一ノ倉沢滝沢第3スラブ

1991/3/16~18
メンバー:桜井・立木  立木 記


山を始めて、しばらくして、3スラという言葉を初めて耳にした。冬の3スラ、ひと昔前まで、それは神話とされていたほど困難性の高いルートと知らされる。
冬の3スラ、クライマーにとって憧れと共に、精神的プレッシャーはものすごいものがある。それは、ラビネンツークであると言うことと、一度取り付いたらエスケープが不可能だという現実が、自然とクライマーに強い緊張感を与えるのだ。憧れだけでは、決して登れない壁だということだ。

3月16日(土)

毎度のように湯檜曽で仮眠、AM6:00起床、完全な出遅れだ。駅を見回すがパートナーの尾原が来ていない。尾原の持っている共同装備がないので、他のルートのパーティよりザイルを借りることにする。早々朝食をすませて、出合へといそぐ天気は曇りで最高だ。雪の斜面となった旧道を行くが今回はトレースがしっかりして楽だ。
出合いで準備をすませ本谷をつめる。テールリッジを右へと見送り我々はさらに本谷をつめる。前方には滝沢下部の氷瀑が見えて来る。さて滝沢下部につく、不思議とプレッシャーはない、取り付き点はシュルンドになっており、その上に雪がのっている。
その雪をだましながら、氷瀑に取り付くのだが、バーチカルな上にザックが重く、アイスバイルを後にふることができず登れない、2度トライしてあきらめ、空身でゆく。15mほど氷登りをして20mほど雪壁をつめる。露岩にボルトが一本打ってあるのでそこでピッチを切る。
フォローする桜井氏もザックを背負ってトライするがカつきてシュルンドの下までおちてしまい、空身で登ってきたので2人のザックをユマールとプルージックで荷上げをする。Y字河原だ。ここから三スラ上部はまだ見えない。sansura 続く雪壁は200mほどのコンテニアスで進む。F4手前の氷瀑でスタカットに切り替える。桜井氏リードでF4まで左上ぎみにルートをとる。ここで桜井氏がセルフビレイをとったと同時に本日始発のリミテッドエキスプレスが通過する。私がビレイしていたポイントも上部がやや庇状になっていたのでかなり救われたが、もろにスノーシャワーをあぴ、一瞬息ができない。
F4は右ヘトラバースぎみに右上から直上露岩状のリッペで切る。ここでフォローする桜井氏がアイスバイルをおとしたと叫んでいる。これから先を考えると不安になる。私は降りても良いと思ったが、すでにF4もこえ確実な懸垂支点も得られず、本人もかなり気合いが入っており、行くしかなかった。片手にバイル、片手にアイスハーケンをもちながら登ってくる。
F5はなんなく気づかぬうちに過ぎてしまい続くF6は左をハングにおさえられ、右上しながらこえていくとそこは三スラ上部の雪壁帯に出る。
ルートはそこからラビネンツークの雪壁40mほど右ヘトラバースして右のリッジヘ上がるのだが時間的にすでに16:00、今夜のB.Sをさがさねばならず左のルンゼ上スラブとの瑞のリッジ沿いに上がってゆく。コンテで60mほど直上したところでリッジ基部のシュルンドを掘り広げて二人が充分横になれるだけの雪洞を掘る。
これで今夜の安全は確保された。ホットする瞬間だ。と、同時に他のパーティーの動行が気になる。トランシーバーで交信すると、東尾根、1、2の中間稜もすでにビバーク体勢に入っているようだが、一の倉尾根パーティーはまだ行動しているようだ。しかし、皆、無事と聞いて安心、その夜は少ないウイスキーを飲み、トランシーバーでおきまりの助平話に熱中する。やはり1、2の中間稜のパーティーが一番助平な奴が揃っていたようだ。
入口をツェルトでふさいでいたが、上部よりのスノーシャワーと降雪で雪の斜面と化してしまった、明日の登攀のことを思うといたたまれなくなるが、あとは寝るだけだ。

滝沢下部取付 10:30 ビバークサイト 16:80

3月17日(日)

吹雪。暗やみの中、目をさます。雪壁と化した入口を内側よりくずして外をのぞく、天気は悪く、本谷より吹き上げてくる風が強烈に寒い。あきらめてまた入口をふさぎ、朝食をとり、天気の回復を待つ、我々は4:00前からトランシーバーをオープンにしていたが、他のパーティーとは連絡がとれない。
6:00ごろ、やっと一の倉尾根、1、2の中間稜と交信できた。(東尾根はトランシーバーの不調により交信できず)、3パーティーとも悪天で様子をみているようだ。
8:00過ぎどうも外があかるいようなのでツェルトをはねのけると時折晴れ間がのぞいている。急いで出発の準備をする。雪洞より1ピッチのクライムダウンの後、右のリッジのコルに向けて右上トラバースをする。しかし、先ほどの晴れ間はうそのように吹雪いてきた。この雪壁の雪は風でとばされて昨日とあまりかわらないようだ。
リッジのコルよりはリッジに沿って3ピッチ急雪壁を登る。今回この3ピッチが核心部だったのではないかと思う。逆層のスラブと草付の上にボソボソの雪がのっていて、ステップをけりみこむとみんな雪がおちてしまい、スラブがむき出しになる。その上傾斜が非常に強いときており、しっかりとした潅木もないルートファインデイングもむずかしい。私の見上げる真上を桜井氏がバンバン雪をかいて登っている。まさしく全身で一歩一歩高度を勝ち取ってゆく。絶対にスリップは許されないのだ。
ルート図のガイドにはこう書いてある、「ルート全体をとおって確実なビレイポイントは得られない、精神的なプレッシャーは相当なものがある。また、上部草付帯はルートのポイントであると行ってもよいだろう。」
ここを超え、左上ぎみに雪壁帯をトラバースして、リッジの末端でピッチを切る。やはり雪がついて簡単そうに見えるところも実際行ってみると悪い。そこよりは頭上のリッジの右側のガリーをつめる、胸がつかえるほどの急雪壁だ。傾斜が強く、ルートファインデイングがむずかしく、先の見通しがたたない。続くガリーから左側のリッジに上がろうとおもいながら進むがなかなか良いポイントがないままガリーのつめの部分までせまる。
しかし、抜け口手前3mほどがかぶっている上に逆層のスラブになっており、抜けられそうもない。しかたないのでビレイポイントまでクライムダウンすることにする。途中、左へ上がれそうなバンドっぽいところを発見して、桜井さんならもしかしたら行けるかもしれないと頼む。
トップを交代して桜井氏が登っていく。左ヘトラバースしながら上からバンバン雪が落ちて来る。一見行けそうなバンドも実際はスラブの上に雪がのっていて、バンドのような形状をつくっていたのだろう。私がピレイポイントまでゆくころ、日が暮れようとしていた。まさに時間との勝負だ。こんなところでビバークは出来ない、左上にはもうドームがせまっているのだ、幸い潅木があるのでビレイポイントとしてありがたく使わせてもらう。こんな木を見るのはひさしぶりのような気がする。
さて最後のピッチ急雪壁を登るのだが、すでに真っ暗になってきた、最終ピッチをリーダー桜井氏に行ってもらうのは礼儀であろう、それじや頑強ってねと送り出す。30m程登っただろうか、ザイルのよじれを直しながら、ふっと見上げると、その瞬間桜井氏が頭を下にして、ものすごいいきおいで落ちてきた。
やったあ、私の左横をすっとんでいく、とっさに体が反応していた。足を踏ん張り、ザイルをにぎりしめる。途中ランニングビレーは1ケ所もないのだ。この間何秒もないだろう、一瞬引きずりこまれる絶対助からない、二人そろって本谷までぶっ飛んでゆくのだ。
瞬時にそれだけは頭が理解していた。きた!グリップする手の中をものすごいいきおいでザイルが流れて行く、無意識にザイルを流す。止まった、潅木にものすごいテンションがかかっている。直径2cmにも満たないこの木が、我々を救ってくれたのだ、すでに真っ暗で視界はきかない、必死で下に向かってコールするあれだけ転落して無傷のはずがあるまい。
しばらくコールしたが応答がないので、まずザイルを固定する。一度激しいテンションがかかっているので、不安だがそれしか潅木はない、プルージックで下まで降りなければと思っていると、桜井氏よりコールがくる。怪我は?怪我はないようだ信じられない。
ホッとすると同時に恥すかしい話だが足が震え出して止まらない、バンバンと自分の足をたたいて気合を入れる。ユマーリングでビレイポイントまで登り返してくる。当の本人はいたって冷静だ、雪のルンゼであったことが幸いしたのだろう、(駐車場では嵓の皆がドーム基部へ付くのを待ってくれているようだ、ありがたい)
桜井氏は水を飲み一息入れてから、再び雪辱戦で登って行く、ヘッドランプをつけての、完全夜間登攀だ、先ほどからすでに私のヘッドランプは切れている。日没と同時に天気はもっと悪くなってきた、太陽のカとはすばらしいものだ。真っ暗やみの中、それこそ手さぐりで一歩一歩登ってゆく、ドームに付いたのはなんと20時30分だった。
早々、本隊の山口さん達に交信して無事を伝えると共に、感謝。明日は欠勤だ、今更考えてみても始まらない、どう考えても帰れないのだから、あとは開き直りしかないさ、もしかしたら、今、この時間谷川岳にいるのは我々だけかもしれないなあなんてふと思う。ドーム基部のシュルンドを広げて、やっとニ人横になれる。
桜井氏がガスを落してしまったので、今夜は何も食べれないし、何も飲めない。じやあ寝ようとビショビショにぬれたシュラフに体をねじこむ。
あいかわらす雪は降っている。すでに私も桜井氏もドームを登る気はない。つめたいシュラフの中でただ目をつむりながら考えることは明日のAルンゼのことだ。この降雪でAルンゼヘ降りることは賭けと言ってもよいのだから!

出発 8:30 20:30 ドーム基部

3月18日(月)

まんじりとしないまま夜明けを迎える、ツェルトをはねのけると雪だ。停滞か、いやガスも食料もない。行くしかないのだ。二人でドーナツを半分すつ口に入れて出発する。ドーム右の懸垂ピンを使ってAルンゼヘと降り立つ。雪は深いし、トレースもない。ドームとマッターホルン状岩壁の間に急峻に切れこんだルンゼだ。
聞いていたよりかなり広い。一昨日からの降雪でいつ雪崩てもおかしくない状態だ。中心線のやや左に沿ってラッセルをくり返す。傾斜が強い上に頭を没する雪に延々として進まず、どうか雪崩ないで下さいと、真剣に神に祈る。
見上げれば先ほどまで降っていた雪も上がり、太陽が出てきているではないか。Aルンゼに日があたり出してきた。あせる気持ちとは裏腹に体は全く進まない。雪崩た時を考え二人とも一本づつザイルを引っぱっている。
やっとの思いで左上のコルに上がった時はすでに12:00だった。たった150mほどを登るのになんと3時間かかってしまった。まさしく全身で勝ち取った生への脱出だった。
しかしそこはまだ稜線ではないのだ。目の前の急雪壁をコンテで登る。小さな雪庇をのりこしやっと稜線へ上がったのはなんと14:00だった。やっとたどりついた稜線なのに何の感激もなく、ただはやくめしが食いたい、そんな情けない思いだけが私の心を支配していた。
もう西黒尾根を降りる元気もなく、迷わず天神尾根を下降路にとる。ロープウェー駅着17:00。あと10分でロープウェーも終わりだったし、水上行の最終バスにもなんとか間に合った。バスにゆられながら、うすれてく意識の中、先ほどからさかんに痛み出した指先だけがあの激しかった登攀からまだ開放されていないのだ。

7:45 出発 9:00 Aルンゼ 12:00 左上のコル 14:00 稜線 17:00 ロープウェー駅

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