1992/1/13~15
メンバー:山本・斎藤 斎藤 記
13日午前6時20分に新宿を出発、平日の早朝で道はガラガラで、チェーンを付けずに済んだこともあって、2時間ちょっとで美濃戸口に着いた。この日は紺碧の青空が広がる雲一つない快晴で、行者小屋への途中で休憩した美濃戸山荘から岩稜に雪をまとった阿弥陀岳が大きく見えた。
調子がよければ今日中に北稜をやってしまおうということになった。冬合宿の時に比べたらうそのように荷が軽い・小屋の少し手前の白河原にさしかかると、阿弥陀岳、赤岳、横岳の展望が開ける。なんと正月には真っ白だった大同心と小同心は完全に雪を落としている。手袋もいらないほど異様な暖かさだ。
小屋のテント場にテントを張って、1時10分に出発、北稜の取り付きに続くしっかりした踏み跡を忠実にたどり、30分ほどで稜線に出た。ここまでは絵に書いたようにうまくいった。しかし、この後稜線をいくらたどれど岩場らしきものは見当たらない。「あえて岩に移らないと、雪面の登高で終わってしまう」とのガイド・ブックの言葉を思い出し、踏み跡の全くない雪面に足を踏み出す。百mほど右にトラバースして、積極的に岩に取り付いたつもりだったが、これが失敗のもと。斎藤のリードで登り出したが、少し上のリッジに出たら向こうは切り立った崖で、さっさとあきらめて戻るように迂回する。
山本さんが改めて取り付けそうなところに取り付いたら、それが本来のルートで、さっき登ってきた稜線から道が続いていた。一時間以上のロスだ。
1ピッチ目は潅木と草付きのあるそれほど立っていない傾斜だが、岩がぼろばろで、決して気持ちのよい登りではない。
2ピッチ目は斎藤がリード、両端が切れ落ちたリッジだったが、こちらのほうはなかなか高度感があって快適だった。山本さんがもう一ピッチザイルを引いて行き、登攀を終了した。ちょうど5時。
ついこの間の冬合宿の時に比べて日が伸びたので明るい。雪をまとった赤岳をピンク色に染める夕焼けが美しい。途中から月明かりを頼りに小屋への下降路を一気に下った。
翌朝6時に起きてテントから顔を出して見ると雪がしんしんと降っている。今日はだめだと思い、再びび寝袋にもぐり込む。ところが8時頃起き出して、ラーメンを畷っていると、雪が止んで、日が差してきた。行けそうなので、9時40分取りあえず出発。しかし、昨日までしっかりついていた踏み跡は跡形もなく、苦しい登りを強いられる。大同心と小同心も一夜にして真っ白である。おかげでショルダー・リッジの取り付きまで二時間近くもかかってしまった。
11時45分、山本さんのリードで、リッジの左側から取り付く。正面はわれわれの力量ではとても取り付けそうなところではない。
われわれが取り付いたところも決してやさしくはなく、山本さんは悪戟苦闘していた。傾斜もかなり立っており、岩がぼろぼろである。
山本さんは雪を払いつつ、石を落としながらの登攀だった。結局この一ピッチ目が一番の難所で、二人が登り切るのに一時聞半はかかった・・以後7ピッチ目までは岩場というよりは雪面を登る感じで、難しいところはなかった。ただしリッジがはっきりせずガスで視界が悪かったこともあって、ルートが最後までよくわからなかった。
8ピッチ目で切れ立ったリッジに出て、斎藤のリードでこれを進み、次のピッチで山本さんがホールドの豊富なクラックを越えて、全部で十ピッチで登攀を終了した。
実際には短いはずなのだが、自分にとっては長いルートだと思った。すでに5時を回っていた。
ところでこの登攀で僕は左手の中指が軽い凍傷になってしまった。途中で指が痛いのに気づくと、手袋の先端に穴が開いていた。岩をつかむと、指が岩に貼り着くのがわかる。これはまずい。幸い僕の手袋は大きかったので、穴の開いた部分を上に引っ張って、指が先端に来ないようにしたら、うまい具合に雪が詰まって凍り、穴がふさがった。僕が使っていたのはハンガリー製の毛糸の手袋だが、見た目の分厚さと丈夫さにもかかわらず、簡単に穴が開いてしまう。また作業をする時にはこの分厚さが却ってあだとなり、おまけにやけに大きいものだから、ひも一本結ぶのも一苦労である。安いので文句も言えないが、あまりいい代物ではない。この後ツェルトの中で懸命に舐めたにもかかわらず、中指は白く変色して、今も皮が固くなった指でこのワープロをたたいているという有り様である。
なんとか赤岳の北の肩には出たものの、日が沈んで暗くなってしまった。おまけにガスがかかっているので、方向すらよくわからない。それでも石室のはうへ向かおうとしたが、すぐに締めて頂上小屋の裏にツェルトを張ることにした。不思議なことに稜線の東側は晴れていた。ふもとのスキー場の明かりがすぐ近くでこうこうと輝き、少し遠くには韮崎の街の夜景がくっきりと浮かんでいた。
申し訳程度の穴を掘って、ツェルトをかぶる。稜線の西側は風が強いが、小屋が風を防いでくれるので、こちらにはほとんど風が来ない。ちょうど六時だ。明るくなるまでにはまだ十二時間もある。一息つくと、色々な不安が次々と湧き起こってきた。ここで一晩過ごさなければならないのだろうか。ツェルトー枚だと夜中はどのくらい冷え込むものだろうか。気の遠くなるような長い時間を一体どうやって過ごしたらいいのだろうか。山本さんも同じことを考えていたようだ。
二人で相談の末、二時間毎にささやかな宴会をやろうということになった。といってももちろん酒などあろうはずがない(山本さんは酒を持って来なかったことをしきりに悔いていた)。非常食のチョコレートと紅茶のティーバッグ、それにほとんど凍った水筒の水があるだけだ。それでも火があるというのは非常に有り難いことで(コンロは持っていた)、普段は冷たく見える青いガスの炎でも見つめているだけで、心がなごみ、一瞬ではあるが辛いビバークをしている現実を忘れさせてくれる。それにすることもなくひたすら二時間がまんした後に飲む紅茶の味は格別だ。
それは単に甘味のある美味しい飲み物を飲むというよりも、のどを通って体の芯に流れ込んだ熱で全身が温まって行くような、思わずほっとする感触である。
二回目の宴会(10時)が終わってから、山本さんが外の様子を見に行った。空はいつのまにか晴れ渡り、風も止んでいる。これから下りようということになって、10時半に出発した。さっきまで覆っていた濃いガスと吹きすさんでいた強い風がまるでうそのようだ。 あたりは自分の足音以外物音一つしない静寂に包まれ、頭上には今にもこぼれんばかりの満天の星が冷たく輝いている。その空にかかる月は半月にも満たないのに回りはけっこう明るく、稜線の雪面は反射で青白く光り、黒い影となった下界の樹林もはっきり見分けられる。月明かりとは本当に明るいものだとつくづく感心する。
結局一時間余りのロマンチックな散歩を楽しみながらテントに戻って来た。お茶を一杯飲んで寝袋にもぐり込む。12時を回っていた。
翌日は8時まで寝ていた。この日は八ガ岳入りしてから一番の快晴だった。なんだかもったいない気もしたが、ゆっくり朝食をとって、一応満足して下山し、太陽館で一汗流してから家路についた。