なる雄大な山並みが、朝の陽射しを浴びて次第にせり上がってくる。上から見下ろすと、対岸の六兵衛谷の様子がよくわかる。滝とゴルジュの連続で、地図のケムシ記号どおりのすごい谷だ。(昨日出合の滝は確かめてあり、二段20mで、手のつけられないスラブ状だった)
尾根の樹林帯が近くなり、木の間ごしに青空がのぞいて見えるようになる頃、順調に進んでいた博道さんの足が止まる。左側にリッジ状の岩が立っており、岩沿いに急な土の斜面が帯のように細く、上にのびている。右側は切れていて、浮き石まじりの草付きだ。この土のクーロアールまできて、初めてわかったのだが、このエスケープルートは最近使われた形跡がないということだ。(もっとも上ノ廊下自体に人の足跡が認められなかったが・・・)
ここで瀬畑さんとトップを交替する。瀬畑さんは滑り止めの付いた地下足袋を履いており、この難所を突破するには最適だ。しかし湿ったかたい土は滑りやすく、手がかりもないため、容易に先へ進めない。張さんの持っていたアイスパイルを使って足場を刻む。苦労して10数m上の樹林帯まで抜け、ビレイポイントをとる。
博道さんが続き、二人が合流したあと、右に周りこんで姿が見えなくなる。しばしば落石があり、後続は体を倒してよけている。かなりの時間が経過したあと、博道さんのコールがある。
フイックスザイルに掴まり、強引に体を持ち上げてゆくが、足場が滑りやすく、実に不安定だ。汗がたらたらと流れ、心臓の鼓動が早まり息苦しくなる。(実はこのとき私の病気の前兆があったのかもしれない) ま、まったく、よくこんなところを、瀬畑さんたちはノーザイルで登ったなという心境になる。比較的滑らない草付きの方を登れば、ガラガラと浮き石を落とす。やっとの思いで土のクーロアールを過ぎれば、傾斜も落ち、木立もまばらな明るい樹林帯だ。ザイルをフイックスしてある木から少し離れた林間に、リードした二人が座っている。彼らと合流し、そこから潅木の間を縫いながら進むとすぐ尾頓に出た。9:20 木立が密生して展望がきかないが、ついに険谷から脱出できたという喜びに浸る。
10分ぐらいを過ぎて全員が揃う。時折涼しい風が吹き抜け、木の間ごしに朝日方面の山容がのぞける。9:50出発、反対側の斜面はゆるく、湿った樹林帯を10分も下ると水の流れだすところに出る。
小ナル谷は、谷と呼ぶほどのことはないヤプ沢だ。階段状を下ってゆけば、広く明るい川原、本流に出る。10:25
ここで一休みし、冷たい水を飲んだり、体を拭いたりする。少し上流には険しい谷があるというのに、ここはその予感さえ感じさせない。清冽な水がさらさらと流れている、開放的な実にのんぴりしたところだ。
今回入谷してみて思う。柳又は、下流、中流、上流とそれぞれに違う渓相を持ち、その彩りの変化に魅了されるとともに、一筋縄ではゆかない、手強さをあわせ持った谷なのだ。
赤男谷の途中から、上ノ廊下方面を見る。
明るいガスにけぶって、清水岳あたりの険しい山容がのぞいている。そのふもとで第三夜を過ごした1672mピークが意外と近くに見え、まだあんなところまでしか行けなかったのかという気がする。白馬岳山頂はずっと後の方でかすんでいるのだ。
この日、赤男谷より縦走路に出(3:45)旭小屋に至る。6:15
遠藤、張の二名はなお夜道を急ぎ、泊より夜行列車にて帰京す。

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