北岳バットレス第4尾根主稜

1991/8/16
メンバー:松元・宇賀田・秦・川崎・鈴木(博)・山本・斉藤  斉藤 記


8月16日午後8時頃、松元さんの車で新宿を出発、川崎さんらの横浜組と途中で合流して、広河原に着いた時は12時を回っていた。シュラフカバーにもぐり込むが、初めての本チャンを控えての興奮で眠れない。
翌朝は5時半出発。登山道入り口の吊り橋から雲一つない快晴の空の下にバットレスが見える。山岳写真では威容を誇るバットレスもここからはあまり冴えない。
大樺沢沿いに登って、二俣を少し過ぎてから取り付きへの道に入る。傾斜がきつくなった上りを今日一日体力が持つだろうかなどと考えながら登っていると。30メートル程左をキスリング位の岩が空を切って落ちていった。一瞬ぞっとする。
10時半に下部岩壁に取り付く。奏さんがトップで第4尾根右側のCガリーを登り始める。ところが最初のテラスが狭いのと新人をどうやって安全に登らせようかと上で議論していたために最後の僕が取り付いたのは11時半だった。おまけに次のピッチでは岩が付き出たいやらしいトラバースがあり、松元さん達が確保の態勢をしっかり整えて下さったので、出だしから思いのほか時間がかかった。全員が緩傾斜帯に着いたのは1時頃だろうか。これはアプローチだというのに。
これではいけないということになり、川崎-斉藤、博道-山本、秦-字賀田-松元でパーティーを組んで主稜に取り付く。3ピッチ目からリッジ状の岩稜となり、岩登りらしくなってくる。途中いやらしい所が一方所あり、よく見るとテープが掛かっている。さっきのトラバースもそうだが、初心者への親切心からか。しかしここでは頼らずに済んだ。
6ピッチ目を終えると、ひんやりとした風が横から吹いてきた。ちょうど風の通り道になっているらしい。このあたりが第二のコルか。ここからは高度感あふれるリッジが伸び、その先にルートの核心である8mの垂壁があった。ちょっと試してみたが、らちが開きそうもなく、すぐに例のテープに頻ることにする。
主稜のリッジを進んで、マッチ箱から10mほど懸垂下降する。いつのまにか月が出ている。6時半を過ぎていた。それから一ピッチ登ると、もう完全に暗くなっていた。ヘッドランプの明かりを頼りに最後のピッチを登る。全員が終了点の少し上のビバーク地点に着いた頃には8時半になっていた。
出発から15時間、取り付きから10時間の行動だ。この時は疲れ果て、登り切った満足感も特に湧いてこなかったが、月明かりに照らされた富士山の均整のとれたシルエットが雲海に浮かび、その中腹から山小屋の明かりがくっきりと光っているのが印象的だった。

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