烏帽子奥壁ダイレクトルート

1991/9/7
メンバー:長谷川・川崎  川崎 記


フリー主体でショートかつ「高難度」がいい。南稜フランケか烏帽子ダイレクト。フランケでは今回不参加の奏さんの夢を奪うことになる、ダイレクトのA1は自分にはやっかいだ。核心部はピンがきわめて少ないといわれる両ルート共通のP3(5+)のフェースで、ゲレンデ感覚で5の6~7くらいだろうか。しかもここは近年二人が墜死しそのことが気持の隅にこびりついている。会ではかって中川・桜井・松野が雨の悪条件下でのぼっている。昨年すぐ隣の変形チムニーから眺めたところではほぼ垂直に見えたが、乾いていれば快適なフリークライミングができるだろう。パートナーは長谷川のOKを前日に得て、ともあれ、烏帽子奥壁に向かう。
取り付き8時。トップはP3を川崎、P5(A1)を長谷川の分業とした。ザックはセカンド。壁はやや湿気を含んでいる。  P1は川崎。P2、長谷川は先行パーティーの通過、小一時間待つ。P3のビレー点は小ハングすぐ下である。
さてP3。レッジと出だしには6本ほどピンがありやや安心できる。小ハングからの水滴でシューズが湿る。回り込んで小さなフレークをたどり、前のパーティーの動きが目に残っていたので大股開いて右にトラバース。ホールドは小さいが確実に手足をおける。こういうムーブはフリーではお手のものだ。
右上しようと頭上のピンを探す。ところがそれが一向に見えないまま、細かいホールドがあるにまかせてノーピンでトラバースを続けてしまった。おかしい、ルートミスか。窮したらひどいことになるとの悪い予感が走る。右隣の変チで何とトップがズルッ、ドタと落ちた….。しかし、岩は乾いているし、遠いがホールドも続いてあるようだ。自信は失せたわけではない。それにしてもピンが欲しい。
フェースを7~8m進んでさらに右にハーケンを見つけ、最後はイチかバチかに近い感じでピンそばの小ホールド右手を伸ばし初めてビレ-をとる。長谷川にコール。一息ついてみると左上にハーケンが1本見えるのに気がついた。左上しそのピンを取り、ザイルの流れとフォローを考えて最初のビレーは戻って回収し、それからは直上。結構立ったフェースであるにピンは1本、さらに左上しビレー1本、右上して大テラス。最初の1本までと比べると、その後のランナウトはノーマルな快適さといっていい。コール。
トラバースにはまいった。というより、今になって思い出してルート図と対照するとご丁寧に「P3では同志会直上ルートのP3途中まで出張トラバースして合流した」ことが考えられる。図では小ハングを回るとすぐ右上と描かれている(もちろんそれは登攀前に頭に入れていた)。だとすると、ホールドが何とか続き「ひどいこと」にならなかったのは物怪の幸いである。それくらいこの奥壁はルートが入り組んでいるのであるが、ただしこのことは再度確認しないうちは断言はしない。
「ビレー解除」の声が届いて長谷川はホッとしたと後で話したが、彼は大して窮するでもなく上がってきた。大テラスは十分に広く昼食。凹状岩壁を鈴木(博)が平館、山本を連れて信じられないほど速く登っている。エールを送ると彼らは稜線に抜けるという。元気なものだ。「フランケではどう」と長谷川に声をかけたら、「ダイレクトのほうがかっこいい」とのことでダイレクトに向かう。実はアブミを忘れ鈴木に借りていたのだ。
P4のオリジナルラインはツルツル凹角に水が流れているので止め、通常ルートを行こうと長谷川が右に降り草付きの凹角を直上したが意外に悪かった。
P5、人工は長谷川。彼は「気品のあるピッチ」だという。ピンが最小限度しかなくきれいだということであるが、途中で「ボルトがなくなった」 と慌てたのが面白かった。 ボルトラダーが視界から消え、右の小凹角のリスに移っていたのである。さすがにここで6級のフリーを試みる余裕はなかった。
P6はチムニー2つ。水が落ちており濡れる。4級の有難さというか適度に面白いピッチである。南稜を下るコップのパーティーや南稜パーティーからコール。核心部を抜け一仕事終えた気楽さがある。P7はもろいフェース。P8からはルンゼを登って熊笹の中を南稜の上部に逃げる。変チの終了点より1.5ピッチほど低い地点で終了、15時。
すぐに6ルンゼ下降に移る。南綾テラス18時発。トランシーバーで交信。雨が断続し、滑落を極度に恐れ懸垂で下っていたらテールリッジ取り付きの下りでザイルが水流に引き込まれ回収に苦労した。出合い着21時ちょうど。皆待っていてくれた。
このルートは核心部のみならず全般にピンが必要最小限しかなく、やはり上級ルートは違うとの感がある。展望に欠けあまり見栄えはしないが、持ち前のテクニックを駆使できる中身の濃いルートだと長谷川と話す。「僕はこれまでパートナーに恵まれいい登攀ができて幸せだ」、しみじみとした長谷川の弁。「このオレも、もうちょっとやってこれたんじゃんじゃないかな」とは川崎の内心を一瞬駆け抜けた念。それにしてもroute findingにはもっと慎重でなければなるまい。これは自戒である。
追記。連絡がとれず心配していた鈴木(博)パーティーの出合い帰着23時。湯気の立ちのぼる三人をレガシーの荷室に車座に座らせ、会山行参加者全員で湯檜曽ステーションホテル泊。翌朝は雨。

(SePt‐14.1991 川崎)
(再読 Nay 30.1992)

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