ヨーロッパアルプスより

1991/8/18~29
Solo  鈴木 記


<プロローグ>

ヨーロッパアルプスに登ってみたい・・・その気持ちは以前からあったが、どうせ実現しないものと思っていた。 しかし、嵓に入りある程度クライミングができるようになって、現実味を帯びた計画となった。
当初、一人でもよいから行こうと考えていたところ、小宮君の参加表明があり、心強くなった。しかし、残念ながら怪我のため、彼が行けなくなってしまったのは周知のとおりである。
不安と期待が膨らむ中、8月18日、大韓航空に乗り込むのだった。

パリからジュネーヴを経由してシャモニの街に入るのは1日作業となる。
さて、翌20日、登るための準備に更に1日を費やす。日本人の神田さんがいるスネルスポーツ店で買物をし、ガイド組合の事務所にて山岳保険(1万2千円程)に加入、キャンプ場にテントを張って荷物置き場とする。
掲示板に出ている天気予報では、明後日の午後から天候が崩れるとある。モンブラン頂上のアタック日と重なるため、きわどいところだが、なにせ日程の限られた身であり、とりあえず、明日出発とする。 スーパーマーケットで買物もしたし、準備は万端。

<モンブラン (4807m)>

翌日、8時に起きてバス、ロープウェー、登山電車と乗り継ぎ、ニーデーグルに到着。200人くらいはいるだろうか、電車から降りた人達は、早速ぞろぞろ列をなして登り出す。やはり、アルプス最高峰の一般ルートは人出が違う。
9:00にここを立ち、無人小屋〈無名〉 とテートルースの小屋を横目に見ながら、快調にとばすが、急な岩尾根に入って、照りつける太陽の日差しもあってバテだす。30分毎に休憩を取る状態で、一眼レフのカメラとレンズ3本の重さがうらめしくなる。
14:00ちょっと前にグーテ小屋に到着。
富士山より若干高い程度(3817m)であるが、早くも高山病の気が出たか、あまり食欲もわかず、あてがわれたベッド(3人で2つ)でごろごろして、明日に備えて眠りにつく。
翌朝(というより夜中)、2:00を過ぎるとすでに小屋の中は喧噪となる。小屋で出された朝食を取っている人達を後目に、軽くパンをかじり、日本から持ち込んだユンケルで頭痛薬を飲むという、用意周到さで2:45に出発。
快晴であるが、風は冷たく、目出帽をしていても耳が凍りそうに痛い。
月明りに照らされた雪原の中を懐電の光が点々と一列に続いている。ここ2週間程ずっと快晴だったそうで、道はしっかりと雪原に刻まれ、迷う心配はなく、歩きやすい。
一晩寝たせいか、または頭痛薬のおかげか、歩き出しは、快調である。欧米人は慎重なのか、回りにいる人達はすべて2~5名くらいでパーティを組み、単独登山者はいない。かつ、アンザイレンして登っている(コンテ)。ザイルも重かろうにごくろうさんなことである。
今回の山行に備え、1過間前に富士山で高度順化を図ったのであるが、そのときも軽い頭痛がしたことから、高山病が最も恐れるところである。
ドーム(4304m)を超えたあたりから、登れる自信が涌いてくる。
さて、雪の尾根がリッジ状に細くなり、急勾配になってくると、いよいよ頂上間近のクライマックスである。
頂上にたどり着く直前に、行く手からオレンジ色の朝日が目の中に飛び込んできた。8:40到着。この瞬間はさすがに感動した。
寒さがこたえ、また、高山病の懸念も消えたわけではないしと、てっとり早く写真を数枚撮ると、さっさと下ることにする。
いやな予感は想像以上に的中した。下るに従い、頭痛はがんがんと頭を支配し、先ほどまで高山病予防のためにとがぶがぶ飲んでいた水も喉をとおらない程の吐き気に襲われだす。
それでもなんとか雪の上を滑り落ちるようにして、今朝出発したグーテ小屋にたどり着いたのであった。小屋では完全にグロッキーで、ベッドを貸してくれと頼んだが、小屋のあんちゃんに冷たく断わられ、食堂でつっぷして寝る。1時間程休むと、なんとか歩けるくらいに快復し、下山する。お後は散々であったが、満足感はあった。

<中休み>

翌日は、休養日とし、次の計画を練る。日本の登山者が、ほかにいればザイルを組んでもらおうかと期待していたが、盆を過ぎてしまった今ではうそのように日本人がいない。 ガイドを頼むと高いし、かといって縦走はかったるい。ツェルマットに移って、マッターホルンにでも行こうかとも思ったが、3級とはいえ、クライミングコースを単独でいくのも考えものだし、移動もめんどうである。思いきって(財布と相談して)ガイドを頼むことにする。予算は5万円。これを越えると帰れなくなる危険がある。
ガイド組合で斡旋を受けるが、モアヌ針峰南稜が予算的に限度であった。
オリピエールというガイドは自分よりも英語がうまく助かる。翌日出発ということで、その日は別れる。午後は、エギーユ・デュ・ミディの展望台にロープウェーで登り、展望を楽しんだ。

<モアヌ針峰 (3412m)>

24日、昼過ぎに、登山電車でモンタンヴェールという場所を目指す。ここは観光地としてもお奨めである。ドリューが眼前に迫り、氷河のかなたには、グランドジョラスが北壁を覗かせている。
ここより、硬くしまってヒドンクレパスの心配もないメール氷河の上を進んでいく。風が冷たくて気持ちがいい。氷河の上は小川が流れていたりする。
ガラガラのモレーンを乗っ越して更に進んだところから、尾根に取り付く。ガイドはさすがに足が早く、はしごと鎖場が連続する道をお客をほってどんどん行ってしまう。しかも2時間以上ノンストップである。
さすがにバテかけたが、小休止後、すそにクーペルクルの小屋にたどり着く。この小屋は景色もよいし(グランドジョラス北壁のまん前)、すばらしい。グーテの小屋とは雲泥の差である。小屋でたらふく夕食を食べるとさっさと集る。20:00。
25日、5:00に起き、5:30発。ミニ氷河があり、一応アンザイレンして200m程登ったところが、取り付きである。
3~4級のピッチが続き、ところどころ、2級部分をコンテで進む。当然ながらトップをやらせてもらえるはずもなく、ガイドはビレイなしで先頭きって登って行く(1ケ所くらいランナーはとっていた)。
岩は花こう岩で、固く、登りやすい。簡単なせいもあるだろうが、ハーケンやボルトは1ピッチ1ケ所くらいしか打っていない。代わりにところどころ木のクサピが打ち込んである。これでは、初めてきたら完全にルートを見失うであろう。どこでも登れるという気もするが。
正式の南稜に合流してしばらく登ると核心の5+程度と思われる5mの垂壁があり(ここはさすがにガイドもビレイしてあげた)、ここを過ぎるとフィニッシュである。8:15。あまりに早く登らされたため、息がきれてしまった。
自分以外にもう一組ガイドを頼んでいるパーティがあり、帰りは抜きつ抜かれつしてクライムダウンで降りる(ノーマルルート)。
彼らは極力懸垂下降はしない。時間節約のためであろうが、ガイドに落ちても絶対止められるという自信があるからこそできることであろう。
クライミングとしてはものたりなかったが、アルプスのクライミング風景の一部を覗けてなかなか楽しめた。
クーペルクル小屋からの帰りは同じ道を戻る。モンタンヴェールに帰り着いたのが12:40。

<エピローグ>

28日にパリ発の飛行機にのるためには、明後日の朝早くにシャモニを出なければならない。まだ、1日あるわけだが、すでにガイドを頼む金はない。そこで、仕方なく、みやげを買い、体験パラパントを楽しんだ。
これが(海外の山は)最初で最後と決め、公言してきた自分であったが、アルプスの氷河と岩壁を目の当たりにして、アルプスのビッグルートにいつしか登ってみたいという夢が湧いてきた。
山はいつもそうである。あこがれのルートを登れば登ったで、次に登りたいところがでてくる。
満足感と物足りなさの入り交じった複雑な気持ちで帰りの飛行機に乗り込み、いつかシャモニにくる日のことを考えていた。

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