谷川岳-ノ倉沢  南稜フランケルート~フランケダイレクトルート~フランケエキスパートルート

1994/6/4
メンバー:山口・本郷・佐藤  山口 記


近頃、年齢のせいなのか、はたまたフリークライミングの影響なのか、とくに岩登りに対する態度がずいぶん変わってきたように強く感じている。一言でいえばより頑固になってきたということかもしれない。
以前は、何はともあれいろいろなルートを数多く登りたいと思っていたのだが、今ではそうした気持ちは全くなくなっている。1シーズンに2~3本、そこそこのグレードのルートで自分自身に納得できる登攀をしたい、それもよりきれいに登りたいと思っているのである。
それは完全なビレー・プロテクションシステムのもとでスピーディーに登ることは当然として、墜ちない、難しさにおびえた登り方をしない、残置ハーケンに飛び付かない、バテない等々である。
したがって、例え難ルートを完登できたとしても、気息奄々の状態で終了点に到達したのでは、登れたことにはならないのである。
私にとっては今回の南稜フランケ3ルートの継続も以上の登り方がゲレンデ感覚でできるのではないかと期待して実行したのだが、やはりアルパインクライミングはこちらの思い通りにことを運んではくれなかった。ま、これが実力といったものかもしれない。
とにもかくにも岩のモロいことには閉口した。最初に取り付いたフランケルート1ピッチ目で、大丈夫と思ったスタンスに重心を移したとたん足元から伝わってきたミシッという音に肝を冷やされてからは、おっかなぴっくりした登り方になってしまったのである。
続く2ピッチ目は、ルートが左の草付に取られていてあまり気持ちよさそうな感じがしないため、テラス上に広がるフェイスにルートを求めることにした。しかし、残置ピトンが少なく、ピッチ後半では20m近くのランナウトとなった。下を見て、ザイルの伸びを意識してしまうと、急に恐ろしくなってしまい、身体がこわばってギクシャクした登り方になってしまった。
後で調べたら、このピッチはYCC左ルートの2ピッチ目(Ⅴ+)であった。このようなピッチがこの先も続くかと思うと取り付いたことを後悔してしまった。
しかし3ピッチ目に入ってからは、岩もシッカリして、残置ハーケンの数も多くなってきたおかげで快適な登攀を味わうことができた。
大テラスに着いたらホッとして気持ちも楽になり周りを見回す余裕もでてきた。右下には中央カンテをリードしている裕二郎の姿を見とめることができコールを送ったりなどして、急に元気になってしまうのだった。
この後4ピッチ目を佐藤、5、6ピッチ目を本郷がリードしたのだが、セカンドはやはり気楽である。岩のモロさなど気にならずに早く登ることだけを考えて行動すればよいのだ。
終了点である南稜に飛び出したとたん、雰囲気がガラっとかわってしまうのは楽しい。人も多い分、残置ハーケンも多くおまけに岩も固くシッカリしていてなんとも嬉しくなってしまうのである。
続々と登ってくるクライマーを避けながら懸垂を繰り返す。途中で都岳連で顔なじみの人達にすれ違い、フランケダイレクトルートを登ってきた尾原パーティにも合流。南稜テラスの下で休憩した後、続いてフランケダイレクトルートに取り付く。
核心部の鎌形ハングは下から見上げると、いかにも悪そうに見えるが、実際に登ってみるとホールドがガッチリしている、ので思いのはか楽に越すことができた。ただ、ハング上のガバホールドに動いているものがありあわてて別なホールドに持ちかえた。
どのピッチも残置ハーケンの数が多く気楽に登ることができたのだが、4ピッチ目終了点真近でバランスをくずしかけたため、チョットぱかりズルをして残置ハーケンの頭に後ろ足をほんの一瞬のせてしまった。これがどうもよくない。おかげでこのルートを完登したというスッキリした気持ちにどうしてもなれないのである。我ながらこまかいことにこだわっているものだと思う。
再び南稜を下降。南稜ルート1ピッチ目のチムニー下のテラスでピッチを切り、この先エキスパートルートを登るかどうかを考えていた。
疲れてもいたし、正直面倒臭くもなっていた。そのことを口に出すやいなや、佐藤は「エー!登らないんですか?もともと3本継続することを目的に釆たんじゃないですか…」何だ、この男は、普段はあまり発言しないくせにこういう時になるとやけに大きな声を出すんだな・・・
「アー、わかった、登ろう。で、本郷はどうする?」
「もういいですわ。南稜テラスで待ちながら声援を送らせてもらいます。」
さてそれではとルートのあるフェイス中央部をいくら目を凝らして挑めても残置ハーケン等が全く見あたらない。フェイス右手にはルート図にある「?」ルートのラダーが点々と光っているのにである。
とりあえずハング下まで行ってみると、確かにリングボルトが3本程あってビレーポイントになっている。
まず最初のⅤ+を佐藤がリードし、次のⅥ級を私が行くことにした。佐藤はビレー点から左へ2m程トラパースして、草付きをホールドにしてハングを乗越すが、見るからに不安定そうである。
これは墜ちるなと身構えるまもなく、ホールドにしていた草付きがはがれて墜落。気休めにプッシュにタイオフしていたが、簡単にはずれてそのまま墜ちていく。そして私の身体に直接ショックがかかり、引きずりこまれる。ザイルを握る手が岩にこすれて血がにじんだが、痛みは感じない。セルフビレーがのびきって止まるまでほんの2~3秒のことだと思うが随分と長く感じた。
7m程の墜落であった。佐藤はケガをしていないと言う。ヤレヤレよかったとホットしたところで、私の登攀意欲は完全にそがれてしまった。今日はこれで終りにしようと思い「このままテンションで降りろよ」と言ったが「いやですよ。登りましょうよ!」と言いながら真剣な顛をして登り返してきた。こういう精神状態を「キレル」と言うのだろうか。
今度はビレー点のすぐ左を直上してハング上のバンドに立つとリングボルトが1本残正されている。
しかしその先には全くプロテクションが見当たらないと言う。それでも少しづつ高度をかせいでいった。傾斜が強いため身体全体はもちろんシューズのソールもよく見える。確保している私もだんだん緊張してくる。もうどれだけザイルが伸びているのか。15m以上はランナウトしているだろう。もしここでスリップすればどうなるかと想俊したら恐ろしくてしょうがない。そうなったら私のビレー点もふっ飛んでしまうだろう。振り返って下を見ると、本郷が南稜テラスに寝そべって、我々の行動を眺めている。いかにも気楽そうで「アイツうまいこと逃げやがって」と思ってしまった。
やがて上から「ハーケンが1本あった」と言う声が聞こえて、ひとまず安心したもののその先がどうなのか、不安感が消えない。
ようやくビレー点に到着して、次に私が登るのだが、緊張していたせいか身体がこわばっていて、登り初めはギクシャクしてしまった。
傾斜は急だが、ホールドはシッカリしている。これで、もしプロテクションの数が多ければ快適なクライミングが味わえるだろう。
次の6級ピッチは私の番なのだが、自信がないので佐藤の位置に着いてから再び「とてもじゃないけど、恐ろしくてしょうがないから降りよう」と提案した。しかし「あそこにボルトが1本見えるじゃないですか」ともうどうしても降ろさせてくれない。仕方なく根性を決めて登ることにした。
ビレー点の右上2m程のところにボルトが1本あったので、これにザイルをセットして上を見上げると、アラマ!と思わず声を出してしまいたくなった。点々とボルトが続いているではないか。おまけにその中にはペッツルも光っている。
プロテクションの続いている細かなフェイスときたら私の一番得意とするところである。現金なもので、今までの恐怖感など、たちまちなくなっそしまったのである。
この前の5+のピッチよりもゲレンデ的で難しいフェイスではあったが、プロテクションが多いことを考えるとこのピッチの方がはるかに楽だと思う。
ただ、登ってから考えてみると下部3分の1程度は正規のルートを右にはずれて登ってしまったようである。
終了点で佐藤をビレーしながら、それにしても3ルートの継続と言ったところで、たかだか12ピッチ程の登攀でしかなかったのに、きれいに登るなどとは程遠い登り方になってしまったと思った。
ふいに耳なれた博道さんの声が聞こえたので、見上げると中央カンテを登ってきた松元パーティーがちょうど南稜を下降してきた。
聞いてみると、裕二郎が全ピッチリードしてきたという。「へー、なかなか成長したな」と感心してしまった。何のかんのとエラソーなことを言っても、やはりオジサンはそんなに成長はできないものなんだなと、改めて思い知らされてしまったのである。

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