谷川岳一ノ倉沢南稜

1991/7/7
メンバー:松元・小宮  松元 記


岩場のルートの中で南稜ほど話題になるルートも珍しい。話題に入るにはもう一度登っとかなくてはと、常々思っていた。そんな矢先ひょんなことから、小宮さんと登る事になった。
7月7日は谷川岳の山開きである。毎年雨の中のパトロールを、ここ何年か都岳連の仕事として続けて来たが、今年は遭難対策委員会にお願いし、自由に登らせてもらう事にした。
7月6日、7時新宿を小宮さんと出発する。大勢で行くのが慣れているせいか、2人だけの出発は少し寂しい。
一ノ倉の出合に10時に到着する。2種指導員検定を受験した奏さん、雲稜第一を終えた小原さんと本郷さんがすでに小宴会を開いていた。早速我々も仲間に入れてもらい2時間ばかり遊ばせてもらう。
7日4時、小宮さんに起こされる。昨日に引き続き今日もピーカンだ。
天幕に3人を起こしに行くが、どうしても起きない。私の若い頃は先輩より早く起きお茶を沸かし、食事の用意を整え洗面器にお湯を張ってから先輩を起こしたものだ。リーダーの教育が悪いのか、会員の質が悪いのか、いやはや困ったものだ。
南稜を前後左右ガードされながら、登れるものと思っていたが無理のようだ。
3人の見送りもなしで(若い頃は先輩の出発の時は、後ろ姿が見えなくなるまで見送ったものだ)、5時に出発する。
雪渓が残っておりテールリッジまでは、なんなく着く。テールリッジもカラカラに乾いており、快適そのものだが半面体がついていかない。ついには小宮さんに「南稜テラスまででもいいですよ」なんて言われ、面目丸潰れである。
南稜テラスには概に3パーティーおり我々は4番手である。
南稜テラスには次から次ぎと顔見知りが登って来る。とうとうテラスからはみ出す程の混みようだ。
7時小宮のリードで登り出す。1ピッチ毎に10分程待たされるが、わりと早いピッチで登れる。
30年前(18歳の時)、麻のザイルに登山靴で登った時より簡単に登れた様な気がする。 記憶もすでに薄れ、2ピッチ目のチムニーの取り付きで、アブミを使った事ぐらいしか覚えていない。又、馬の背リッジから覗いた6ルンゼ、この中で岩雪崩にあい初めて買ったナイロンザイルが、4、5箇所で切断され命からがら、登りきった事も思い出した。
9時終了点、2時間の短い登攀だったが、親子程年が離れた小宮さんと快適な楽しい登攀だった。
「荷物を持ちますから稜線を廻って下りましょう」と言う誘いに、昔を思い出しOKを出してしまう。
西黒廻りの予定だったが、一ノ倉岳より目の前にある中芝新道に、つい誘われ(昔同じ様にフラフラと入ってしまい、雨の中ビバークになった事がある)下りだしてしまう。
時たま出合いの本郷、小原に連絡を入れると、「現在位置は、何時に戻りますか」と連絡を入れるたびに聞かれ、ついには根負けし「先に帰っても良い」と言うと途端に元気な声で「先に帰りますので、気を付けて下山して下さい」と、昔では考えられない。
私の若い時には、温かい紅茶など入れて芝倉沢の出合いに迎えに行ったものだ。山口が甘やかしたか桜井の責任か、馬鹿にされない様少し登れる様になったらカツを入れよう。
話を芝倉新道に戻すが、初めはなだらかだが尾根に入ってからが大変だ。滑ったり、転んだり、ぶるさがったり、雪渓を巻いたり本日の核心部だった。
出合いに着いた時には、足がガクガクで一週間も痛かった。
とにもかくにも楽しい山行だった。又小宮にはおんぶにだっこをさせてしまい、本当に小宮は偉かった。それに引き換え博道、立木、直樹、小原、本郷、長谷川は最近は生意気になり、おじさんをへとも思わない。たまにはおじさん孝行をしろよ。

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