前穂東壁Dフェース 都立大ルート(→田山=山本ルート)

1991/9/23
メンバー:立木・鈴木〈直)  鈴木〈直) 記


久々の晴天に恵まれて、前日、右岩稜を登ったわれわれは、翌日も晴れるのでは、と期待を膨らませる。
前日より増えて9張りとなったテント。先を越されぬよう昨日より早い4:30に起床する。
5:30、荷物はテントに残し、昨日と同じくC沢をつめて、B沢に移る。同じく都立大を目指すという「鍋牛」の2人組と前後しながらアプローチを詰めるが、ボロボロで落石を起こさずに登るのに大変、気を使う。
「蝸牛」に先行して到着した我々は、鈴木リードで、取り付く。ガイドブックに「取り付きは判然とせず」とあるが、そのとおり難しいクラックに入ってしまった鈴木は、残置されていたカラピナを使って下降し、ちょっと左から取り付き直す。7:30なり。
4級+のフリーで、浅いクラックを右上ぎみに20m程進み、小テラスでピッチを切る。
続いて、立木氏が、スラブ帯からハング帯までの人工をリード。ピン自体は効いていそうであるが、3mmシュリンゲがかかっていたりする。ボルトの続くスラブ帯を抜けたところで、古いピトンに導かれ、ハングを避けて右にトラバースする。空中に突き出したテラスに出てピッチを切る。
スラブ帯は予想以上に傾斜がある。
3ピッチ目、鈴木がリードで出発するが、凹角を上に上がるところにピンがなく、いやらしい。ふと、下を見ると、見事なピトンのラダーが右方向に続いている。ルートはこっちだ!と確信した鈴木は、わざわざクライムダウンして右に入る。
ところが、行けとも行けどもルートは上に伸びる様相はなく、ひたすらトラバースである。そのうち、やっと上に登れそうなところにきたが、ピンはほとんどなくなり、あってもぐらついている。
これは、田山=山本(バリエーション)ルートに入るものであったか?と気が付いたのは遅すぎた。後ろには、「蝸牛」が控えているし、進むしかない。ナッツをかませて、はい上がる。
ザイルの流れも悪くなりそうで、ピッチを切りたいが、ピンがないため、切りようがない。
必死の思いで、チムニーをぐらぐらのハーケンにあぶみで乗っかりのっこして、ようやく傾斜が緩くなったのでホットする。
続いて登ってきた立木氏に「よくこんなところを登らせたな」、とあきれられると同時に、「まあ、二つのルート登れてよかったじゃない」と、慰められる。
なんと、まあルートファインデイングの悪いことかと我ながら感心する。
最後、1・2峰間リンネをしばらく立木氏リードで登り、最後はザイルを外して前穂頂上に立つ。10:30。ルートが短いのは事実であるが、思ったより早く抜けられた。
頂上より、三本槍を超えたところのコルからガレ場を下降する。12:15、奥又白のテン場に着き、1時間後に撤収して帰路を急
ぐ。
徳沢で、ビールにありつき、上高地に18:30到着。バスで沢渡まで行き、ここで駐車しておいた車に乗り込む。松本で夕飯を喰
ったのち、数十キロに及ぶ大渋滞の中、交代で運転して東京に向かったのであった。
ここ1ヵ月間の台風と天候不順のうさを晴らした大満足の今回の山行であった。

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