剣岳・源次郎尾根1峰下部・中谷ルート

1994/8/14
メンバー:木元・山本(裕)  木元 記


とても充実した、まるで夢のような日々が続いた夏合宿も5日目となった。裕二郎と私の二人をのぞいた他のメンバー全員は今日が下山日であり、真砂沢の天場でお互いに「気を付けて」という言葉を交わして、反対の方向へ歩き出す。
「二人だけだと気楽でいいわね。」と別れ際に張さんに言われたが、実際はそうでもなく、妙に寂しい感じがして、一緒に下山した方が良かったかなという考えも頭をよぎっていた。そして、情けないことだが二人ともかなり疲労がたまってきていた。昨晩は、登攀はやめにして仙人池の方へ遊びに行こうかという話も出たくらいだった。しかし今年の夏は異常なまでに晴天が続いている。このチャンスをのがしたら、次の機会は何年先になるかわからない。そう考えるとやはり仙人池などで遊んではいられず、1本でも多くのルートを登っておきたいという気持ちが強くなった。
中谷ルートは登る人が少ないようなので、正しい取り付きをすぐ見つけられるかどうかが第一の難関だと思っていが、平蔵谷に入って間もなく、左岸にそれらしいピンレイ点が見つかった。慎重にシュルンドを越えてそのピンレイ点のそばで一息ついていると、右側の凹角に次々と落石が出はじめた。何事かと思って見ていると、やがて先行の二人パーティが懸垂で降りてきた。一人がピンン抜けのため墜落し、頭を打ったようなので下山するという。何か手伝いましょうかと申し出たが、それほどひどくないので大丈夫とのこと。そして、上には少なくとも4パーティはいるということ、1ピッチ目はザイルは不要ということなど、いろいろ教えてもらって、その二人と別れた。
言われた通りにルート図上の1ピッチ目を、ザイルを結ばずに登っていく。しかし登るにつれ何となく重苦しい、嫌な気持ちになってきた。このルートには何かひと癖ありそうな、そんな気がしてならない。
やがてビレイ点に着き上を見ると、ルートは左の凹角と直上する人工ラインの二手に分れている。しかし左の凹角は悪そうなので人工ラインを行くことに決める。
裕さんが人工は苦手だというので、私から行くことにした。
取り付いてみると、下で予想した通り、ボルトもハーケンも古くて打ち込みの浅いものばかりだ。踏ん切りのつかない部分が何度かあり、自分で自分にイライラしてしまう。しかし前のパーティのこともあるので慎重に行くのが間違いないだろうと思い、面倒でもピンを一本一本確かめながら進むようにする。15m程進むと傾斜が緩くなり、スラブ状をフリーで登るとビレイ点に着いた。
この岩場は昨日までとは違ってあまり陽もあたらず、陰気な感じがする。セカンドで登ってくる裕さんをビレイしている間、じっと壁の方を向いていると、何だか一ノ倉にいるような錯覚を起こしてしまう。
「やっぱり俺には人工は向いていないなー」と言いながら、すっきりしない面持で裕さんが登ってきた。すぐにトップを交替。次は左上するピッチで、はじめの数歩のトラバースが少々嫌らしそうだ。しかし、裕さんはそこを難なく通過。最近の彼は、怪我をする前よりも上達したように感じる。
その部分を過ぎて浅い凹角に入ると、ハーケンが真上と左の方との二手に分かれて残置されていた。裕さんは左の方ではないかと言うが、それではあまりにも左に行きすぎではないかと思い、私の判断で凹角を直上してもらう。凹角の上はブッシュ帯になっていて、なかなかビレイ点が見つからず、ザイルが40m以上のびたところでやっとビレイ解除のコールが届いた。しかしこのピッチは20m程の短いピッチのはずだ。ルートを間違えたかもしれない……そう思いながらも、とりあえず私もビレイ点まで登ってみることにする。
ビレイ点に着いて上を見ると、ピンが上の方まで続いているのが確認できた。やはりこれが正しいルートなのだろうか? 疑問を感じつつもトップを交替する。これが中谷ルートならば、ここは4+のランべであるはずだ。登りはじめは確かにランペ状だったがすぐに傾斜が急となり、フリーでは無理なのでアブミのかけかえでどんどんと登って行く。
しかし、20m程登ったところで、どう考えてもルートを間違えたとしか思えないようになってきた。中谷ルートはルート図によると,全体的に左上していくルートとなっているのだが、頭上のピンは右へ右へと続いているのだ。下にいる裕さんに岩場の全体図で確認してもらうと、ここはどうやら大阪山稜会ルートではないかとの返事が返ってきた。
仕方がないので、ここから一旦下降することにする。ここまでずっとボルトラダーだったので、下降点はそれを利用する。裕さんのいるビレイ点で一度切り、そこからさらに1ピッチ目上(ルート図では2ピッチ目上)のビレイ点まで懸垂下降した。
気を引き締めなおして、あらためて裕さんのリードで登り始める。再び微妙なトラバースの後、凹角から今度は左のブッシュ帯へ上がり、陰に回り込んだところでビレイ解除のコール。やはり最初に裕さんの言ったところが正しいルートであった。
このルートミスで1時間以上も無駄にしてしまった。
そこからはもう、ルートも明瞭で、間違えそうな場所ではなかった。左上していくランペ状の岩場を、細かいながらもガッチリしたホールドを丁寧に拾いつつ、気持ち良く登っていく。
最高の気分である。実は、今回はこのルートの内容はあまり知らずに、ただ下部から上部への継続というのに目がくらんで取り付いたのだったが、やはり『日本の岩場』に紹介されるだけあって、なかなか素晴らしい内容を持っているルートであった。
そのランペも15m程で終りビレイ点へ。続く左トラバースは40mとなっているが、ここから見た感じでは、次のビレイ点まではせいせい、20~30mといったところだ。
我々の使用しているザイルが50mであることを考えると、このままピッチを切らずに行けるだろうと思い、裕さんには悪いが、私がそのままザイルをのはすことにした。
スラブを左上すると垂壁にいきあたり、その垂壁とスラブの間のクラックをアンダーホールドにして左トラバース。先程のランペと同様、ガッチリした岩で快適に登れるが、技術的にはだんだんと厳しくなってきた。ここら辺がV級なのだろうか?
そのトラバースも、凹角状の岩場にいきあたるところで終りだった。凹角には連結された3~4m程の残置シュリンゲが2本垂れ下がっている。ここからクライムタウンしなければならないのだ。
ここまで、極力AOを避けてできる限りフリーで登るよう心がけてきたのだが、ここはもう諦めて初めからそのシュリンゲをつかみながら、慎重に下降する。3m程下ったところから左上へ4~5m登ったところがビレイ点なのだが、ザイルがものすこく重くなってしまい、その登りにえらく苦労する。最後は、必死の思いでビレイ点に飛びついてしまった。
50mザイルで2ピッチ分を一気に登る場合には、ザイルの流れに対する充分な注意が必要となってくる。今回も、気をつけていたつもりだがやってしまった。
次のピッチは、直上する凹角と左側のスラブの2通りのルートをとることができる。リードする裕さんは、左の方が楽そうだなあと言っていたが、登っているうちについつい凹角の方へ引き込まれてしまったようで、結局直上する。この凹角は脆い上に意外と複雑なムーブが続いて、思っていたよりは厳しいピッチであった。
そして、いよいよ核心の大岩溝である。
真上に立ち塞がる巨大な凹角と、その左に大きく聳え立つカンテ状のフェースを見ていると、ここが日本ではなくて、ドロミテかどこかの岩場のように感じてしまう。
この大岩溝は3つのルートをとることができる。直上するチムニーか右のフェース、又は左壁の人工ラインである。私はチムニーは嫌いなので、それを避けるとすると左の人工か、もしかしたら石のフェースが意外と登りやすいかもしれないと考えていた。
右へ行くにしても、初めはまず短いが被っているチムニーを登らなければならない。チムニーの中はかなり狭く、登りづらい。ランニングもとれないので怖くなり、半分くらい登ったところで一度クライムダウンし、ザックを腰から吊り下げてそこを抜ける。
右側のテラスに出て、ザックを背負い直しながら、もう一度ルートをどうしようか考えるが、右上を見ると真新しいハーケンが打たれていた。やはりそっちにしようと思い、フェースを右上気味に5m程登ったところでのことであった。
良いガバがあったと思って岩をつかんだら、塊ごとグラリと動いた。60Lのザック程の大きさであった。これはまずいと思い、慌ててその岩を押し戻す。息を整え、じやあ次のホールドをと探しはじめた途端、ゴトンという鈍い音と共に押し戻したはずの岩が胸の上にのしかかってきた。こうなってはもう、支えきれるものではない。
「裕さん!でかい落石が行くぞー!」
言い終わらないうらに、岩は私の身体を押し退けて、するりと落下していった。
そしてその岩は、とんでもない事に、私の引いているザイルが岩角に当たっているところを目がけて、一直線に落ちていった。
ズッドーンという轟音と共に、岩は粉々に砕け散った。私はもう、何も言葉が出なかった。
「木元さん、大丈夫?」と言う裕さんのかけ声でふと我に返り、「ああ、大丈夫だ。」と返事を返す。ザイルを見ると、2本の内の1本が、白く大きくケバ立っていた。完全に切断されたわけではなかったが、もう墜落を止めるだけの強度は残っていないということは明かだった。
泣きたい気持ちになってきて、ここで敗退しようかとも考えたが、この一帯は岩がとても脆くて、岩にピンを打って懸垂下降するのはかなり危険であった。もう登るしかないんだと自分に言い聞かせ、弱気になりがちな気持ちを押し殺しつつ、その上を登りはじめる。途中V級の厳しいフェースを越えた上から、少し傾斜が緩くなったので、一気にザイルをのばす。40m程で中央のチムニーを横切り、大岩溝左のフェースに出て、そこにガッチリと打たれているボルトでピッチを切る。決して気温が低いわけではないのだが、冷汗のせいで寒気がした。ザイルアップしてみると、ケバ立っていた部分は中芯2本でつながっているだけであった。続いて登ってきた裕さんは、「いやー、さっきは木元さんも一緒に落ちてくるんじゃないかと思って、ビクビクしてたよ。」と、ニコニコしている。裕さんがこのように冷静だったおかげで、高ぶりがちだった私の気持ちも、段々と静まってきた。
次のピッチは裕さんのりード。3級のピッチで、ここからは岩もしっかりしてくるが、さっきのこともあるので慎重にリードしているようだ。大岩溝左壁からカンテ上に出てビレイ。
そして最終ピッチ、私がリードする。大岩溝最上部の隙間をまたいでから、ふくらんだ岩に取り付いてその上のスラブを右上のブッシュまで登って終了。
ザイルをほどいてしばらくヤブこぎすると、源治郎尾根の縦走路に出た。大休止とする。尾根の左側には1峰の上部岩壁が聳え立っていた。しかし、もう13時をまわっていたし、ザイルも1本しかないので、継続しようという当初の予定は実現できなくなってしまった。しかし、こうやって未練を残しておいた方が、もう一度挑戦しようという気持ちの原動力になって、今後のためには良いのかもしれない。

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