一ノ倉沢烏帽子沢奥壁変形チムニー

1991/7/27
メンバー:川崎・下野  下野 記


北岳での充実した山行のすぐ後の集会で川崎さんに声をかけてもらい今回の山行となった。
26日の晩にいつもの集合場所とは違う処で待ち合わせて東京を出発。真夜中出合に到着。明日の為にすぐに横になる。5時頃に目を覚まし壁を見上げると悪い感じ、体調もいまひとつで、ベストな朝とはいいがたいが、いつでも誰でも谷川では、この様なものなのだろう、と思いつつ6時頃出発。
途中、雪の上を歩くのが心臓に良くなかったが7時半頃、取付に到着。衝立には人が居て滝沢にも3ルンゼにも人がいて、頭の上にも人がいて、その人達のどなり合う声を聞いていたら嬉しい様な気持になり、同時に緊張感が湧いてきた。無事に今日一日が終わる様に、今日も一日晴れ男であれと願い、8時頃登り始める
。当初の予定は、奇数のピッチが難しいという事で、川崎さんが奇数、僕が偶数のピッチをリードして進むはずだったが、途中から面倒臭くなったので川崎さんが無言で先に行ってくれた。ここには難しい処が3ケ所あるとスタート直前にきかされて変形チムニー1ケ所が山場だと考えていた自分には、びぴりながらのスタートとなったが前半は、それが標高をかせぐ事ができた。
問題は、2つ目か3つ目の核心で、 -今でも良く思い出せないのだが、ちょっと凹状で傾斜がきつく、右上に回り込んでいく4~5mのポイント- 何が何でも登れす、大変な苦労をした。フリーをAOにしたり、AOからA1にしたりと自分が思いつく限りの運動をしてみたがままならず、しまいには下りようかとも考えたが、降りるのも大変そうだし、後で何言われるかわからないし、とにかく途方に暮れた。
その後、一服したまでは憶えているが、どうやって抜けたかは今は不明である。それでも途中から降りだしていた雨もやがてあがり、最後は気持ちよく終了点を踏んだ記憶は残っている。そして体力も気力もまだまだと気負いながらも身体はヨロヨロで、やっと出合に戻って来たという感じで一日は終った。出合に6時30分着。
この山行の後、大いに思う処あり、あちこちゲレンデに入ったり、ジョギングを始めたり、山の知識を少しでも得る努力をする様になった。(幽ノ沢とマチが沢の間に一の倉がある事を知り、右からコップ、衝立、烏帽子、本谷、滝沢の各岩壁が並んでいることを知り、北岳バットレスが非常に高い所にある事も知った)
身体も精神も山の常識ははずれぬ様努力し、秋には又大きな快感を得られる様な山行を実現させたいと思っている。

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